古いガラス食器 11
箱を抱え、車に乗り込んだ俺は夜の道を急いだ。
しかし、どういうわけか神社までの道が妙に遠く感じられた。
普段なら迷うはずのない道なのに、曲がるべき角を過ぎてしまったり、
見慣れたはずの道標を見落としたりする。
「……おかしいな、こんなに迷うはずじゃないのに」
一度目は、街灯の少ない細い道を曲がり損ねた。
引き返そうとしたが、暗闇の中で方向感覚が狂い、
知らぬ住宅街に入り込んでしまう。
助手席の木箱が存在感を放ち、
まるでそれが俺を惑わせているような錯覚さえ覚えた。
二度目は、神社へ続く坂道を通り過ぎてしまった。
慌てて車を止め、バックで戻ろうとしたが、
後方から吹き抜ける風が妙に冷たく、背筋をぞくりとさせた。
三度目は、鳥居のあるはずの道を見失った。
暗闇の中、車のライトが照らすのはただの林道。
「……こんな道、あったか?」
不安が募り、胸の奥にざわめきが広がっていく。
何度も通り過ぎ、引き返しを繰り返すうちに、
時間の感覚さえ曖昧になっていった。
時計を見れば、ほんの数十分しか経っていないはずなのに、
妙に長い時間を彷徨っていたような気がする。
やがて、ようやく神社の鳥居が見えてきた。
その瞬間、胸の奥に張り詰めていた緊張が少しだけ解けた。
車を停め、境内に足を踏み入れる。
そこには宮司が立っていた。
白い装束に身を包み、厳しい顔でこちらを見据えている。
その眼差しは、待ち構えていたというよりも、
「遅かったな」と言わんばかりの圧を帯びていた。
宮司:「……来ましたか。すぐに本殿へ」
促されるままに本殿へ入る。
そこには電気はなく、灯りはロウソクのみ。
炎が揺れ、壁に影が伸びては縮み、
静けさの中に不気味な呼吸のような気配が漂っていた。
宮司は正面に座り、淡々と語り始めた。
宮司:「古い文献を調べていました。
一昔前、この神社に供養のため持ち込まれた切篭ガラスの皿がありました。
しかし、それは盗まれた記録が残っているのです」
俺は思わず息を呑んだ。
「盗まれた……?誰がそんなことを」
宮司:「詳しい名は残っていません。
ただ、供養のために本殿へ預けられたはずの器が、ある夜忽然と消えた。
記録には“盗難”とだけ記されている。
それ以降、器の行方は分からなくなったのです」
ロウソクの炎が揺れるたび、宮司の顔に影が走る。
その声は静かだが、言葉の重みが胸に沈んでいく。
宮司:「その皿は、ある夫婦が亡くなった後に唯一残されたものでした。
家も財もなく、ただその器だけが遺された。
夫婦の縁を映すように、長い時間をかけて供養するつもりだったのです。
しかし、盗まれたことで供養は途絶え、障が大きく残りました」
俺は木箱に目をやった。
札の下から、微かに冷たさが伝わってくる。
「……昼間に触れた時、妙に心地よい冷たさを感じました」
宮司:「それこそが障の兆しです。
心地よさに見せかけて、心を絡め取る。
器は人を選び、選ばれた者は縁に囚われる。
あなたの友人の彼女が夜ごと語りかけてしまうのも、器が縁を求めているからでしょう」
本殿の空気は張り詰め、ロウソクの灯りが揺れるたびに影が踊る。
宮司の言葉は淡々としているのに、恐ろしく、
長い時間をかけて積もった未練と障の重さを、否応なく思い知らされるものだった。
宮司:「……封印の準備を始めます。
あなたはここで見届けなさい。
器の縁が、あなたにまで及ばぬように」
その言葉に、俺は深く息を呑んだ。
木箱の中の皿が、静かに存在感を放っているように感じられた。




