後輩の物件探し7
後輩は味噌汁を見つめたまま箸を止めていたが、俺が何も言わずに食べ続けていると、気まずそうにまた一口だけ口に運んだ。味が分かっているのかどうかは分からない。けれど、食べようとしているだけまだマシだと思えた。
「……で、十一時前後に鳴るんだよな」
「……はい。ほぼ決まってます」
後輩は小さく答え、また箸を置いた。俺は茶碗を空にして、味噌汁を飲み干す。
「よし。食ったら片付けるぞ」
「……すみません、ほんと」
「いいから食え。残すなよ」
後輩は小さく頷き、無理やり口に運ぶようにして食べ進めた。二人とも食べ終わると、俺は立ち上がって皿を重ね、流しへ運ぶ。
「お前は座っとけ。コーヒー飲んで待ってろ」
「……はい」
後輩は椅子に座り直し、出しておいたコーヒーを両手で包むように持った。湯気がゆらゆらと揺れ、後輩の落ち着かない視線がその向こうに透けて見える。
俺は皿を洗いながら、ふと気になって声をかけた。
「……なあ。なんで俺に聞いてきたんだ?」
後輩は少し驚いたように顔を上げ、それから視線を落とし、言いづらそうに口を開いた。
「……あの……先輩、前に言ってたじゃないですか。怖い話とか、不思議な話……好きだって」
「……ああ、言ったな」
「それで……こういうの、先輩なら……なんか分かるかなって……思って」
言いながら、自分でも頼る理由として弱いと思っているのか、後輩の表情は少し引きつっていた。
俺は皿をすすぎながら、なるほど、と心の中で頷いた。
「まあ……いいよ。片付けたら行くぞ」
「……ありがとうございます」
後輩はコーヒーを一口飲み、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
最後の皿を拭き終え、タオルで手を拭きながら後輩のほうを向いた。
「よし。行くか」
後輩は椅子から立ち上がり、緊張を隠しきれない顔で小さく頷いた。
玄関で靴を履くときも、指先がわずかに震えているのが分かる。
「……すみません、ほんと」
「いいって。気にすんな」
ドアを閉めて外に出ると、夜風がひやりと頬を撫でた。
街灯の光がアスファルトに細長く伸び、
二人の影が並んで歩くたびに揺れた。
後輩は歩きながら、何度か口を開きかけては閉じた。
言いたいことがあるのに、言葉にできないような沈黙が続く。
「……寒くなったな」
俺が何気なく言うと、後輩は少しだけ肩をすくめた。
「……はい。
最近……夜、特に……」
その“特に”の先に何があるのか、
後輩自身が触れたくないのが伝わってきた。
アパートの前に着くと、
後輩はポケットから鍵を取り出し、
金属が触れ合う小さな音が静かな夜に響いた。
「……どうぞ」
鍵を回す手がわずかに強張っている。
ドアが開くと、室内の空気がふっと流れ出てきた。
生活の匂いに混じって、どこか湿ったような、
言葉にできない気配がほんのわずかに漂う。
後輩は靴を脱ぎながら言った。
「紅茶、淹れますね。
先輩、座っててください」
「おう」
俺はソファに腰を下ろし、
後輩がキッチンで湯を沸かす音を聞きながら部屋を見渡した。
家具の配置は普通だが、
例の“観葉植物が置かれていた隅”だけは、
なぜか視線が吸い寄せられるような暗さがあった。
後輩が湯気の立つカップを二つ持って戻ってきた。
「どうぞ。熱いんで気をつけてください」
「ありがとう」
紅茶の香りがふわりと広がり、
少しだけ緊張が和らぐ。
「……仕事、どうなんだよ最近」
俺がそう振ると、後輩はようやく表情を緩めた。
「いや……まあ……ちょっと人間関係が……」
そこからは、上司のクセの強さや、同期の愚痴、最近の忙しさなど、ごく普通の会話が続いた。
だが、後輩の視線は時折、
あの壁の隅へ向かう。
そのたびに、部屋の空気がわずかに沈む。
時計を見ると、
十一時まで、あと一時間半。
紅茶の湯気が静かに揺れ、
その向こうで後輩の指先が落ち着かず動いていた。




