古い手鏡3
俺は少し考え込んだ末に、女性へ言葉を返した。
俺:「……すみません、少しほかも見てからもう一度見に来てもいいですか?」
女性は柔和な笑みを浮かべてうなずいた。
女性:「ええ、もちろん。なら横に避けておくわね。
ただし、もし他の方が欲しいと言ったら、その時は譲ることになるかもしれないけれど……」
そう言って、朱塗りの手鏡をそっと横へ移してくれた。
その仕草はまるで、鏡を大切に扱う親のようで、俺の胸に妙な安心感と同時に焦りを残した。
境内を歩き始めると、別のざわめきが耳に広がった。
「このラジオ、まだ動くんだって!」「ほんと?電池入れたら鳴るのかな」
「わぁ、昔の切手だ。コレクションにいいかも」
「おじいちゃん、これ懐かしいね」「そうだな、子どもの頃に使ってたよ」
声の調子は軽やかで、懐かしさと驚きが入り混じっていた。
古いカメラを手に取る人がいて、シャッターを切る音が乾いた響きを残す。
「フィルムはもう手に入らないけど、飾るだけでもいいな」
隣では蓄音機の針を覗き込みながら「まだ音が出るのかな」と笑う若者たち。
境内の空気は、過去の生活道具が一時的に蘇ったような熱気に包まれていた。
俺はあちこちの露天をめぐりながらお目当ての品を探していた。
お茶に使う古い備前焼の茶碗。
土の質感が重厚で、手に馴染むようなものを。
「備前焼はないですか?」と何度か尋ねてみたが、返ってくるのは「今日は出てないね」「茶碗ならあるけど瀬戸焼だよ」という答えばかりだった。
歩きながらも、頭の中では朱塗りの手鏡が離れなかった。
あの艶やかな朱色。
女性の「鏡は人を選ぶ」という言葉。
茶碗を探すはずの目が、気づけば鏡の姿を思い浮かべていた。
雑踏の声が遠のくたびに、鏡の朱色が脳裏に鮮やかに浮かび上がる。
境内を巡ること一時間。
古い時計の振り子を覗き込む人、錆びたブリキのおもちゃを手にして「まだ動くかな」と笑う子ども、
「この版画、誰の作品だろう」と真剣に見入る若者。
その雑踏の中にいても、俺の心はどこか落ち着かず、朱塗りの鏡の存在が背後からじっと見つめているように感じられた。
結局、備前焼の茶碗は見つからなかった。
「今日は縁がなかったか」と小さく呟きながら、俺は再びあの露店へ戻ることにした。
女性の露天前に戻ると、彼女は変わらず静かに座っていた。
周囲の喧騒の中で、その姿だけが落ち着いていて、まるで時間の流れから切り離されているように見えた。
横に避けて置かれた朱塗りの手鏡は、まだそこにあった。
まるで俺を待っていたかのように、艶やかな朱色を静かに放っていた。




