趣ある民宿にて5
障子をそっと開けると、廊下は薄暗く、裸電球の灯りが頼りなく揺れていた。
板張りの床は歩くたびにきしみ、静けさの中に自分の足音だけが響く。
とりあえずトイレへ向かおうと歩を進める。
玄関の前を通りかかった瞬間、思わず足が止まった。
ガラスケースに収められた日本人形
その向きが、なぜか客室側へと変わっていた。
顔を見ようとしたが、灯りの加減なのか輪郭がぼやけていてはっきり認識できない。
目があるはずなのに、どこを見ているのか分からない。
その曖昧さが、かえって背筋を冷たくさせた。
視線を逸らし、急いでトイレへ向かう。
古い扉を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
用を済ませ、再び廊下へ戻る。
部屋へ戻る途中、再び玄関の人形の前を通る。
その瞬間、小さな笑い声が聞こえた。
子供のような、かすかな笑い声。
誰もいないはずの廊下で、確かに耳に届いた。
心臓が跳ね上がり、思わず駆け足で部屋へ戻る。
障子を閉め、布団に潜り込む。
震えながら耳を塞ぎ、目を閉じる。
やがて恐怖と疲れが入り混じり、意識は薄れていった。
――翌朝。
目を覚ますと、時計はすでに九時半を回っていた。
少し寝過ごしたせいか、体は重く、頭の奥に昨夜の記憶がまだ残っている。
夢だったのか、現実だったのか。
だが、玄関の人形がどちらを向いているのか、確かめに行く勇気は湧いてこなかった。
荷物をまとめ、重い気持ちを奮い立たせて宿を後にする。
玄関で靴を履いていると、女将さんが笑顔で声をかけてきた。
「昨夜はよく眠れましたか?」
「……はい、まあ」曖昧に答えると、女将さんは少し目を細めて言った。
「人形に気に入られましたね」
その言葉に、思わず振り返る。
ガラスケースの中の人形は、静かに正面を向いていた。
だが、その顔がどこか昨夜とは違って見えた。




