後輩の物件探し後日譚
後輩は、あの夜の話を聞いたあと、
数日だけ悩んでいたが、
結局、引っ越す決断をした。
驚いたのはその後だ。
「先輩……なんか、不動産屋さんが全部やってくれるって……」
後輩からそう連絡が来た時、
俺は思わずスマホを握り直した。
新しい物件の紹介。
敷金・礼金の免除。
引っ越し費用まで、
全部、不動産屋が負担すると言ってきたらしい。
理由は言わなかったそうだ。
だが、俺にはなんとなく分かった。
あの壁のことを、
あの部屋の“事情”を、
不動産屋は誰よりも知っている。
後輩は新しいアパートに移ってから、
驚くほど順調に生活しているようだ。
「最近、よく眠れるんですよ」
「仕事もなんか調子いいです」
そんな明るい声を聞くたびに、
俺は胸の奥で小さく息をついた。
後輩が落ち着いた頃、ふと思い立って、喫茶店「○△□」へ向かった。
扉を開けると、カラン、と鈴が鳴る。
マスターは新聞を畳み、
俺を見ると静かに頷いた。
「……後輩さん、無事に引っ越せたようですね」
常連の三人も、
ちらりとこちらを見て、
気まずそうに、しかしどこか安心したように頷いた。
「ええ。
あの……先日はありがとうございました。
おかげで助かりました」
俺が頭を下げると、
マスターはコーヒーを淹れながら言った。
「礼なんていりませんよ。
……あの部屋は、知らないまま住むほうが危ない」
常連の一人が、
カップを指でなぞりながら呟いた。
「次の人、長く持つといいけどな……」
その言葉に、
店内の空気が一瞬だけ沈んだ。
俺は深く息を吸い、
静かに席を立った。
「本当に……ありがとうございました」
店を出ると、
冷たい風が頬を撫でた。
後輩はもう安全な場所にいる。
それだけで十分だった。
だが、あのアパートの角部屋は、
今もあの時間になると、
静かに“2回ノック”を返しているのかもしれない。




