懐中時計の記憶1
その日は、なんとなく遠回りをしたくなった。
仕事帰り、いつもの道を外れて、少し奥まった住宅街のほうへ車を走らせた。
特に理由はない。
ただ、気分転換に違う景色を見たかっただけだ。
……そのはずだった。
住宅街の細い道に入ると、急に空気が変わった。
街灯の明るさが一段階落ちたように感じる。
車内の温度は変わっていないのに、腕に鳥肌が立つ。
ラジオの音が妙に遠く聞こえる。
「こんな道、あったっけ……?」
何度もこの辺りを通っているはずなのに、見覚えがない。
家並みは普通だ。
新しい家も古い家も混じっている、よくある住宅街。
なのに、どこか“空白”のような違和感がある。
道が少し下り坂になり、カーブを曲がると、そこにあった。
骨董品屋。
こんな奥まった場所に、こんな店があるなんて知らなかった。
いや、それ以前に、こんな店が“存在していた記憶”がまったくない。
古びた木の引き戸。
色の抜けた暖簾。
店先には、錆びた風鈴がひとつだけ吊るされている。
車を停めた瞬間、風鈴がチリン……と鳴った。
風は吹いていない。
車のドアを閉めても、音は止まらない。
まるで、俺が来るのを知っていたかのように。
「……なんだ、この感じ」
胸の奥がざわつく。
足が重い。
近づくほどに、空気が冷えていく。
夏の夕方なのに、店の前だけ季節が違うみたいだ。
引き戸の隙間からは、古い木と油の匂いがゆっくりと漏れてくる。
その匂いが、なぜか“懐かしい”ようで、“知らない”ようで、胸の奥をざわつかせる。
入るべきか、やめるべきか。
理由はないのに、強い躊躇が生まれる。
「入るな」と言われているような気もするし、逆に「入ってこい」と誘われているような気もする。
風鈴が、もう一度、チリン……と鳴った。
その音に押されるように、俺は引き戸に手をかけた。
木の表面は驚くほど冷たく、指先が一瞬だけ震えた。
ゆっくりと引き戸を開けると、薄暗い店内の奥で、
ひとつだけ、異様に目を引くものがあった。
古い懐中時計。
金属はくすみ、細かい傷が無数に走っている。
なのに、なぜか“こちらを見ている”ような存在感があった。
まるで、俺が来るのを待っていたかのように




