古いガラス食器 8
友人と彼女との電話を終えた後、車を走らせながら俺は考え込んでいた。
主人の言葉が耳に残り、胸の奥に冷たいものが広がっていく。
「縁は流れるもの……元に戻ることもある」
その時、ふと思い立った。
懇意にしている神社の宮司に相談してみよう。
彼なら、この奇妙な縁の話に何か答えを持っているかもしれない。
すぐに電話をかける。
「もしもし、宮司さん。急ぎでご相談したいことがありまして……」
声を聞いた瞬間、宮司は短く言った。
「すぐに来なさい。話は神社で聞こう」
神社は温泉街と自宅の間にある。
俺は車をそのまま走らせ、途中で神社へ立ち寄ることにした。
境内に入ると、夕暮れの空気が一層冷たく感じられた。
灯籠の明かりが揺れ、拝殿の奥から宮司が姿を現す。
白い装束に身を包み、厳しい眼差しをこちらに向けていた。
宮司:「来ましたか。……さぁ、詳しく話してください」
俺は骨董品屋での出来事を一から語った。
友人が購入したガラス食器のこと、夜になると彼女が皿に語りかけてしまうこと、
そして主人が語った“縁”の話。
宮司は黙って聞いていたが、途中でいくつか問いを挟んだ。
宮司:「その友人の彼女は、どのような様子で皿に触れているのです?」
俺:「夜になると、無意識に撫でながら、何かを呟いているそうです。
本人も止めたいと思っているのに、やめられないと……」
宮司:「声ははっきり聞こえるのですか?言葉になっている?」
俺:「友人の話では、はっきりした言葉ではなく、囁きのような調子だと」
宮司は深く頷き、眉間に皺を寄せた。
宮司:「……なるほど。心を映す器、というのは確かに存在します。
人の心に寄り添うように見せかけて、時に心を絡め取る。
骨董屋の主人が“縁”と呼んだのは、そうした力を柔らかく言い換えたのでしょう」
俺:「やはり、ただの器ではないんですね」
宮司:「ええ。放っておけば、持ち主の心を蝕むこともある。
夜に語りかけるというのは、すでに縁が深く結びついている証です」
俺は友人宅に泊まりに行く予定を話した。
「次の休みに、彼女の様子を見に行くことになっています」
宮司はしばらく考え込み、やがて低い声で言った。
「……それならば、こちらで準備をしましょう。少し待ちなさい」
そう言うと、宮司は拝殿の奥へと姿を消した。
境内には灯籠の明かりだけが揺れ、静けさが一層濃くなる。
待つ間、俺は木々のざわめきや遠くの虫の声に耳を澄ませながら、妙な緊張を覚えていた。
時間にして数分ほどだったが、ずいぶん長く感じられた。
やがて、宮司が戻ってきた。
両手には大きめの木箱、そして古びた札を二枚持っている。
その表情は先ほどよりもさらに厳しく、言葉に重みがあった。
宮司:「これを持って行きなさい」
木箱を俺の前に置き、札を差し出す。
宮司:「その皿をこの箱に入れるのです。
蓋を閉めたら、必ず二箇所、対角の位置に札を貼りなさい。
札は封印の役割を果たします。中途半端に貼れば意味がありません」
俺:「……札を貼る位置は、必ず対角、ですね」
宮司:「そうです。二枚で一対。片方だけでは封印は成立しません。
泊まりに行くその夜は、必ず札を貼ったまま過ごしなさい。
そして翌朝ではなく、泊まりの次の日にこの箱を持って神社へ来るのです」
宮司の声はいつになく強い調子だった。
俺は思わず背筋を伸ばし、札を受け取った。
俺:「もし……札を貼らずに持ち歩いたら?」
宮司:「……あなたも縁に巻き込まれることになるでしょう。
器は人を選びますが、人もまた器に選ばれる。
封印を怠れば、その選びはあなたに及ぶかもしれません」
宮司の言葉は重く、境内の空気をさらに張り詰めさせた。
俺は深く頭を下げ、木箱と札を抱えて神社を後にした。
夜の道を再び走りながら、助手席に置いた木箱が妙に存在感を放っているように感じられた。
「……泊まりの次の日、必ず持って行こう」
そう呟きながら、俺は友人宅へ向かう道を進んでいった。




