153. 小さな逃亡者 ③
ノックの音がしてヤン婆さんが入って来た。
「ほれ、温かいミルクを持ってきたぞい」と言って盆の上に乗ったコップを差し出した。アレクはそれを受け取り、「飲めるか?」とヴィルヘルムの前に出すと、彼は顔を輝かせ「うん」と言ってコップを受け取り一気に飲み干した。
「おやおや、元気そうだね。良かった、良かった」とヤン婆さんが相好を崩すと、ヴェルヘルムは顔を紅くして「ありがとう、お婆さん。とっても美味かった。僕ね、とっても喉が渇いていたんだ」と言った。それを聞いたヤン婆さんは「おやそうかい。じゃあ、お代わり持ってきてあげようね。」と言って、再び台所に戻っていった。
「ヤン婆さんは一人でこの山小屋に住んでいるのかい」とアレクがサンギに聞くと
「いや、娘と二人で住んでいたはずだけど。ちょっと婆さんに聞いてきます」と言って婆さんの後を追って台所に向かった。
二人きりになったところでアレクはヴィルヘルムに向き直った。
「ヴィルヘルム、君は聖ピウス皇国の貴族か何かなのかい?」
ヴィルヘルムはビクッとし怯えた目でアレクを見た。
「怖がらなくて良い。僕は聖ピウス皇国とは関係ない、ずっと遠くの結界の向こう側から来た旅人なんだよ。だが、聖ピウス皇国のやり方には憤っているんだ」
「結界の向こう側?」
「そうだ。訳あって今は獣人国を旅している」
ヴィルヘルムは暫く黙っていたが、意を決したように話し出した。
「僕は聖ピウス皇国の貴族なんかじゃありません。僕の国はセルア王国と言って南の方にあります。お母様と僕はそこから逃れてきました。戦争が始まって、聖ピウス皇国が攻めてきたんです。それで僕の国が負けて、人質に僕とお母様が聖ピウス皇国に連れて行かれる事になりました。でも、お母様は今度こそ殺されるととても怖がっていました。お母様がユークリッド王国の王族だったからです。何でも、聖ピウス皇国はユークリッド王国の王族は根絶やしにするといっていたみたいです。だから、僕とお母様は舟をつかって、オロイ湖を渡ってクイル村って言うところに来たんです。そこで兄様に会ったんです」
「うん、なるほどな。ではその『兄様』というのは、本当の兄弟ではないんだな?」
「クイル村についてからお母様がおかしくなってしまって。そしたら僕より年上の男の子がいて、この子が貴方の兄様だから彼について行きなさいって」
「君の母上はどうおかしかったんだ?」
「何かぼーっとしていて、僕が何をいっても答えてくれなくて。あ、でもおかしくなる前に僕にこれをくれたんだ。絶対、これをなくさないようにって」と言って、ヴェルヘルムは手の中に碧玉のペンダントを出してみせた。
それはエルが持っているペンダントによく似ていた。