懐中時計の記憶15
オーナーが懐中時計を前にして葛藤しているのを見て、俺はふと、昔別の骨董品屋の主人に言われた言葉を思い出した。
「……あの、オーナーさん。
以前、別の骨董品屋の方に教えてもらったことがあるんです」
オーナーがゆっくりとこちらを見る。
その目はまだ揺れていた。
「“物には縁がある。
その縁を違えると、お互いにいい結果にならない”……
そう言われたことがあって」
その言葉を口にした瞬間、
あの時の店主の声や空気が、
まるで背後からそっと支えてくれるように蘇った。
「この懐中時計……
大切なご友人の形見なんですよね。
俺には……まだ、早い気がするんです」
オーナーの表情が、さらに深く揺れた。
「もし、この懐中時計と俺に本当に縁があるなら……
きっと、また手元に来ると思うんです。
だから……どうか、受け取っていただけませんか」
懐中時計を両手で包み込み、
そっと差し出す。
オーナーは、
触れたいようで触れられないような、
そんな指先の震えを見せた。
「……しかし……
あなたが持っていたほうが……
先代が望んでいたのかもしれない……
そう思うと……私は……」
声がかすれ、言葉が続かない。
その葛藤は、
見ているこちらにも痛いほど伝わってきた。
店内の空気は、まるで二人の間に見えない重さが積もっていくように静かに沈んでいく。
その時だった。
横でずっと黙っていた店員が、
意を決したように口を開いた。
「オーナー……
せっかくのご好意ですし……
これ以上お断りするのも、失礼かと……」
その言葉は、
優しく、しかし確かな力を持っていた。
オーナーははっと店員を見て、
そしてもう一度、俺の差し出す懐中時計を見つめた。
長い沈黙のあと
オーナーは、
まるで覚悟を決めるように、
ゆっくりと手を伸ばした。
震える指先が、
懐中時計にそっと触れ、
そして、受け取った。
その瞬間だった。
空気が、ふっと揺れた気がした。
店内の時計の音が一瞬だけ遠のき、
視界の端がわずかに滲む。
そして、耳の奥で、誰かの声がした。
本当に微かに。
風が木の葉を揺らすような、
息のような、
それでも確かに“言葉”として届いた。
――ありがとう。
あの骨董品屋の主人の声だった。
昨日、柔らかく笑っていたあの声。
夢の中で懐中時計を託してきた老人の声。
写真立ての中で微笑んでいた先代の声。
それらがひとつに重なったような、
静かで、温かくて、
どこか遠い声だった。
一瞬の出来事だったのに、
胸の奥に深く染み込むような響きが残った。
オーナーは懐中時計を両手で包み込み、
目を伏せたまま動かない。
その肩が、わずかに震えているように見えた。
店員も、何かを感じ取ったのか、
息を呑んだままこちらを見ていた。
店内には、時計の針の音だけが静かに戻ってきた。
だが、確かに聞こえた。
ありがとう。
それは、懐中時計が本来あるべき場所へ戻ったことを
誰かが喜んでいるような、そんな声だった。




