古いガラス食器 1
ある日の夜。スマホが震えた。
画面には見慣れない番号ではなく、懐かしい名前が表示される。
「……え?」
ここ数年、少し疎遠になっていた友人からの着信だった。
恐る恐る通話ボタンを押す。
「おぉ!久しぶりだな。元気してるか?」
声は昔と変わらない調子で、妙に胸に響いた。
「元気だよ。どうしたんだ急に」
「いや、たまには飲もうかなって思ってさ。今週末、空いてる?」
唐突な誘い。
けれど、懐かしさが勝って頷いてしまう。
「いいよ。じゃあ駅前の居酒屋で」
「決まりだな!」
通話を切ったあと、カレンダーを見返す。
週末には別の予定が入っていた。
だが、不思議なことに「どうしても会わなきゃいけない」と感じてしまった。
理由はない。ただ、そう思った。
「……まぁ、リスケすればいいか」
そう呟いて予定をずらした。
その瞬間から、心の中に小さな期待と、説明できないざわめきが膨らんでいった。
週末。
駅前の居酒屋は相変わらずの喧騒。
焼き鳥の煙とジョッキの音が混じり合い、
数年ぶりの再会は乾杯から始まった。
「いやぁ、ほんと久しぶりだな!」
「だな。お前、全然変わってないな」
「いやいや、腹は出てきたぞ。見ろよ」
「ははっ、確かに!」
くだらない冗談と近況報告。
仕事の愚痴、昔の思い出、笑い声が絶えない。
テーブルの上は枝豆の殻と串の山。
店員の声と周囲のざわめきが混じり合い、
時間が溶けていくようだった。
「そういや、あの頃よく行ったゲーセン、まだあるんだぜ」
「マジか!あのボロい筐体、まだ動いてんのかよ」
「動いてるどころか、今じゃレトロブームで人気らしいぞ」
「ははっ、時代は巡るなぁ」
笑い声が響く。
だが、ふとした間。
友人がジョッキを置く音が、妙に重く響いた。
「なぁ……」
声のトーンが落ちる。
周囲の喧騒は変わらないのに、こちらの空気だけが冷えていく。
友人は口を開きかけて、すぐ閉じた。
枝豆の殻を指で弄びながら、視線を逸らす。
「いや、なんでもない。忘れてくれ」
そう言って笑ってみせるが、笑みはどこかぎこちない。
「なんだよ、気になるな。言えよ」
「いや……ほんと、たいしたことじゃないんだ」
「お前、昔からそういうの隠すタイプじゃなかったろ。どうせ不思議な話だろ?」
催促するように笑いながら促すと、友人はしばらく黙り込んだ。
ジョッキを持ち直し、口を湿らせてから深く息を吐く。
「……お前さ、昔から怖い話とか不思議な話、集めるの好きだったよな?」
「まぁ、好きだったな。今もそういうのは気になる」
「だよな。だから……ちょっと聞いてほしいんだ。
普通なら誰にも言わないんだけど……お前なら、わかってくれる気がする」
その言葉に、居酒屋のざわめきが遠のいたように感じた。
周囲の笑い声や皿のぶつかる音は変わらないのに、
二人のテーブルだけが異質な空気に包まれる。
友人は一瞬ためらい、ジョッキを持ち直して口を湿らせる。
深く息を吐いてから、ようやく言葉を続けた。
「彼女のことなんだけどさ……」
「ん?どうした?」
「こないだ旅行に行ってから、夜になると……なんか、不思議な行動をするんだよ」
その瞬間、まるで気温が一段下がったような感覚が背筋を走った。
笑い声に満ちた居酒屋の熱気の中で、
二人だけが冷たい空気に取り残されていく。




