懐中時計の記憶7
仕事終わり、車を走らせてあの店へ向かった。
昨日と同じ道、同じ夕方の光。
なのに、店の前に立つと、昨日より少しだけ入りやすい気がした。
暖簾は昨日と同じように色が抜けている。
風は吹いていないのに、ほんのわずかに揺れていた。
引き戸をそっと開けて中へ入る。
昨日と同じ乾いた空気。
古い木の匂い。
薄暗い照明。
ただひとつ違うのは…
店主が、奥ではなく、入口から見える机に座っていたことだった。
まるで、俺が来るのを知っていたかのように。
店主は顔を上げ、柔らかく微笑んだ。
「いらっしゃいませ。今日は早かったですね」
その言い方が自然すぎて、逆に胸の奥がざわつく。
昨日のことを覚えているのは当然だとしても、まるで“来る時間まで知っていた”ような口ぶりだった。
俺は少し不思議に思いながらも、愛想よく声をかけた。
「あの、すみません。懐中時計の手入れ道具って、置いてたりしますか?」
店主は一瞬だけ目を細め、すぐに首を横に振った。
「うちには置いてないんですよ。
でも、この近くに時計とジュエリーを扱っているお店があります。
そこなら、手入れ道具も揃っているはずです」
そう言って、店主は丁寧に店の場所を教えてくれた。
地図を描く手つきが妙に滑らかで、迷いがない。
まるで、何度も同じ説明をしてきたかのように。
「ありがとうございます。助かります」
そう言って頭を下げると、店主は昨日と同じ、いや、昨日よりも柔らかい笑顔を浮かべた。
「いえいえ。
大切にしてもらえるようで……私も嬉しいです」
その“嬉しいです”の言い方が、妙に胸に残った。
まるで、時計の持ち主のような口ぶりだった。
店を出ると、暖簾がまた小さく揺れた。
風は吹いていないのに。
了解。
ここは “昨日の骨董品屋の余韻を引きずりながら、次の店へ向かう” という移行シーンなので、空気の流れを切らさず、静かに不穏さを残したまま描いていくね。
店主に教えてもらった地図を思い出しながら、車をゆっくりと走らせた。
夕方の街はいつも通りのはずなのに、どこか色が薄く感じる。
さっきまでいた骨董品屋の空気が、まだ胸の奥に残っているせいかもしれない。
「時計とジュエリーの店、か……」
個人経営らしいその店は、住宅街の外れにひっそりと建っていた。
看板は小さく、派手さはない。
けれど、窓越しに見える照明は明るく、骨董品屋とはまったく違う雰囲気だ。
車を停めて店の前に立つと、ガラス越しに店内がよく見えた。
ショーケースがいくつも並び、腕時計や指輪が整然と並べられている。
清潔で、無駄のない空間。
ただ、
店の奥に座っている店員が、こちらをちらりと見た瞬間、
「気難しそうだな」
と直感した。
細いフレームの眼鏡。
背筋の伸びた姿勢。
無駄な動きが一切ない。
職人気質というか、余計な会話は好まなさそうな雰囲気。
骨董品屋の店主とは真逆だ。
「……まあ、道具を買うだけだし」
小さく息をついて、ドアに手をかけた。
ガラス戸が軽い音を立てて開く。
店内の空気はひんやりしていて、金属の匂いが微かに漂っていた。
ポケットの中の懐中時計が、わずかに重く感じる。
このまま店員に声をかければ、手入れ道具は手に入るだろう。
そう思いながら、一歩店内へ踏み込んだ。




