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過去との会合 2

細道の前で、僕は立ち尽くしていた。

胸の奥がざわめき、目が離せない。まるで呼ばれているように、視線が小道に吸い寄せられる。

風が吹き抜けるたび、草が揺れ、奥へ奥へと誘うように道が開いていく。


「入るべきなのか……」


十数年前、子供の頃は迷わず飛び込んだ。わちゃわちゃと笑いながら、怖さよりも好奇心が勝っていた。

だが今は違う。

大人になった僕は、理屈や危険を考えてしまう。

しばらく葛藤した末、深呼吸をして一歩踏み出した。草をかき分け、細道へと進む。懐かしい匂いが鼻をかすめる。土の湿り気、風に揺れる葉の音。記憶の中の景色と重なり合うようで、心臓が早鐘を打った。

昨日のように…いや、十数年前のように、僕は廃屋を探し始めた。だが、電柱や壁に残したはずのチョークの印はもうどこにもない。代わりに、腕時計を何度も見て時間を確認する。子供の頃は夕陽が暮れるまで遊び続けたが、今は「何時までに戻らなければ」と意識してしまう。

何度も道を往復したが、廃屋はどこにも見当たらない。あの日と同じように、影も形もない。

やがて空は赤から紫に変わり、街灯がぽつぽつと灯り始めた。帰らなければならない。

諦めるように細道を引き返す。

出口付近に差しかかったとき、ふと風が吹いた。

草が揺れ、耳元にかすかな声が触れる。


「落書きはダメだよ」


囁くような、子供の声だった。振り返っても誰もいない。風の音か、記憶の残響か。けれど確かに聞こえた気がした。

その瞬間、壁の影に白い跡が浮かんだ。幼い指で描いたような線。次の瞬間、それは形を結んだ。

僕らが子供の頃、秘密基地の合図として多用していた“秘密のマーク”。

三本の線に丸を重ねた、子供が勝手に作った印。誰にも教えていないはずの、僕らだけの合図。

それが、風に揺れる影の中に確かに浮かび上がっていた。

目を凝らす間もなく、風が再び吹き抜けると跡は消えた。

その瞬間、耳の奥に子供の笑い声が響いた。複数の声が重なり、楽しげに、けれどどこか冷たく。まるで昔の僕ら自身がまだそこで遊んでいるかのように。

背筋に冷たいものが走り、僕は足を早めた。細道を抜け、町へ戻る。夕暮れの街灯が灯り始め、見慣れたはずの通りがどこか違って見える。人の声も車の音もあるのに、背後にもうひとつ別の気配がついてくる錯覚が離れない。

駅へ向かう道すがら、ふと壁の隅や電柱の影に目が吸い寄せられる。そこに、消えかけたチョークの線が見える気がする。子供の頃に描いたはずの印。誰も知らないはずの目印が、今も残っているように。


「……いや、違う。見間違いだ」


そう言い聞かせながら歩くが、足取りは重い。

駅に着くと、ホームには人が並んでいた。日常の風景。けれど僕にはどこか遠く感じられた。電車を待つ間、風が吹き抜ける。ざわめきの中に、またあの笑い声が混じった気がした。

電車が入ってきた。ドアが開き、人々が乗り込む。僕も足を踏み入れる。

その瞬間、窓ガラスに映った自分の背後――ほんの一瞬だけ、子供の頃の僕らが描いた“秘密のマーク”が浮かんでいた。

電車が動き出すと、マークは揺れる景色とともに消え、再び笑い声が耳の奥に残った。

だが今回は僕だけではなかった。

隣に座っていた中年の女性が、ふいに振り返り「今、子供の声がしなかった?」と小さく呟いた。

向かいの席の男子学生も、イヤホンを外してきょろきょろと辺りを見回している。

さらに、立っていたサラリーマンが苦笑いを浮かべ「気のせいかと思ったけど……笑い声、聞こえましたよね」と誰にともなく言った。

誰も答えない。けれど、確かに数人が同じものを聞いた。

車内は一瞬だけ静まり返り、次の駅に着くと人々は何事もなかったかのように降りていった。

僕は窓の外を見つめた。暗くなった町並みが流れていく。

胸の奥には、冷たい余韻がいつまでもまとわりついていた。

秘密の場所は、やはりこの町のどこかに眠っている。けれど、それはもう僕らのものではなく、今も子供たちの声とともに生き続けているのだろう。

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