冬戦【_WAVE_7】四つの赤タグ
・7
プレイヤー名『みゆみふゆ』。用心棒の一人として働いていた彼女が、その名を知られるようになった原因とは、些細でありながら功績ともいえよう出来事だった。『地下区画八発の弾丸』。そこから彼女は、『用心棒』や『みふみふゆ』と呼ばれるよりも、親しみ、敬意をこめて『ガンスリンガー』と多くの人に呼ばれるようになる。当時、そのほとんどが彼女と会ったことはなかっただろう。年齢、身長、恋人の有無、なにも知らなかったはずだ。女だとは考えてもいなかっただろう。あのころその人物について知ってることと言えば、用心棒であり、赤タグであることぐらいだった。
『地下区画八発の弾丸』。
戦闘地域『村跡』に地下区画と呼ばれる場所がある。地中にはボスネズミがいて、その名は『イエスマン』。イエスマンが実装されて、最初に倒したのが彼女だった。
その男の頭はフェイスシールドのついたヘルメットで守られ、ボディアーマーも特別なクラス三を装備している。
倒せるようには作られていない。実装時に多くのプレイヤーがそんな考えをもった。
銃弾を当てようと向かってくる。頭は優秀なヘルメットが守り、体もボディアーマーが守っている。
貫通力の高い弾を使おうと、思うようにはいかなかった。そうでなくても「カッテエ。いくつ撃ち込めばいいんだよ」と。手榴弾が効かなかったという話もあった(現在では二つは耐えると言われている)。
地下という場所もそうだが彼の護衛ですら扱いに困り、わからないことが多く、当時、倒せるだろう手段を試しても一人として倒せるものがいなかった。撃ち殺されるか、ククリで殺されるか。
そこでみゆみふゆがやった事とは、相手の眉間に目掛けて八発の弾丸を当てたという。
シールドを撃ち抜き、その下の防弾眼鏡も撃ち抜いた。
午前九時頃、ガンスリンガーはセーフハウスにあるベッドで横になっていた。窓などない空間、彼女は天井にある唯一の明かりに目をやると、額に手を当て髪の毛に触れる。下着姿で、そこから体を起こすと、どこかへと行くわけでもなく人形のように動かなくなる。
左手を見て、左脚に触れる。
彼女は休めと言われても、何をすればいいのかわからなかった。
この数日にやったことは、セーフハウスで的当てをしたぐらいである。
ガンスリンガーはベッドから離れると、机に向かった。桜花爛漫は手元にない。そこにあるのは別の拳銃。銃弾に弾倉、ナイフなど。
『WAVE』を終了しますか。装置をいじっても、相変わらずその文言はなくなっている。
彼女が眺めていると、文書が届いた。『都市ミーモル』という文字。
短い文章で作られた内容だった。彼女はすぐに読み終えると、出かける支度をする。
食事をして衣服を着たりなどして、ガンスリンガーが向かった場所は非戦闘地域『都市ミーモル』の郊外にある建物だった。西の人間が建物の前に立っている。
彼女は呼び止められることはなかった。建物内に入ると、そこから階段を上っていく。
文書のとおり、彼女は指定された部屋に訪れる。一人掛けのソファが四つある。そこには既に二人ほど待っていた。だが、もう一人はどこにもいない。
『都市風守』の東で主に活動する、『ドット』がいる。彼はその大きな体に似合った堂々とした態度で一人掛けのソファに腰掛けていた。
彼と向かい合うように座っている女は『都市風守』の西『フロントライン』である。
「おうがはまだ来ていない」
ドットが言った。彼はガンスリンガーが部屋に入って早々その様子を見ていたのが気になったようだった。
「おうがが、今後の事、作戦について、話したいと言い出したわけだけど」
フロントラインは少しだけ呆れているように見えた。呼び出したのは彼だ。先に待ってても、罰が当たるわけでもないだろうというぐあいに。
ガンスリンガーは口を閉じたまま、空いている席に向かう。彼女にとっては「まあ、想定内」ではあった。
「黒虎」
ドットが呟くように言う。彼は相手が座ったのを見て、切り出した。
「止めを刺したと、ガンスリンガー、言ったな。その手でやったと」
「ああ。やった。私自身はあまり覚えていないところもあるが、それはみさややおうがも見ている」
「そうか」
「それが、なんだ?」
「倒せていないかもしれない」とフロントラインが言う。
「あれで生きているのか? 本当か?」
「昨日、報告があった」ドットは間を置く。「任務中、黒虎を見たと言っている。戦ったわけではない。が、五人が揃ってその目で見たとな」
「西でも、見たと言っている人がいる。これは生きていると考えていいと思う」
「生きているのか」
ガンスリンガーはあの雨の日を思い浮かべると、一心に考え込んだ。『脅威は去った』。そのはずだった。この知らせは彼女をひどく落胆させた。
重たい空気がしばらく漂い、沈黙が流れる部屋に男がひとりやってくる。風を吹き込むように、扉を開けて、姿を見せたのは赤タグの『おうが79』である。
「揃っているようだね」
ソファで座る三人は、同時に彼を見ていた。待ったぞ、というように。
「遅れてすまない。では、さっそく今後のことについて話そうかと思う」
「作戦か」とフロントラインは問いかけた。
しかし、彼は短く首を振る。ソファに腰かける。「いいや。まず、伝えておきたいことから。それは、君たちに話しておかないといけない」
ドットが、ガンスリンガーを一瞥する。彼女はそれに気付いたが、とくに質問する気にはならない。
「で、なんだ」そのあとの彼はそう言う。
「『WAVE』の崩壊。その可能性について」
「わかったのか?」
「ほぼほぼ決まったと考えていい。このことについて、君たちに話すのは初めてではないわけだけど、ここでもう一度言おうと思う。『WAVE』は崩壊しようとしている」
三人とも何も言わない。余計な口は挟まず聞こうとしていた。
「僕の仮説が正しければ、いや、これはもう言わなくてもいいだろう。ここ最近に見られる、オブジェクトの異常、不安定さが物語っている。断定はできない。でも、これは考慮してほしい。これからも、長く暮そうとしたとしても、いずれ『WAVE』はなくなるだろう」
「近いのか?」フロントラインが問う。彼女にもそんな考えはあった。
「回収地点の機能不全、亡霊スナイパー、原因不明の爆発事故。ほかにもいろいろと聞かせてもらった。騒動の日から、日に日に不具合と思えるような出来事が明らかに増えている。これまで多くのプレイヤーに報告してもらったんだ。君たちもそれについては知っているはずだ」
「崩壊後はどうなる? そこは濁していたが」ドットは以前に同じことを尋ねている。
「『WAVE』が壊れると、僕たちはどうなるのか。日本に戻れるのか。ふつうなら、何も問題なく『ゲーム終了』と考えていいだろう。崩壊後も生きて、何年もかけていつしか日本に戻れる、なんて考えもありだ。しかしこれは、後で話そうとしていた事とまあ関係があるんだけど、僕たちの想像とは異なる結果になる可能性もある」
「ミーモルか」
「みふゆ君、覚えてたか」おうがは向かいに座る彼女を見る。
「ミーモルがなに?」フロントラインは知りたいと顔に出ている。
「二人にはちゃんとは言っていなかった、これは突飛な発想だと考えていい、僕も納得できるように説明するのは難しい。いやできない。それでも僕は、非戦闘地域『都市ミーモル』とは、ゲームのなかではなく、本当にある『現実』ではないかと考えている」
「その話か」ドットが呟いた。
「そう。東でも、西でも、そんな話が長くあったんじゃないかな? あそこには異常もなかったから。僕もちらっとは二人に話したはずだ」
「それは、でも、これはゲームだとも、おうがは言っていたとおもう」彼女は言う。「現実に体はある。これはゲーム。常識を外した考えで、根拠がなくありえないって」
「僕も、フロントライン君と同じで、あの頃は否定的な見方をしていたんだ。だが、そうだな。例えばだけど、ミーモルの住人には日本語はわからないだろ? でも、僕たちは彼らの言葉を話せる。理解ができる。すべてがそういう見せ方であり演出だと思っていた。しかし、僕は違う気がしてきたんだ。ひとりで考える時間がたくさんあったから」
「地球じゃないどこかだって?」彼女は慎重に口にする。
「地球ではない。ミーモルの住人も地球を知らない」
「おうがは、それらしい根拠を求めていたと思うが、それはその時間で見つかったのか?」ガンスリンガーが静かに問いかける。
「ミーモルには生も死も存在する。『WAVE』には生も死もない。これが僕の出した判断の拠り所かな。すべてが、ひとの作った演出と考えるには、そこに見えるものが尊い。どうして、ゲームが、地球ではない別の世界に繋がってるのか説明できないんだけどね。別の世界、というのもまったくおかしく聞こえるが」
『WAVE』の世界崩壊後、都市ミーモルで暮らす。ミーモルの世界が、本当に実在するとした場合の考えだ。
『WAVE』には、いつしか居られなくなる。
しかしそれなら、日本にいるわたしたちはどうなる?
「そこで一つ、思いつくことがあった。これまで死んだプレイヤーはどこかで生きているのではないか。そう」
おうがは言葉がとまった。できるだけ適切な発言をしようとしている。うまい表現が見つからないとでもいうようで。
「ここからは妄想だと思ってくれ。『認識票』には秘密があるんじゃないかと考えてる」
ドット、フロントライン、そのとき二人はお互いの顔をすこし見ていた。
「認識票は僕たち、プレイヤーを、地球と『WAVE』に繋げる何かしら役割があるんじゃないかなと」
「そのまま身分証明だとでも言いたいのか? タグだ」ドットが言った。「それとも、もっと、なんだ? 切符か?」
「切符か。それもいいかもしれない。みんな騒動前は、戦闘地域でやられてセーフハウスで目覚める時、新しい認識票を持っていた。たとえ死んだとしても、死ななかった。今は違うだけで」
おうがは頭を働かせている。認識票には秘密がある。ところが、そこから考えがうまくまとまらないようだった。
『WAVE』には生も死もない。
黙って彼を見ていたガンスリンガーは、共に答えを探そうとする。「アリア」、「役割がある」、とはいえそこから筋道を立てて結論を出すのは彼女でも困難だった。
「作戦について話そうか」おうがは話題を切り替える。「次こそ、成功すれば、いまあったような悩みも無くなる。長かった『WAVE』。このゲームを、終わらせようじゃないか」
「次こそ、うまくやれるのか」
「私は不安だ」
ドットとフロントラインは思いを述べる。これから話す内容について、二人も多少知っている。実行に移したとしても必ず成功すると決まっているわけではないので、(弱気になるのは早いかもしれないが)心配になるのも無理もない。
「ゲームをクリアすれば帰れる。みんなそう信じて、ここまでやってきた。確証はない。帰れると決まっているわけではないからね。でも僕は『WAVE』崩壊と同じくらいには、次の作戦は確かなものだと考えているよ。無謀だとは言わせないつもりだよ」
「はじめよう」とガンスリンガーは言う。
「そうだね。では、まず整理させてもらう。僕たちの目標は『WAVE』このゲームの終了だ。現状では、プレイヤー全員がセーフハウスから『ゲームの終了』ができなくなっている。だから、そこから僕たちが考えたこととは、騒動前のこと、冬のイベントについてだった。冬のイベントが終わっていないのではないかとね」
「対象は、廃工場ボスネズミ『マグノシュカ』。これまで作戦は全部失敗している」ドットが補足した。
フロントラインが続けて言う。「出現理由はわからない。でも本来ほかの戦闘地域にいるはずのボスネズミが障害になってる」
「先に言っておく。今回は、僕たちで行く予定だ。確実なものにしたい。仲間もいれて。ガンスリンガーにはまだ答えはもらっていない。これは最後に聞こうと思ってる」
「わかってる」
彼女はすべての作戦に参加してきたわけではなかった。おうがも似たようなもので、東、西、参加させてもらえないこともあった。
「ドットは指揮を頼む」
「わかった」
「もしものことがあった場合を思うと、その後を頼める人がいない」
「ああ。理解している」
「フロントライン君とみふゆ君は殲滅だ。マグノシュカを狙え。廃工場を走ってもらうぞ」
「走るのは得意だ」
ガンスリンガーは静かに頷く。
「僕は、僕もネズミを倒すわけだけど、マグノシュカ以外のボスネズミを中心に、選ばれた戦友と相手させてもらう」
「結局そうなるのか」ドットは知っていた。
「僕は、君たち三人ほど、戦場を走り回れるわけではないからね。自分で言うのもなんだが、銃の扱いは下手くそなんだ。このことを言うと、いや十分当ててるよとか人から言われる。でもね、僕は赤タグのなかで一番弱いと感じてる」
「だから知識と経験で勝つと言っていたな」
「そう、だから、みふゆ君、君と僕が敵対していて、もし顔合わせてしまったら、必ず僕は撃ち負けるだろうね」
おうがは彼女を見詰めていた。仲間であると心強いが、敵対したら出会いたくない相手。騒動前から彼はそのように考えていた。戦場で撃ち合ったことはないとしても。
「それで、別戦闘地域のボスネズミの話をさせてもらうよ。これは『WAVE』のプレイヤーみんなが生んだ見事な成果だ。これを知ることがなかったら、今もずっと足踏みをしていただろう」
「おうがが始めたことだ」ドットは彼の行為に感服していた。
「それを言うなら、僕はみふゆ君と騒動後に会わなかったら、続けていなかったと思うよ。僕は騒動後、廃工場にこもっていた。倒す機会を窺っていたんじゃない。何が違うのか、知ろうとしていた。そこでみふゆ君と会った。みふゆ君は、その時とにかく戦闘地域を歩いて回ってた。僕と同じで、何が変わってしまったのかを知ろうとしていた。それで僕は頼まれたから、廃工場を調べることになったのだから」
「他に、頼めそうな人物はいなかった。あの日、会えてよかった」
「僕もだよ。君のことを知れるきっかけにもなったからね。それで話を戻すけど、もうこうして話をしているわけだから、既にわかってると思う。廃工場にいる別戦闘地域のボスネズミは、期待していい、どうにかなりそうだ」
「減らせると?」フロントラインは特に気にしていた。
「廃工場侵入前に、部隊を各々戦闘地域に向かわせる。そして、各個ボスネズミを撃破してもらう。それで、廃工場にいるボスネズミの数を減らせる」
「それには問題があったと思う。倒したからといって、廃工場にいることもある」
「そこは、うん、いることもある。一割だ。まだあまり正確な数字とは言えない」
「一割か。以前に聞いた時と変わらない」
けっして大きな数字ではない。だが油断はできない。廃工場にボスネズミが集まる状況は、包み隠さずいって苦でしかなかった。
フロントラインは黙ってしまう。
すると、ドットがおもむろに口を切った。
「ここから細かい話をする前に、ガンスリンガー、どうする? 最後とは言ったが、もう十分だろ。参加するのか、しないのか。それで決まる」
彼女は何も言わない。首を振ることもなかった。
「気になるところがあるか?」
「いや。しかし用意はできているのか? もう少し調べておきたいとも言っていた」
「それは、まあね」おうがは微妙な頷きをする。
「俺は、進むべき時が来たと思ってる」
フロントラインが顔を上げた。「私も。上手くいくと考えてる」
「そうか」とガンスリンガーは言った。そして、見落としている箇所はあるだろうかと彼女は思う。装備、人数、次実行しようとしている作戦は、これよりも。
「もう、みんな、帰りたいだろう」ドットはなかなか首を縦に振らない彼女を眺めるのをやめた。「なかには諦めている奴もいるが。ここに住もうと。生活をしようって。どっちがいいんだろうな。結局、今になっても答えは見つからない。帰りたいという気持ちがあっても、帰る努力をするのか、ここで生活をしていく努力をするべきなのか」
「東は、帰ることを一番に考えていたと思うが」
「東にも、そういう考えはあるってことだ。だから、どっちも、というわけにはいかなかった。お互いに理解して、生きていくということができるのならいいんだろうが。戦うということは、それだけ水に食料物資は減る。そこのところはうまく調節してきたつもりなんだがな」
「難しいだろう」とおうがは言う。
「苛立ちから八つ当たりをするやつもいる。だいたい弱いと判断した者を攻撃する。閉じ込められたあと、フロントラインと話し合ったもんだ」
「戦場で、会話ひとつしたことなかったのに。あの頃は、みんな必死だった」
「俺のやり方に従えないものは必ずいる。だから、そういった人を含めて、支えてあげてくれないかとそのときフロントラインに頼んだ。誰かが統率していくにしても、東だけあっても無理だとわかっていたからな」
ドットは間を置く。
「しかし、まさか『WAVE』のプレイヤーのなかに子供がいるとは思ってもいなかった。高校生ならまだわかる気がするが、中学生がいるとは」
社会で働いているものばかりではない。そうであるように悩みは多く存在した。
「これまで、自殺するやつもいた。そう聞いている。ゲームだから、足を失わない。目でものが見れる。耳で音が聞ける。ガンスリンガーが手足を失ったと聞かされた時は言葉を失った」
ドットは真剣な声で言う。
「仲間がいたから、俺はここまでやれて来れたと思ってる。一人ではなにもできなかった。なんにも。必死だったあの頃とは、なにかと変わった。しかし変わらないものもある。生きるために戦う。俺たちはこれからも生きていく。そこを見失った覚えはない。明日もくる。参加するのか、明日返事を聞かせてほしい」
彼は会議はこれで終了だと部屋を出ていった。
ガンスリンガーは赤タグの彼らと別れた後、都市ミーモルにある料理店セルブに訪れる。話し合いが終わった。その後の予定は決まっていなかった。彼女は考え事もあったので落ち着ける場所を望んだ。
料理店セルブのタニア・フェルトンはそれはもう珍しそうにガンスリンガーを見ていた。彼女が一人でやってくるなんて。考え事に耽っている。
空腹というわけではなかったがガンスリンガーは料理を注文すると、テーブルから離れず話さず、軽い食事をした。
食事が済み、出された水を飲もうと、心が決まるということはなかった。
彼女はセーフハウスに向かった。戻る前に、確かめておきたいことはある。だが、ひとまず「作戦」について思考を巡らせていた。明日でも、明後日でもいいことは、後回しにすればいい。
ガンスリンガーはセーフハウスに戻って、その三十分後セーフハウス内にある射撃場に向かう。そこで拳銃を手に取り、弾倉をいくつか用意すると、それを机に並べる。ヘッドセットを装着する。
サブマシンガンでもよかった。アサルトライフルでもよかった。それでも彼女は拳銃を手にする。
セーフハウスにしばらくのあいだ銃声が響く。
彼女はもういいだろうと思うところで射撃場を離れると、簡易なシャワー室に向かう。時間は夜、寝るには早い。腹は減っていない。
彼女は石鹸を使って体についたそれを流し、水を止めると、床に落ちる水滴とは異なった物音が聞こえてくる。誰かがセーフハウスにやってきたようだった。
「アクアか」
ガンスリンガーは濡れた体で出るとそう言った。
「おっと、汗を流してた? タイミング悪かったね」
「少しだけ待ってほしい。すぐに体を拭く」
ガンスリンガーはたとえ見られようとそこに急ぐようすはなかった。恥ずかしがる素振りもない。「セーフハウスに入れる」ということは、体を洗っている時であろうと、その人がやってきても問題ないから許可している。
ガンスリンガーは髪の毛や肌についたしずくをとっていくと、頭にタオルを被せたまま下着をつけていく。
「このままでいいか?」彼女はそう言って、近付いていく。
「ああ、お好きにどうぞ。ケイカ相手なら、上に一枚ぐらい着てとか言うかもしれないけど、私はね」
アクアは机の上にある物を眺めていた。暗い部屋だ。物はあっても、どことなくさびしい部屋だ。明かりと呼べるものは少ない。
そしてここは地下ではないかと思うくらいに窓がなく、風通りの悪い場所でもあるので、さきほどから室内には石鹸の香りが漂っている。
「そこ」アクアは机を指さした。
「うん?」
「のののから預かってきた。メンテナンス。整備完了。異常はなしだって」
「持ってきてくれたのか。明日、取りに行こうかと思っていた」
「ついでってだけ」アクアはそう言うと、気付かれないよう目をやる。桜花爛漫に触れる相手の左脚と左腕を注意深く見る。「体に異常は?」
「異常はない。失ったとは思えないほどに、好きに動かせる」
「そっか。それならよかった」
「中澤ちかは? 元気にしているか? 藤原さやかも」
「元気だね。ずっと元気。二人とも。でも、腕と脚の事は隠すことができなかった。中澤ちかが街で聞いたらしくて」
「無理なことは私も知ってる。気を配ってくれてありがとう」
「次会ったら、質問攻めにあうこと覚悟しておいたほうがいいかもね」
「それは、大変そうだ」ガンスリンガーは笑っていた。「これは、なに?」
彼女が見つけたのは封筒だった。
「だいぶ前に頼まれたやつ。ガルバルが使ってた薬物の分析結果。まだガンスリンガーには見せていなかったから」
「ツガクの。そのとき手に入れた」
「効果は、もうそれと同じものを人から見せてもらったり、聞いたりしただろうけど、持っておきたいんじゃないかなと思って」
「うん。助かる」
ガンスリンガーは封筒のなかを見て、元に戻した。ガルバルの持っていた薬物について、ここで広げる必要はない。十分に目を通してある。
「それで、作戦の話はどうなったの。もう四人集まって話した?」
「今日、集まった」
「内容は?」
「希望を持っていいと思う」
「その言い方だと、賛成していないなあ? なにか問題があった? やっぱ、マグノシュカもそうだけど、ボスネズミを倒していくというのがきつい?」
「ボスネズミは、もちろん簡単ではないと思う。死の恐怖がある。でも、ガルバルの薬物の効果を知ることができたように、ボスネズミという脅威は以前よりも減ってる」
「じゃあなに?」
「……アリア」
「アリアがどうかしたの?」
「私は、アリアが何をしようとしているのか知りたい。目的を」
「いままで返事は無かったんでしょ? どれだけ呼び掛けても」
「アクア、アリアが私にリストを渡してきた理由は何だと思う?」
「急に届いた文書、その一つそこには赤タグの名前が書かれてた。渡した相手の――ガンスリンガーの名前も書かれていた。うん、普通に考えればなんでしょうね。警告なんだと思うけど」
「どうして、私以外の用心棒がいない」
「どうしたの? らしくないじゃない。上手くいくと自分ではわかってるのに、自分ではどうにもならないような、予想もしないことが起きるような気がして、しかたないんでしょ」
「……よくわかるな」
「医師ですから」
アクアは得意げな顔をしていた。それから、ガンスリンガー、と彼女は呼ぶ。
「あなたは覚えていないだろうけど。でも、でも私たちがいるでしょ。しっかりサポートしてあげる。もうあなたは一人じゃないんだから」
翌日、出かける支度をして、ガンスリンガーが向かったのは昨日と同じ都市ミーモルの郊外にある建物だった。作戦に参加するのか返事をしないといけない。彼女の返事次第で実行に移すかどうかが決まる。フロントラインの横で、彼女の代わりとなるものなどいない。
部屋には、赤タグである三人がいた。
彼女は早々と口を開くことはなかった。そのまま歩いて一人掛けのソファに座る。
ブルー・ドラゴン、酒を飲んでいる。ドットはグラスを置くと尋ねた。
「それで、どうだ、決まったか?」
「ああ。このゲームを終わらせよう。私も参加する」
「よし。決まった」