懐中時計の記憶2
店に入ってから、どれくらい経ったのか分からなかった。
入口近くの棚に置かれた懐中時計を、俺はただじっと見つめていた。
金属のくすみ。
細かい傷。
止まった針。
どれも古道具ではよくあるはずなのに、なぜか目が離せない。
懐中時計の表面に落ちる薄暗い照明が、まるで“呼吸”しているように見えた。
気づけば、店内の音がすべて遠のいていた。
外の車の音も、風の音も、さっきまで聞こえていたはずの風鈴の揺れる音すら消えている。
懐中時計だけが、世界の中心にあるような感覚。
そのとき、店の奥から、床板を踏む音がした。
コツ……
コツ……
ゆっくりと、慎重に、こちらへ近づいてくる。
その足音は軽いのに、妙に“重さ”があった。
まるで、足音そのものが空気を押し分けているような、そんな圧。
「いらっしゃいませ」
声は驚くほど柔らかかった。
その柔らかさが、逆に背筋をひやりとさせる。
暗がりから現れたのは、若い男性だった。
二十代後半くらい。
白いシャツに黒いエプロン。
骨董品屋の店主というより、喫茶店の店員のような清潔感。
笑顔も自然で、目元も優しい。
声も穏やかで、聞き取りやすい。
……なのに、胸の奥がざわついた。
理由は分からない。
敵意も威圧感もない。
むしろ、気さくで話しやすそうな雰囲気なのに。
なのに、どこか“深度”が合わない。
人と話しているのに、距離感が半歩ずれているような、そんな違和感。
「ゆっくり見てってくださいね」
柔らかい声。
優しい言い回し。
けれど、その言葉の“間”が妙に長い。
ほんの一瞬だけ、こちらをじっと観察するような沈黙が挟まる。
俺が懐中時計を見ていたのに気づいたのか、店主は少しだけ首を傾げて微笑んだ。
その微笑みは優しいのに、なぜか胸の奥が冷える。
「それ……気になるんですか?」
「あ、はい。なんか……目に入って」
「よかったら、お手に取ってみてください」
その言い方が、また妙だった。
押しつけがましくない。
むしろ丁寧で、気遣いすら感じる。
なのに、どこか“誘われている”ような感覚がある。
懐中時計の方から、俺の手を引いているような錯覚。
店主の声が、耳の奥にゆっくりと沈んでいくような感覚。
店主はにこやかに立っている。
柔らかい笑顔。
優しい声。
普通なら安心するはずの雰囲気。
なのに
理由のない不安だけが、じわじわと背中を這い上がってくる
俺は、ゆっくりと懐中時計へ手を伸ばした。




