懐中時計の記憶13
オーナーは写真立てを胸元に抱えるようにしばらく黙り込んでいた。
その沈黙は、ただ言葉を選んでいるというより、
“触れてはいけない記憶を呼び起こす前のためらい”のようだった。
やがて、重い息をひとつ吐き、
ゆっくりと口を開いた。
「……昨日が、彼の命日なのです。
ちょうど三回忌でして……
まさか、その日に……」
言葉がそこで途切れた。
オーナーは懐中時計と俺の顔を交互に見つめ、
その目の奥に、説明のつかないものを前にした人間の戸惑いが浮かんでいた。
「先代は亡くなる直前に、こう言っていました。
“縁起でもないことを書くな” と。
自分の死後のことを、ああして書き残すのは良くない、とね」
苦笑ともため息ともつかない、
複雑な感情が混じった声だった。
「ですが……どうしても書いておきたい、と。
あれは、そう言って残したものなんです」
オーナーはそう言うと、
写真立ての裏側にそっと指をかけ、
中の写真を丁寧に抜き取った。
裏面には、古いインクで書かれた文字があった。
オーナーはその文字を、
懐かしむように、
しかしどこか痛みをこらえるように目で追った。
やがて、静かに息をつき、
写真をそっと写真立てに戻した。
その動作は、
まるで大切な記憶を元の場所へ返すような、
慎重で、儀式めいた静けさがあった。
店内の空気は、時計の針の音すら吸い込むように重く沈んでいた。
その沈黙の中で、ふと胸の奥にひっかかるものがあった。
そういえば。今日、骨董品屋を出るとき、
店主が紙切れに何かを書いて渡してくれた。
「ここから近い時計屋さんですよ」と、
あの柔らかい笑みを浮かべながら。
あれは地図だった。
懐中時計を手に入れた流れの中で忘れていたが、
今、オーナーの言葉を聞いた瞬間、
その紙の存在が急に重みを持ち始めた。
俺はポケットを探り、
折りたたまれた紙を取り出した。
「……そういえば、ここまでの地図をもらったんです。その店主さんに」
オーナーの表情が、一瞬だけ、はっきりと強張った。
「……見せていただけますか」
その声は、
先ほどよりもさらに慎重で、
どこか“覚悟”のようなものが滲んでいた。
俺はゆっくりと紙を広げ、オーナーに差し出した。
オーナーはそれを受け取ると、最初は淡々と視線を走らせていた。
だが、ある一点を見た瞬間、指先がぴたりと止まった。
紙を持つ手が、わずかに震えた。
店内の空気が、また一段階、深く沈む。
オーナーは紙を近づけ、目を細め、筆跡をじっと見つめた。
その表情は、驚きとも、恐怖ともつかない。
ただ、
信じたくないものを見てしまった人間の顔だった。
しばらくの沈黙の後、オーナーは喉の奥から絞り出すように、かすれた声でつぶやいた。
「……この字は…… 彼の字だ」
その言葉が落ちた瞬間、
背筋に冷たいものが走った。
昨日、骨董品屋で書いてもらった地図。
その筆跡が、三年前に亡くなった先代のものだと、
オーナーは言った。
店内の静けさが、まるで別の世界に足を踏み入れたように変わっていった。




