初めての一人暮らし 後日譚
十年の時が流れた。
俺は久しぶりに実家へ戻ることにした。
親もいい年齢になり、そろそろ生活の拠点を近くに移すべきだと考えたからだ。
長く住んでいた家には愛着がある。
だが、同時に、あの夜の恐怖も刻まれている。
あれ以降、大きな影響はなかった。
ただ、不気味さは常に心の隅に残っていた。
夜、ふとした瞬間に視線を感じることもあった。
それでも日常は続き、十年が過ぎた。
そして今日。
引越し業者に荷物を引き渡し、家は空になった。
俺は静かな廊下を歩き、玄関を閉めた。
この土地を離れる。
その報告をしようと思い、あの神社へ参拝することにした。
神社は変わらずそこにあった。
鳥居をくぐると、十年前と同じように空気が張り詰める。
だが、あの時ほどの重苦しさはない。
ただ、静けさが深く染み込んでいる。
境内に進むと、宮司が立っていた。
十年前と同じ姿。
白い装束に身を包み、こちらを見つめている。
「……また来られましたね」
俺は深く頭を下げ、言葉を選びながら口を開いた。
「今日で、この土地を離れます。親も年を重ねましたし、近くで支えるために移ることにしました。十年前のことも……忘れてはいません。怖い思いもしましたが、ここで過ごした日々には愛着もあります。だから、最後に報告をと思いまして」
宮司は静かに頷いた。
「十年、よく過ごされましたね。あの時のことを覚えているからこそ、ここに来られたのでしょう」
俺は少し迷いながらも尋ねた。
「……離れても、大丈夫でしょうか」
宮司はしばし沈黙し、やがて穏やかな声で言った。
「安心して離れるといいのです。あなたは呼ばれ、拒まれ、そして辿り着いた。だからこそ、ここで区切りをつけられる。もう心配はいりません」
その言葉に、胸の奥が静かに落ち着いていくのを感じた。
十年前の恐怖も、不気味さも、すべてが遠ざかっていくようだった。
俺は深く一礼し、鳥居をくぐった。
振り返ると、宮司はただ静かに境内に立ち尽くしていた。
その姿は、見送るというよりも、見守るように思えた。
土地を離れる不安は、もうなかった。
十年前の記憶は消えない。
だが、それもまた自分の一部として抱えていける。
「安心して離れるといい」
宮司の言葉が、心に残っていた。
それは警告ではなく、確かな区切りの言葉だった。
俺は新しい土地へ向かう。
親を支えながら、静かに。
振り返らず、ただ歩いていった。




