√6 夜闇の森に魔術の明かりを
夜に活動する獣は、この森では中型の捕食動物が該当する。
夜目の効くネコ科の動物や、視覚を使わずに周囲を把握できる大コウモリなどがいた。
俺は不自由する夜には動くつもりはない。しかし自然界は得手不得手を考慮することはなく。
「ギチチチチチッッ!!!!」
空間が軋むかのような耳障りな擦過音を上げるのは、昆虫の群体である。
やつらは感覚器官である触角が主に脚部に生えていて、夜でも周囲を十分に把握している。
また、緩く曲がったハサミのような大顎を備えている。もしも囲まれてしまったならば、一瞬で骨の髄まで食い尽くされそうだ。
いかに俺の身体がドラゴンで、優れた膂力を持とうとも、大勢を一息に殺せはしまい。
つまり、こういう群れからは逃げる他ない。
幸い──虫に追われている時点で不幸──木の上の空間までは追ってはこれないようなので、浮きながら様子を見ていた。
夜の間、どこか安全に過ごせる場所がないか探そうかと思っていたが……こいつらのせいで、寝床を探すどころではない。
虫が嫌いになりそうだ……
こういう時には、魔術が使えれば蹴散らせたりしないだろうか。丁度経験値もあるし、《魔術基礎知識》を習得してみようか。
習得……がっ…なっんだこれは?!頭に凄い違和感がするんだが?!
覚えのない記憶が、勝手に思い出される。しかしその記憶を前々から知っていたような感覚がして、不自然さに酔うように思われた。
気合いで以て揺れる身体を制御し、墜落は避けた。が、暴れたせいで高度が下がった。一旦着地して、また離陸すべきだな。
……ああ、そりゃあ来るよな。結構近かったから……
騒々しく不快な、軋み歪んだ音が、辺り一帯を埋め尽くす。
黒い波のような群れが、木々の間を縫うように──或いは、満たすように──此方へ向かってくるのが、嫌でも視界に入ってきた。
地獄かな?
こうなると、慣れていない飛行よりかは走った方が良さそうだ。地面に降りて、疾走する。
背後に翅音を意識しながらも、思考は《魔術基礎知識》によって得た情報に向いていた。
魔術に使う文字と、それにより綴られる魔術言語。脳内にある仮想的な領域──メモ帳に似ている──に“意味のある”記法で魔術言語を書き込めば、現実に魔術が表れる。
さながらプログラムのように。
俺は今なら、簡単な魔術を使えるだろう。風を起こしたり、火花を散らしたり。
しかしながら、動き回る虫の群れを全滅させるにはそれだけでは少々足りない。
だから、工夫して火力を出す必要がある。
工夫の為には今の知識だけでは不足なので、《魔術の化学的知識》も取得する。これまた気持ち悪い感覚に襲われるが、走行には支障ない。
……良し、これならいけそうだ。
“基礎知識”の知識には、本当に基礎的な内容が詰め込まれていた。文字と文法、記法。それだけだ。
スキルを一つ取るだけで知り得る情報としては質が良いが、具体的な魔術を使う為の単語は他の知識系スキルに含まれていた。
だから、“化学的知識”によって齎された酸素の魔術言語にあたる単語を知りたかった。
古今東西、身体を炭素によって構成しない生物は理論の上にしか存在しない。
そして、そんな炭素は酸素と仲良しなのである。
急場凌ぎもいいところなスパゲティコードだが、くらいやがれ!
酸素を指定した生物に纏わりつかせる、簡単な操作の魔術と、一瞬ではあるが化学反応を起こすには十分な熱量の火花を散らす。
俺の全魔力の九割を食らって発動した魔術は、カッと光って群れの先頭で爆ぜた。熱量によって空気が沸き上がり、ごうごう風が吹く。
今ので三分の一は落ちただろう。残りの半分もホタルのように、ケツに火がついた状態で飛び散っている。
それ以外の虫は……ピンピンしている。普通の生き物が群れの三分の二も失ったら逃げるもんだが、虫は虫だ。
小さな腹を満たす為にか、俺に吶喊してくる。
初めての魔術に感動する暇すらも、俺には与えられないのであった。
もう魔力は使えない。ほぼほぼ魔力を失いかけて分かったが、俺の身体の機能のいくらかは魔力で補われている。
平時なら他の種よりも優れたパフォーマンスの要因となるそれも、魔力を欠いたならば不調、使い切れば臓器不全で速やかにあの世に誘われることだろう。
今からは、残党をプチプチやらなきゃならんわけだ……
飛来してきた、握り拳大の甲虫に腕を振るう。一撃で一匹を地面に叩き落とすことに成功するも、残りは三十もいるだろう。
火の魔術でこれの倍は落としたはずだから、元々は百匹くらいいたのではないだろうか。魔術が上手くいかなかった場合のことは、あまり考えたくもないな。
大顎が身体に食い込む。肉が摘まれて千切れそうになる感覚が、身体のそこら中から脳にまで送り届けられる。
「グゥオオオォォ!ァァア!」
痛みも何もかもを振り切るように、咆哮を上げる。やってくれるな、クソッタレの羽虫野郎ども。
そっちが俺を食うってんなら、俺にも考えがあるぞ。
俺は、焼け焦げた虫の死骸に手を伸ばした……