懐中時計の記憶10
店の奥から現れた年配の男性は、
カウンターの上に置かれた懐中時計にそっと手を伸ばした。
その指先は、壊れ物に触れるというより、
長い年月を経てようやく再会したものに触れるような、 確信めいた優しさを帯びていた。
金属の縁をゆっくりとなぞり、
裏蓋の刻印を指で追い、
耳元に寄せて、内部のわずかな機械音を確かめる。
その間、彼は一言も発しない。
ただ、静かに、深く、確かめるように。
店内の空気が、ゆっくりと沈んでいく。
やがて、時計から目を離し、
こちらに向き直った。
「失礼しました。……まず、私のことをお話ししておきましょう」
胸ポケットから名刺を取り出し、軽く差し出す。
「私は、この店のオーナーです。
先ほど、うちの者から電話で話を聞きましてね。
“あの時計を持ってきたお客さんがいる”と」
“あの時計”。
その言い方に、妙な重さがあった。
オーナーは続ける。
「普段は裏で作業をしているので、表に出ることは滅多にありません。
ですが……その話を聞いて、出てこないわけにはいきませんでした」
その声音には、
“これは放っておけない”
という確信が滲んでいた。
オーナーは懐中時計に視線を落とし、
ゆっくりと語り始める。
「骨董品屋の先代とは、古い付き合いでしてね。
あの店がまだ賑わっていた頃からの仲です。
時計の修理を頼まれたり、こちらが珍しい部品を譲ってもらったり…… まあ、そういう関係でした」
懐かしむような声。
しかし、その奥に沈んだ影がある。
「そして……この時計のことも、よく知っています」
オーナーの指先が、懐中時計の表面をそっと撫でる。
「生前、先代はこう言っていました。
“この時計だけは、何があっても人に譲らない” と」
言葉が、静かに落ちる。
「どれだけ高値をつけられても、どれだけ頼まれても、この時計だけは手放さなかった。
……そういう品なんです」
オーナーはそこで一度言葉を切り、
こちらをまっすぐに見た。
その目は、穏やかさの奥に、
“確かめたい何か”を静かに宿している。
そして、声を落として、核心に触れるように言った。
「昨夜……変わった夢を見られませんでしたか」
その瞬間、
胸の奥がひゅっと縮む。
返事をする前に、
思わず息が止まった。
背中に冷たいものが走り、
指先がわずかに震える。
“見た”。
言葉にしなくても、
その感覚だけが鮮明に蘇る。
オーナーは、こちらの反応を静かに見つめていた。




