わたくしは夕焼けなんて大嫌い。だって貴方を思い出すから。
リディーネ・カティス公爵令嬢は、ルルド王国の王太子、アレンの幼い頃からの婚約者だ。
二人の仲は良好で、来年は結婚を控えていた。
17歳のアレンと同じ年のリディーネは、よく二人で王宮の広間でダンスの練習をしていた。
王立学園に通う二人、帰りは共に馬車で王宮へ行き、日が暮れるまでダンスの練習をする。
幼い頃からの婚約者リディーネ。王妃教育はすでに終わり、社交界で大人のダンスを皆に披露する為、ここの所、ひたすらアレン王太子と共にダンスを練習しているのだ。
「ダンスも色々と曲や決まり事があって本当に難しいですわね」
アレン王太子は華麗にリディーネをリードしながら、ダンスを踊る。
「そうだな。だが、貴族達の前で恥をかくわけにはいかない。共に頑張ろう」
そんな時間がとてもリディーネには愛しくて。
大好きなアレン王太子殿下。
彼と踊るダンスはとても楽しくて。どんな難しい決まり事も、沢山ある曲も、全て覚えて、未来の王妃として恥ずかしくないようにしたい。
そう思えて。
夕日が窓から差し込み、いつの間にか、日が落ちるまで、夢中になってダンスを練習した。
夕日に照らされるアレン王太子の顔が好き。
キラキラと金の髪が光って、とても綺麗で。
たまに疲れたら、広間からテラスに出て、一緒に夕焼けを眺めるの。
なんて綺麗な夕焼けなんでしょう。王都の街並みが一望出来て。
この王宮は高台にあるから。
星がキラキラと輝いて夜空を彩るその時まで、ともに手を繋いで、空を眺めるその幸せ。
リディーネは、アレン王太子の手の温もりを、そして、いつの間にかアレン王太子が見つめてきて、リディーネの唇にそっとキスをしてくれて。
あああっ…この幸せが永遠に続けばいいのに。
つい思ってしまう。
しかし、まさか、この幸せが壊れる日が来ようとは思わなかった。
隣国の王女がごり押しして、このルルド王国は小国で、隣国は大国で断れることもなく、アレン王太子は隣国の王女と婚約を結ぶことになった。
大国に逆らえないのは、仕方がない。
リディーネは婚約解消されて、絶望した。
人生が全て否定されたみたいで。
今まで頑張って来たのは?アレン王太子殿下と共に歩めると信じた未来は?
その日から夕焼けが嫌いになった。
二人で踊ったあの幸せな時間を思い出すから。
二人で夕焼けを見ながら、口づけを交わした日々を思い出すから……
隣国の王女は一月後にこちらへ来るという。
王国は王女を歓迎する為、国民全体を巻き込んで、派手に街を飾り付け、王女の歓迎ムードを演出する為に準備した。
そんな中、アレン王太子から王宮へ来るように、リディーネは呼び出された。
リディーネの父のカティス公爵は、
「どういう要件なのだろう。リディーネは婚約解消されたというのに」
母のカティス公爵夫人も、
「本当に。今更、リディーネにどういう用事なのでしょう」
リディーネは、
「行ってきますわ。要件を聞いて参ります」
馬車に乗り、一人で出かけた。
王宮の広間で、アレン王太子は待っていて、
「リディーネ。踊ろう」
「何を言っておられるのです。もう、わたくしと貴方は婚約解消したのです。ダンスを練習する必要はありませんわ」
「私は君と踊りたいんだ」
楽団が曲を奏でてくる。
リディーネはアレン王太子といつものようにダンスを踊った。
もう、皆に披露する必要もないダンス。
悲しくなる。
アレン王太子はリディーネを抱き締めて、口づけをしようとした。
リディーネは慌てて離れる。
「わたくしは貴方様とはもう、関係ないのです」
「私はリディーネの事が忘れられない。リディーネ。好きだ」
「隣国の王女様と結婚なさるのでしょう?」
「私の本意ではない。父上が決めた事だ」
「でしたら、それに従うのが、王太子としての貴方の在り方では?」
「でも、私は君の事が」
隣国の王女はプライドが高い方だと聞いている。側妃とか許さないだろう。
リディーネは聞いてみる。
「貴方様はどうしたいのです?側妃など、王女様が許すとは思えません。カティス公爵家の娘としてもわたくしは側妃になる事は受け入れられませんわ。それとも貴方は王太子をおやめになりますの?」
「それはない。息子は私しかいないのだ。私は王太子になる為に生まれてきたのだ。今更その地位を捨てる気はない」
「でしたら、わたくしとどうなりたいのでしょう」
答えは無かった。
リディーネは背を向けて、
「二度とわたくしを誘わないで下さいませ。失礼致しますわ」
いかに愛した人とはいえ、その態度に頭に来た。
優柔不断。
そのような事で王国の王太子は務まるのかしら。
それからも、アレン王太子から、学園の帰りに王宮へ来るようにと誘いがあった。
学園でもしつこく付きまとってくる。
「リディーネ。一緒にお昼を食べないか?」
「いえ、わたくしは他の方と食べますので、お構いなく」
学園中で噂になった。
アレン王太子がリディーネに付きまとっていると。
来月には隣国の王女がこの王国に来るのだ。
リディーネは助けを求めた。
この王立学園の学園長、ブレスト王弟殿下にである。
ブレスト王弟殿下は、大変頭がよく、この王立学園の学園長を務めていた。
リディーネは彼を尊敬しており、ブレスト王弟殿下が学園で特別に行う定期講演を、忙しい時間の合間に聞きに行く程だった。
その時に他の生徒達と共に、特別に部屋で質問をする機会に何度か恵まれて、顔見知りだったのだ。
リディーネは尊敬するブレスト王弟殿下に相談した。
「敬愛するブレスト王弟殿下。わたくしの為に時間を取って下さり申し訳ございません。アレン王太子殿下がわたくしに、付きまとってくるのです。もう、婚約は解消されたというのに。わたくしはどうしたら……」
ブレスト王弟殿下は両腕を組んで、
「あまり、王家の人間として言いたくはないのだが、アレンは君と隠れて付き合いたいのではないのか?君の事を離したくはないのではないか?側妃よりも、ずるい扱いだとは思うが」
リディーネは怒りまくった。
勿論、心の中で。
自分を何だと思っているのだろう。都合のよい女?
アレン王太子殿下に縋るとでも思っているのだろうか。
リディーネにだってプライドがある。
ブレスト王弟殿下は、リディーネに向かって、
「リディーネも、誰かと婚約を結んだ方がよいのではないのか?」
「でも、高位貴族の令息達は皆、婚約者がおりますわ」
「それならば、私なんていかがかな?歳が離れすぎていて嫌だろうか?」
ブレスト王弟殿下は10歳、リディーネより年上の27歳。何故かいままで結婚していなかった。
ブレスト王弟殿下は慌てたように、
「王立学園学園長、王立図書館長、色々と兼ねていると忙しくてね。講演もしなくてはならなくて。私もいい加減に家族を持ちたいと思っていたのだ。君さえよければ、カディス公爵家に話を入れるが。それともこんな年上は嫌だろうか?」
「ブレスト王弟殿下が教育熱心だという事はよく存じておりますわ。前向きに考えたいと思います」
「有難う」
カディス公爵も、名の知れたブレスト王弟殿下が娘の婚約者になるのならと、喜んでくれて、あっという間にブレスト王弟殿下とリディーネとの婚約が調った。
まだ発表していないのに、学園でアレン王太子殿下がリディーネに詰め寄ってきた。
「叔父上と婚約を結んだそうだな」
「ええ、わたくしだって貴方様と婚約を解消したのですから、次の婚約相手を決めないとと思っておりましたの。そう致しましたら、ブレスト王弟殿下がわたくしを是非にと望まれましたので」
「私の君に対する気持ちを知っていて、私が君を愛している事を知っていて。叔父上は君と婚約を?」
「だって、アレン王太子殿下は、隣国の王女様と結婚なさるのでしょう?わたくしはわたくしの人生を考えないといけないと思ったのですわ」
「君って人は、なんて冷たい」
「貴方様の方こそ、なんてずるい」
「私がずるいだと?」
「わたくしの気持ちなんて考えない。わたくし達は婚約を解消したのです。わたくしはわたくしの人生を、貴方様は貴方様の人生を歩まなければなりません。それが王国の為なのですから。貴方と夕日の中で踊ったダンス、忘れませんわ。どうか王女様と幸せに。さようなら。アレン王太子殿下。もう、わたくしにかまわないで下さいませ」
涙がこぼれる。わたくしはまだアレン王太子殿下が好きなのだわ。
ずるい人。男らしくない人。それなのに。
さようなら。わたくしは夕焼けなんて大嫌い。だって貴方を思い出すから。
アレン王太子殿下は、隣国のマリー王女を一月後迎えて、盛大な結婚式を挙げた。
マリー王女はマリー王太子妃となった。
それを、ブレスト王弟殿下とリディーネは共に、祝いのパーティに出席した。
ブレスト王弟殿下と共に、リディーネは美しい紫色のドレスを着て、祝いの言葉を述べる。
「おめでとうございます」
マリー王女はにこやかに、
「貴方が、前のアレン様の婚約者?まぁ綺麗な方ねぇ、盗ってしまってごめんなさい。これも政略だから許して頂戴」
これみよがしに、アレン王太子殿下の腕に絡みつくマリー王太子妃。
でも、もう、何も感じない。
アレン王太子殿下はこちらをじっと見つめてくるけれども、今のリディーネには過去の人だった。
ブレスト王弟殿下はとても忙しい人だけれども、リディーネとの時間を取ってくれて、甘やかしてくれ、色々な所へ連れていってくれて。
卒業後に結婚式を挙げる事になっている。
街の丘の上に、とある日、馬に乗せてくれて連れて行ってくれ、二人で王都のはるか彼方に沈む夕日を見た。
アレン王太子殿下とダンスを踊った後に見た夕暮れ、ふと思い出して涙がこぼれる。
ブレスト王弟殿下は優しく背後から声をかけてくれて。
「無理して忘れる必要もない。失恋もリディーネの人生の一つだから」
「わたくしはアレン王太子殿下が好きだったの。夕焼けなんて大嫌い」
「そうだね。ずっと嫌いでいいから。でも、いつか夕焼けも素敵な思い出になるように上書きしていこう。私と共に」
ぎゅっと背後から抱きしめてくれるブレスト王弟殿下の温もりが嬉しかった。
ブレスト王弟殿下と結婚してからも、何故かアレン王太子殿下から、秘密の手紙が来た。
― リディーネの事が忘れられない。愛している。会えないだろうか? -
その手紙は暖炉で全て燃やした。
王女様に知られたら身の破滅でしょうに。何故、解らないのかしら。
夫になったブレスト王弟殿下に頼んで、厳重注意して貰ったら手紙が来なくなった。
これでやっと、安心して生活出来るわ。
リディーネは、そう思っていたのだけれども……
とある王宮のパーティで、化粧室へ行こうと廊下を出たところで、待ち伏せされていたのだ。
アレン王太子殿下に。
「リディーネ。会いたかった」
「何故?お断りしたはずですわ。貴方とわたくしはもう何も関係ありません」
「私が君の事を諦められるとでも?あああ…どうか、私を忘れられないと縋ってくれ。叔父上と別れて、私と秘密の恋人になっておくれ。私はリディーネがいないと駄目だ」
「マリー王太子妃様に知られたら隣国の貴方に対する印象が悪くなるでしょう。王国を滅ぼすつもりですか?」
「解っている。解ってはいるが。心が追い付かないのだ。あの日々を忘れろとでも?君と共に長い間過ごしてきた。君と一緒にダンスを練習してきた。あの日々を忘れろというのか?」
泣きながら、自分に両手を差し出して近づいてくるアレン王太子。
そんなアレン王太子を見て、リディーネの瞳から涙がこぼれる。
とても愛していた貴方。
でも今は大嫌いな貴方。もう、二度と会いたくないと思った貴方。
何故、しつこく縋ってくるの?縋ってくるのは貴方ではないの?わたくしは貴方の事を忘れようとしているのに。
リディーネは優雅にカーテシーをし、頭を下げて、
「さようなら。アレン王太子殿下の御世をわたくしは楽しみにしております」
アレン王太子は頷いて、
「解ったよ。さようなら。リディーネ」
そして名残惜しそうに背を向けた。
夕日が廊下の窓から差し込んで、それがとても切なく見えて、
しかし、アレン王太子の次の一言が頭に来た。
「君が縋ってくれたら、私は君と秘密裏に愛し合うつもりだったのに」
リディーネの何かがぶつりと切れた。
つかつかと近寄っていって、思いっきり睨みつけながら、
「結局、わたくしを都合の良い女扱いをしているのではなくて?」
「都合の良い女でいればよかったのだ。そうすれば私はリディーネと一緒にいられたのに」
「アレン様。これは一体全体どういう事でしょう」
凄い形相でマリー王太子妃が睨みつけていた。
その背後にいるのは、ブレスト王弟殿下であり、非常ににこやかに微笑んでいる。
アレン王太子は後ずさりをし、
「誤解だ。誤解。私とリディーネはなんでもない」
リディーネはブレスト王弟殿下の傍に行って、
「あああ、アレン王太子殿下からしつこく付きまとわれてっ」
「ほほう。あれだけ苦情を言ったのに、どういうことだ?アレン?」
マリー王太子妃はアレン王太子の傍に行き、
「わたくし、浮気は認めませんの」
「すまなかった。マリー」
「貴方は王太子として自覚が乏しいようね。そうね。わたくしに子種さえ下さればよろしくてよ。早々に病を経て、儚くなってもらおうかしら。」
マリー王太子妃も怒りまくっているようだ。
アレン王太子は頭を下げて、
「毒杯だけは勘弁してくれ。私は生きたい」
「よい心がけだわ。エスコートして頂戴」
アレン王太子はマリー王太子妃をエスコートして、去って行った。
その後のアレン王太子殿下は二度とリディーネに付きまとう事はなかった。
マリー王太子妃の尻に敷かれて、一生、頭の上がらない生活を送ったとされている。
リディーネはブレスト王弟殿下を助け、王国の教育の為に夫婦ともども身を捧げ、王弟夫妻は素晴らしい功績を残したと二人が亡くなった後も後世の人々まで伝えられた。
老後の二人は良く、自宅の眺めの良いテラスでお茶をして、
「昔は夕焼けは嫌いだったけど、今は大好き。だって愛しい人とこうしてのんびりと景色を楽しむことが出来るのですもの」
そう言いながら、二人で幸せそうに夕焼けを眺めていたと言われている。