初めての一人暮らし 8
宮司は一歩、こちらへ歩み寄った。
その足音は境内の静けさに不思議なほど響き、まるで周囲の空気を震わせているようだった。
「よく来れましたね」
再びそう告げる声は、歓迎というよりも、試練を乗り越えた者への確認のように聞こえた。
俺は喉が乾き、言葉を返せなかった。
友人が先に口を開いた。
「……やっぱり、何かに阻まれていたんですか?」
宮司は目を細め、しばし沈黙した。
その沈黙が、答えよりも重く感じられる。
やがて低く言った。
「呼ばれてもいました。拒まれてもいました。両方です」
俺は思わず息を呑んだ。
呼ばれていた――あの視線。
拒まれていた――あの迷い。
両方が同時に働いていたというのか。
「参拝をしましょう」
宮司はそう言い、拝殿へと導いた。
鈴を鳴らすと、澄んだ音が境内に広がった。
その瞬間、張り詰めていた空気がわずかに揺らぎ、冷たさが和らいだように感じた。
手を合わせ、目を閉じる。
参拝を終え、胸の奥にあった重苦しいものが少しずつ薄れていくのを感じた。
俺と友人は深く息を吐き、境内を後にしようと鳥居へ向かった。
その時、背後から宮司の声が響いた。
「……これで大事には至りません。ただ…」
足が止まる。振り返ると、宮司は静かにこちらを見ていた。
その眼差しは鋭く、しかしどこか憐れむようでもあった。
「次に呼ばれた時、必ずしもここへ辿り着けるとは限りませんよ」
低く落ち着いた声だったが、その言葉は妙に重く、境内の静けさに溶けていった。
まるで、今後も何かが続くことを暗示しているかのように。
俺は返す言葉を失い、ただ鳥居をくぐった。
背後で宮司が立ち尽くしている姿が、視界の端に焼き付いて離れなかった。
それからの日々。
怪異は収まったように思えた。
夜も眠れるようになり、あの強烈な視線は感じなくなった。
ただ、時折。
ベランダ側から視線を感じることがある。
以前ほど強烈ではない。
だが、確かに「誰か」がそこにいるような気配は残っている。
宮司の言葉が耳に残っている。
「次に呼ばれた時、必ずしもここへ辿り着けるとは限りませんよ」
それは警告だったのか、予言だったのか。
答えは分からない。
ただ、次に呼ばれる時が来るのだと――心のどこかで確信していた。




