後輩の物件探し11
これ以上は営業さんも口を割らないだろうと判断し、
俺は軽く頭を下げて店を出た。
外に出ると、冬の空気が肺に冷たく入ってくる。
後輩にはどう説明するか……
「配管が通ってて水が流れる音だよ」とか、
適当な理由をつけて安心させるべきか。
それとも、余計なことは言わずに様子を見るべきか。
そんなことを考えながら歩いていると、
後輩の家の近くまで戻ってきていた。
ふと視界の端に、古びた看板が目に入った。
「珈琲 ○△□」
木製の看板は色褪せ、
ガラス戸の向こうには薄暗い店内が見える。
昭和のまま時間が止まったような喫茶店。
なぜか、
ここなら“本当の理由”が聞ける気がした。
根拠はない。
ただ、胸の奥の違和感が、この店の前でふっと形を持ったような気がした。
俺は吸い寄せられるように、
ふらりと扉を開けた。
カラン、と鈴が鳴る。
入った瞬間、コーヒーの深い香りと、タバコの残り香が混ざった空気が鼻をくすぐった。
店内は薄暗く、壁には古いジャズのポスター。
カウンターの奥ではマスターらしき男が新聞を読んでいる。
そして、
窓際の席には年配の常連らしきグループが三人。
湯気の立つカップを前に、
談笑していたのが、
俺が入った瞬間、
ぴたりと止まった。
ちらり、と視線がこちらに向く。
その目つきは、
“よそ者を値踏みする”というより、
“何を聞きに来たのか”を探るような、
そんな色だった。
俺は軽く会釈し、
空いている席に腰を下ろした。
マスターが新聞を畳み、
ゆっくりとカウンターから出てくる。
「いらっしゃい。
コーヒーでいいかい?」
声は低く、落ち着いている。
だが、その目はどこか探るようだった。
俺は頷いた。
「お願いします」
マスターがカウンターへ戻ると、
さっきの年配グループの一人が、
小さく囁くように言った。
「……あの部屋の人か?」
その声は、
俺に聞こえるギリギリの大きさだった。
だが、確かに俺に向けられた言葉だった。
俺は思わず振り向いていた。
窓際の席にいた年配の男性が、
しまった、というように肩をすくめた。
目が合うと、気まずそうに笑う。
「いや、悪い悪い……聞こえちまったか……」
すると隣の二人が慌てて手を伸ばし、
その男性の腕を軽く引いた。
「おい、やめとけって」
「余計なこと言うなよ、またマスターに怒られるぞ」
「いや、別に怒られはしねぇだろ……」
「そういう問題じゃねぇよ。ほら、黙っとけって」
三人の間で小声のやり取りが続く。
その“触れちゃいけない話題に触れた”ような空気が、
逆に俺の背中を押した。
俺は席を立ち、
ゆっくりと彼らのテーブルへ歩み寄った。
「すみません。
もし良ければ……少し、お話を聞かせてもらえませんか?」
三人は一瞬、固まった。
最初に声を漏らした男性が、困ったように頭を掻いた。
「いやいや……あんた、悪いな。
別に深い意味で言ったわけじゃねぇんだよ」
隣の男が小声で続ける。
「そうそう。
ただの噂話だ。気にしないほうがいい」
もう一人も、
まるで俺を遠ざけるように手を振った。
「若い人が気にするような話じゃねぇよ。
ほら、席戻りな」
だが、三人の視線は揃って落ち着かず、
テーブルの上のカップを見たり、
窓の外を見たり、
互いの顔を伺ったりしている。
“話したくない”というより、
“話すのをためらう理由がある”
そんな空気だった。
俺は少しだけ声を落とし、
静かに言った。
「昨日、あの部屋で……
夜に壁を叩く音がしたんです。
それで、気になって」
三人の表情が、一瞬だけ強張った。
最初に声を漏らした男性が、深く息を吐いた。
「……ああ、やっぱり聞こえたか」
隣の二人が慌てて肘でつつく。
「おい!」
「言うなって!」
だが男性は、もう隠しきれないというように、俺のほうを見た。
「……あんた、本当に聞きたいのか?」
その声は、さっきまでの軽さとは違い、どこか重かった。




