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かどわかし



 有吉内膳の屋敷を辞し、田原町の大通りに達する辺りで降り出した驟雨の中、小次郎は帰途を急いだ。


 借りてきた傘を雨粒が叩く。

 

 その単調な音の反復を耳にする内、先程、次席家老の口から出た「性質の悪い冗談」とやらが心の奥で燻った。






 例えば、わしがお浜を娶るとして……

 

 いやいや、何を呆けておる。論外じゃ、それは論外じゃ。

 

 されど、切れ者の次席家老が似合わぬ戯れ言を敢えて口にした以上、何か深き意図を含みおる筈。

 

 例えば、わしが武蔵を破ったとして、その先はどうなる?

 

 幕府がキリシタンの教えを禁ずる姿勢は、他国の影響を排する国策そのものじゃ。一介の兵法家は元より、藩主の力を以てしても抗えはしない。

 

 だから、忠利を介して幕府が小倉の実権を握った場合も、お浜の身が立つ方策、命を長らえる途を考えよ、と仄めかしたのではないか?


 確かに逃がす頃合いを誤ったが最後、打つ手は無かろう。


 まして、わしが敗れ、老い首を取られる恐れもある。如何な方策を取り得るか、先回りして考えておかねば……

 

 

 

 

 

 考えて、考えて、考えあぐね、小次郎が足を止めた時、曇天を裂き、稲妻が閃いた。

 

 いや、閃いたかに思えた。

 

 周囲を見回すと、相変わらずの小雨の中、呑気に歩く町衆ばかり目立つ。

 

 しかし、小次郎は己が全身を貫く衝撃を確かに感じた。稲妻と見紛う程の苛烈な眼差しを背中へ浴びせた奴がいる。

 

 到底、尋常の相手ではない。

 

 武蔵か?

 

 又、何かの奇策をこちらへ仕掛けて来るつもりなのか?

 

 嫌な予感が込み上げ、右手の傘をかなぐり捨てて、小次郎は白髪交じりの総髪をそぼ降る雨に晒した。

 

 備前長船の柄に手をかけ、道場の方角へ全力で走り出す。






 息を切らし、辿り着いた道場の表では、門人と屋敷の使用人が慌しく辺りを駆けずり回っていた。

 

「何事じゃ、何があった!?」


 掠れ気味の声を絞り出すと、師範代の桃井が駆け寄ってくる。


「お浜が……さらわれました」


「わしの留守中、腕の立つ者で屋敷を見張れと言うたろうが」


「……申し訳ありません」


 俯く桃井の稽古着から、絶え間なく水が滴り落ちる。


 雨の中、必死でお浜の行方を捜したと察し、小次郎は怒鳴りたくなる気持ちを抑えて苛立ちを噛み殺した。


「して、曲者は何奴じゃ。先日の無礼な二刀流か」


「いえ、黒装束の二人組が忍び込み、瞬時に見張りを倒した上、お浜殿をかどわかしたと聞いております」


「……黒装束」


 咄嗟に幕府の隠密だと小次郎は思った。だが、彼らと宮本武蔵の間に、如何なる繋がりがあるのだろう?


 世に名高き剣豪が忍び如きと行動を共にするとは思えなかったが、今はお浜を探すのが先決だ。


 腹を切ると言い出しかねない桃井を叱咤し、引き連れて、道場を飛び出す。

 

 かどわかされて四半時が過ぎ、とうに逃げ去ったと桃井は考えているらしい。だが、小次郎には別の思惑があった。

 

 お浜をさらった狙いが船島の試合と関わっているなら、隙を見せる事で下手人の方から接触してくるのでは、と考えたのだ。

 

 わざと道場の裏、見通しが悪い雑木林の中へ踏み込んでみる。

 

 さぁ、ここならわしは狙い放題じゃぞ。

 

 自身を囮にする師の思惑を見抜けず、当惑しっぱなしの桃井の頬を掠めて、いきなり何か飛んできた。

 

 予期していたから、躱すのは容易い。


 動転した桃井の方は、のけぞったまま尻餅をつく。


 良い奴だし、稽古も熱心。若い奴の良い見本なのだが、腕と度胸の方は何とも……惜しいのう、桃井。


 ほっと吐息を吐き出した小次郎は、十字型の手裏剣が木の幹へ突き刺さった角度を確認し、放たれた方向を見定めた。


 前方の暗がり、幾つかの影が蠢く。

 

 桃井に「動くな」と告げ、小次郎が距離を詰める。すると、気配を殺していた黒装束の二名が木陰から姿を現し、忍び刀を手に襲い掛かってきた。

 

 小次郎は備前長船を抜かず、脇差で対する。


 林の奥では周囲の木々が邪魔で長い刀を使えない為だが、それはこちらも承知の上。わざと相手に有利な状況を作り、仕掛けずにいられない心境へ導いたつもりなのだ。

 

 とは言え、やや見通しが甘かった。

 

 二対一の闘法を十分修練しているのだろう。ヒュッと風を斬る刃、その度にふっと吐き出す息吹の繰り返しが、二名の忍びの間で相互に行き交い、絶妙の連携を生み出す。


「先生、一人が懐へ手を!」


 桃井の叫びを受けて、小次郎は咄嗟に小袖の袂で顔を覆い、投げつけられる目つぶしの粉を防いだ。






 元より、忍びの闘い方に卑怯も何も無い。


 獲物の命を奪う目的に特化しており、刀に毒が塗られている恐れもあるから、僅かな油断も命取りになる。


 ぶつけられる純粋な殺意は、実戦から遠ざかっていた老剣豪の感覚を研ぎ澄ますのに好都合だが、反面、腑に落ちない部分も小次郎の胸に燻っていた。


 敵が武蔵の手の者なら、ここで密かに手を下すより試合で打ち倒す事をこそ望むのではないか?


 隠密の仕掛けだとすれば、お浜をさらう目的は、人質にし、試合における小次郎の敗北をより確実にする事だろう。その結果、藩主の面目は失墜、幕府の望む世代交代が円滑に進む。


 そして、そのどちらの場合でも、小次郎の暗殺は百害あって一利無し。試合の前に死なせたら元も子も無い筈なのに……


 何か、敵の側に「船島で打ち負かす」目的を変更する何か、深刻な事情の変化でも生じたのだろうか?






 ともあれ、息つく暇のない辛辣な攻撃に小次郎は手こずった。

 

 更に奥からもう一人、一層強い殺気を放つ男が近づいてきて、大刀と脇差を同時に抜き放つ。

 

 こ奴が件の二刀流か!?

 

 暗い林の中で表情は読み取れない。

 

 顔立ちが判った所で、宮本武蔵の風貌を知らない小次郎には、対する相手が真に噂の剣士か否か、見定める方法は無い。

 

「桃井、お主の脇差を貸せぃ!」

 

 小次郎の声に応え、慌てて駆け寄る桃井へ黒装束の一人が襲い掛かった。


「ひっ!」


 突きを眉間へ食らいかけ、のけぞる桃井を小次郎が突き飛ばす。再び派手に尻餅をつく寸前、その腰から脇差を取り、小次郎も又、二刀を構えた。

 

 師・富田勢源が極めた短刀術。その本質は使う武器の如何に関わらず、どんな敵へも対応できる臨機応変さにある。


 晩年は盲目に陥りながら、誰にも後れを取らなかった師の動きを小次郎は脳裏に描き、正確に再現してみた。


 この戦い方なら、林の狭さは不利に働かない。即席二刀流とは思えない冴えが、黒装束二人を圧倒していく。


「ちいっ」


 ヒュウと風を裂く音がし、敵の頭目らしき二刀使いの男が舌打ちした。


 撃ち合おうとする二人の間を阻むように何者かが小柄を投げ、両者の丁度中間の位置、一際太い木の幹に深々と突き刺さったのだ。


 誰か戦いを止めようとしている。


 その誰かが何者であれ、襲撃者にとって想定外だった様だ。


「おのれ! あ奴、又、邪魔しおって」


「……あ奴、それは誰の事じゃ?」


 小次郎の問いに二刀使いは答えようとせず、仲間の二人に後退を指示。自身も後ずさりながら一言吠えた。


「明日の暮れ六つ、うつぼ小屋の浜で待つ」


 こちらが返事をするより先、曲者どもは姿を消している。


「桃井、聞いたか? 今の話、道場では一切、他言無用とせい」


 背後から答えは無い。


 振り返ると、先程、尻餅をついた弾みで頭を打ち、桃井は綺麗に白目をむいて気を失っている。


 惜しいのう……大事な場面で、お主はいつも……

 

 呆れ気味に不肖の師範代を見下ろす小次郎だが、曲者の捨て台詞を彼自身の他、誰にも聞かれなかったのは、むしろ好都合だ。


 待ち合わせの浜へは、わし一人で赴く。


 既に小次郎はそう決めている。


 未熟な奴らを連れていっても餌食になるだけの事。


 もし相手が武蔵本人で、きな臭い舟島の試合より一足先に決着が付くなら、それこそ望む所じゃ。

 

 口中で呟き、敵が姿を消した方角を見やる。


 二刀流の男が言う「あ奴」なる者、まだ何処かで身を潜め、こちらを見つめている気がしてならない。


 先程、街中で浴びせられた尋常ならざる裂帛の気を闇の奥へ濃く漂わせながら……


読んで頂き、ありがとうございます。

あと一話で終わります。

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