懐中時計の記憶8
ガラス戸を開けて店内に入ると、ショーケースの奥で作業していた店員がちらりとこちらを見て、最低限の動きだけで顔を上げた。
「……いらっしゃいませ」
声は丁寧だが、どこか硬い。
俺は軽く会釈し、事情を説明する。
「すみません、懐中時計の手入れ道具って置いてますか?
古いネジ巻き式のやつなんですけど」
店員は無言で立ち上がり、棚の奥へ歩いていった。
その動きは無駄がなく、職人らしい慎重さがある。
やがて、小さな箱をひとつ持って戻ってきた。
「こちらが一式です」
蓋を開けると、
- 柔らかい布
- 細いブラシ
- 小さな油差し
- ネジ巻きの調整用工具
が整然と並んでいた。
「古い機械式なら、これで十分です。
油は少量で。
ブラシは歯車の隙間に軽く。
布は金属を傷つけません」
説明は淡々としているが、手つきは妙に丁寧だった。
「ありがとうございます。助かります」
そう言うと、店員はふっとこちらを見て、少しだけ表情を緩めた。
「お若いのに……珍しいですね。
今どき、懐中時計を使う方はあまりいませんから」
「まあ、ちょっとした趣味みたいなもんで」
俺が笑うと、店員は軽く頷いた。
「どちらで手に入れられたんです?」
「昨日、近くの骨董品屋で。
少し奥まったところにある店です」
その瞬間
店員の表情がわずかに固まり、
ゆっくりと一度だけ首をかしげた。
「……骨董品屋、ですか」
声のトーンが、ほんのわずかに沈む。
「ええ。若い店主の方で」
そう言った途端、店員は眼鏡の奥の目を細めた。
「おかしいですね。
あの店は……爺さんが一人でやっていたはずなんですよ。
息子さんとか、後継ぎはいなかったはずで」
胸の奥が、ひやりと冷えた。
店員は続ける。
「それに……2、3年前に亡くなってます。
店も畳んだと聞いていましたが」
昨日の店主の柔らかい笑顔が、頭の中でゆっくり浮かび上がる。
若い男性だった。
優しい声だった。
“先代”の話をしていた。
なのに。
「……そうなんですか」
自分の声が少しだけ上ずった。
店員は気に留めた様子もなく、会計を進めながらふと俺のポケットに目を向けた。
「良かったら……その懐中時計、拝見しても?」
「ええ、どうぞ」
俺は時計を取り出し、手渡した。
店員は受け取った瞬間、
息を飲んだ。
眼鏡の奥の目が、ほんの一瞬だけ大きく見開かれる。
驚きとも、恐れともつかない。
ただ…
確かに“何かを見た”目だった。
店内の空気が、わずかに冷えた気がした




