廃墟で5
「それで、家に帰ったら……びっくりしたんですよ」
彼は少し声を落として言った。
「腕に、人の手の跡が……くっきりついてましてね」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった。
彼はその反応を見て、ゆっくりとスマホを取り出した。
「ほら」
画面を操作し、写真を一枚開いてこちらに向ける。
そこには、フィルム写真をスマホで撮ったような画像が映っていた。
ざらついた質感の中に、彼の腕が写っている。
そしてその腕には…
指の跡が、はっきりと残っていた。
一本一本が生々しく、
まるで誰かが“離す気がなかった”かのように深く。
俺は言葉を失ったまま、画面を見つめた。
「この跡がね……なかなか消えなくて」
彼はスマホをしまいながら続けた。
「医者にも見せたんですけどね。湿布とか、そんなもんしか出してくれなくて。いやあ……困ったもんだよ……」
そう言って笑ったが、その笑いはどこか自嘲気味で、
“笑うしかなかった”という種類の笑いだった。
彼の指先が、無意識に自分の腕をさすっていた。
まるで、あの跡の感触がまだ残っているかのように。
「この跡が残ってる間はね……撮影にも支障が出て」
彼は少し声を落とした。
「どこで撮っても……なにがしかが映り込むんだよ……」
“なにがしか”の部分だけ、ほんのわずかに息が揺れた。
冗談めかすでもなく、怖がらせるでもなく、
ただ事実を淡々と置くような言い方だった。
「結局さ……“心霊カメラマン”なんて、変なあだ名までついちゃってね」
苦笑いが漏れる。
その笑いは軽いのに、どこか疲れたような響きがあった。
「当時、心霊ブームでもあったからね。
面白がられて……まあ、困ったもんだよ」
彼は指先で自分の腕をさすりながら続けた。
「困り果てて……檀家になってるお寺のご住職に相談してね。それで、なんとか……なったんだけど」
“なんとか”の言い方が、妙に柔らかかった。
まるで、そこに触れすぎると何かが崩れるのを避けるように。
彼はふっとこちらを見た。
「お兄さんも……廃墟に行くなら、気をつけなよ」
そう言って、静かに笑った。
その笑いは優しいのに、どこか底の方に“経験者の重さ”が沈んでいた。
そんな話をしていると、後ろから声がした。
「お待たせー」
友人が手を振りながら近づいてくる。
俺は彼に向き直り、軽く会釈した。
「貴重な体験談、ありがとうございました」
そう言うと、彼は少し照れたように笑って、
「気をつけてね」
とだけ言って、ゆっくりと離れていった。
友人と並んで歩き出すと、友人がふいに俺の顔を覗き込んだ。
「……あのカメラマンさんと話すの、やめた方がいいぞ」
「え?」
「噂あるんだよ。あの人と話したら、たまに“変なもの”映るってさ」
半分冗談みたいに言うのに、声の奥にほんの少しだけ本気が混じっていた。
俺は笑って返した。
「変なの映ったら送らないから安心して」
友人も笑ったが、どこか引っかかるような表情をしていた。
歩きながら、ふとさっきの彼の横顔が浮かぶ。
彼の中では終わってることなんだろうけど。
でも、まだ……続いてるんじゃないかな。
そう思った瞬間、肩にそっと手を置かれたような気がした。
振り返っても、誰もいなかった。
あのカメラマンさんの最後の顔が、さっきより少しだけ不気味に思えた。




