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古いガラス食器 6

店の前で足を止める。

暖簾の奥は薄暗く、静まり返っている。

一瞬、入るのを躊躇した。だが、困り顔の友人が脳裏をよぎり、意を決して扉を押し開けた。

小さな鈴のような音が響き、店内に足を踏み入れる。

狭く薄暗いが、乱雑さはなく、棚には古い器や道具が整然と並んでいる。

骨董品特有の年月を感じる木の香りが漂い、空気はひんやりとしていた。

最初は主人の姿が見えなかったが、奥から声がした。

「はいはい、いらっしゃい」

やがて、痩せた背の高い男が姿を現した。白髪を後ろで束ね、穏やかな笑みを浮かべている。

俺:「突然すみません。友人から聞いたんですが……こちらで綺麗なガラス食器を購入できたと」

主人:「……ガラス食器、ね」

その瞬間、主人の顔に皺が寄った。ほんの一瞬、表情が曇ったように見えた。

だがすぐににこやかに笑みを取り戻し、柔らかい声で続けた。

主人:「ええ、置いてありますよ。珍しいものに興味を持ってくださるとは嬉しいですね」

俺:「友人がとても気に入っていて……気になって来てみたんです」

主人:「そうですか。あの方も、良い目をしていましたよ」

主人は棚の奥へと視線を向け、ゆっくり歩き出す。

俺はその背中を追いながら、さらに声をかけた。

俺:「この街には何度も来ているんですが、こちらのお店は初めてで……場所も分かりづらいですね」

主人:「ええ、目立たない場所ですから。わざわざ探して来てくださる方は少ないんです」

俺:「なるほど……でも、こうして見ていると、どれも大事に扱われている感じがしますね」

主人:「物は人と同じです。年月を重ねるほどに、扱い方次第で輝きも変わるんですよ」

主人は棚から一枚のガラス皿を取り出した。

光を受けて、細かな切子模様が淡くきらめく。


主人:「これも、先日まで奥にしまっていたものです。友人の方が選ばれたのも、こういう品でしたね」

俺:「やはり……。とても綺麗ですね」

主人:「ええ。ただ……選ぶ人を選ぶ品でもあります」

主人は一瞬だけ目を細め、皿を撫でるように指先でなぞった。

その仕草に、言葉以上の意味が込められているように感じられた。


俺:「……選ぶ人を選ぶ、ですか?」

主人:「ええ。物には縁がありますから。縁のある人の手に渡るのが一番なんです」

その言葉に、俺は少し迷った末に口を開いた。

「……実は、友人から困った話を聞いたんです」


主人は皿を棚に戻し、静かにこちらへ向き直る。

「困った話、とは?」


俺:「旅行から帰って数日後、夜になると……彼女がこの食器を撫でながら、何かを呟いているそうなんです。

まるで誰かに話しかけているように。友人は心配していて……僕も気になって来てみました」


主人の顔に、再び皺が寄った。ほんの一瞬、表情が曇る。

だがすぐににこやかに笑みを取り戻し、柔らかい声で続けた。

主人:「……そうですか。なるほど。やはり縁というものは、時に人を試すのです」

俺:「試す?」

主人:「ええ。物はただの物ではありません。持つ人の心に寄り添い、時に心を映す。

その方が夜に皿を撫でるのも、縁の形のひとつかもしれません」

俺:「でも……友人は困っているんです。どうしたらいいでしょうか」

主人は少し考え込むように目を伏せ、やがて静かに言葉を紡いだ。

主人:「無理に縁を断とうとすると、かえって心を乱すことがあります。

まずは、その方が何を語りかけているのか、耳を澄ませてみることです。

意味が分からなくとも、寄り添うことで縁は落ち着くこともある」

俺:「……寄り添う、ですか」

主人:「ええ。縁は人を選びますが、人もまた縁を選ぶことができる。

その方が皿に心を寄せているなら、まずは受け止めてあげることです」

主人はにこやかに微笑んでいたが、その目の奥には、言葉にできない影が揺れていた。

俺は胸の奥に小さな違和感を覚えながらも、深く頷いた。

「……分かりました。友人に伝えてみます」

主人:「ええ、それが良いでしょう。縁は大切に。大切にすれば、必ず答えを返してくれます」

店を出ようと暖簾をくぐりかけた時、ふと足を止めた。

振り返り、主人に問いかける。


俺:「……縁というのは、時に元の位置に戻ることもあるんでしょうか。

一度離れたものが、また元の場所へ戻る……そんな縁もあるんですか?」


主人は一瞬だけ目を細め、皺を深く刻んだ。

だがすぐに柔らかな笑みを浮かべ、静かに答えた。


主人:「……ありますよ。縁は流れるものですから。

離れても、巡り巡って元に戻ることもある。

ただし、それが幸か不幸かは……その人次第です」


その言葉が妙に重く響き、店内の薄暗さと木の香りが一層濃く感じられた。

俺は軽く頭を下げ、再び暖簾をくぐった。

外の空気は冷たく澄んでいたが、背中に残る主人の声は、いつまでも耳にまとわりついていた。

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