懐中時計の記憶9
店員は懐中時計を手に取ったまま、
「これは……」
と小さく呟いた。
そのまま言葉が続かない。
沈黙が落ちる。
時計屋の空気が、急に重くなった。
気になって声をかける。
「どうしました?」
店員はハッとしたように瞬きをし、
眼鏡の奥の目をそらした。
「……すみません。
少し、お時間いただいてもよろしいですか」
「ええ、構いませんよ」
そう答えると、店員は懐中時計をそっとカウンターに置き、
「すぐ戻りますので」
とだけ言って、店の奥へ消えていった。
扉が閉まると、すぐに小さな声が漏れ始める。
電話だ。
壁越しに、途切れ途切れの声が聞こえる。
「……あの……時計……」
「……ええ、そう……“あの”……」
「……まさか……まだ……」
「……持ってきた人が……」
「……いや、若い……」
「……どうすれば……」
断片だけなのに、胸の奥がじわりと冷えていく。
“あの時計”
“まさか”
“まだ”
意味は分からない。
だが、ただの古い時計ではないことだけは分かった。
店内は静かだ。
ショーケースのガラスに映る自分の顔が、少し強張って見える。
やがて、奥の扉が開く音がした。
店員が戻ってくるのかと思ったが…
出てきたのは、見知らぬ年配の男性だった。
六十代くらいだろうか。
白髪まじりの髪をきちんと整え、落ち着いた色のジャケットを着こなしている。
どこか“洒落た”雰囲気があり、時計屋の空気に妙に馴染んでいた。
だが、その目だけは違った。
まっすぐに、カウンターの上の懐中時計を見ている。
まるで、そこに“知り合い”でもいるかのように。
男性はゆっくりとこちらに歩み寄り、
穏やかな声で言った。
「……失礼。
その時計を、少し見せてもらってもいいですか」
その声は柔らかいのに、
背中にひやりとしたものが走った。
まるで
この時計を知っている人間の声だった。




