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細川家の暗闘



 その後の数日間は何事も無く過ぎ去り、二刀流の男も道場へは姿を見せていない。

 

 少々拍子抜けした矢先、試合の詳細が決まったとの知らせを受けて、小次郎は有吉内膳の屋敷を訪ねた。

 

 小倉城に程近い広大な屋敷の門を潜り、庭の離れにある詫びた風情の数奇屋へ通されて、待つ事しばし。

 

 茶頭口から現れた次席家老は糸の如く細い目を小次郎へ向け、正面に腰を下ろす。

 

「来月の十三日、先方の合意も得ました」


「……ほう」


 この時、小次郎が頷いた意味を、内膳は知るまい。


 先方の合意を得た、という言葉は、既に武蔵が小倉へ乗り込んでいる事実を裏打ちする。やはり、先日の道場破りは本人であったのかもしれない。


「舟島での試合、立会人は筆頭家老・長岡佐渡殿と、この私で相務める。選ぶ得物は真剣なり木刀なり、構い無し。双方、当人のみで島へ渡り、船頭以外は門人、縁者、一切の同道相成らぬものと決まりました」


 前置き無しで要件を告げ、返事も待たずに茶をたて始める。


 その表情に乏しい能面似の顔立ちと紋切り型の物言いで、有能な割に人望は薄い男だが、小次郎は嫌いではなかった。

 

 世辞に拘らぬ分、周囲に流されない。

 

 気心知れれば意外と情に厚い一面があって、細川忠興が宿老たる長岡佐渡ではなく、有吉にだけ秘めた心の奥底を明かすというのも肯ける。

 

 又、忠興が佐渡を避けるのには、あまり表沙汰にできぬ事情もあった。

 

 当年二十五才になる息子・細川忠利との家督を巡る確執である。






 関ヶ原の戦いで徳川家へ人質として差し出されて以来、忠利は長く江戸へ留まり、幕府の諸政策を立案する優れた才を発揮して、将軍秀忠の信任も厚い。

 

 幼い頃からその後見役であった佐渡には早く忠興を隠居させ、代わりに忠利を据えよとの幕府の意向が伝えられていた。

 

 世代交代を急ぐ最大の理由は他でもない。忠興のキリシタン保護政策にある。

 

 この時点で幕府はまだ宣教師の活動を禁じていないが、貿易相手の諸外国中、布教を日本で行わない旨を確約したオランダ以外と国交を断つべく動いている。

 

 鎖国が完成した暁には、各地のキリシタンへ徹底的な弾圧が行われるであろう。

 

 かと言って、ガラシャこと亡き妻・珠子への未練を引きずる忠興に、領内のキリシタンを見捨てる事はできそうにない。

 

 忠利を奉じる幕府への恭順派が勢力を増す中、有吉は敢えて時流に逆らい、忠興の意志に殉ずる姿勢を示していた。

 

 そして、その想いの強さを示す象徴は今、佐々木小次郎の手に託されている。






「お浜は如何しておりましょうか?」


 有吉は点てた茶を勧め、さりげなく言い添えた。


「ふふっ、あの年頃ですからのう。闊達が過ぎ、近頃は手に余る程じゃ」


「それは良い。我が殿も、お気に掛けておられました故」


 大藩の家老でありながら、年長の剣士を立てた言葉使いに配慮する。小次郎が口をつけた茶も、そんな有吉の人柄を偲ばせる繊細な味だった。


「前にも申し上げました通り、お浜の父は関ヶ原で石田三成の本陣へ攻入り、討ち死にした武士でござる。母は珠子様に長く仕え、玉造で大阪方に追い詰められた際、命を散らした忠義の者」


「ふむ、その二人の娘とあらば忠興殿も捨て置けぬは道理じゃ」


「ましてお浜の母は珠子様と遠縁の間柄、同じ明智の血を継いでおります。そのせいか、あの娘には何処となく奥方の面影を感じさせる所があり……」


 そこで有吉は口を濁した。


 領主である前に一人の男として、亡き妻の影を追う主君の胸中を察したのだろう。だが所詮、勝手な思い入れである。


 忠興は、ほぼ同じ世代の小次郎にお浜を託した。


 それに対し、三十路に入ったばかりの武蔵を挑ませ、打ち倒す事で世代交代の大義を示さんと図る忠利の方にこそ、時の理はあるのかもしれない。






 狭い茶室にしばし沈黙の時が流れた。


 椀に残る茶を呑み干し、道場に現れた不審な男の話を小次郎が切り出す。

 

「成程……早くも仕掛けてきましたね」


 一通り聞き、有吉は細い目を一層細めた思案顔で両腕を組んだ。

 

「左様、往来を歩んでいると、誰ぞの鋭い眼差しを背中に感じる事もありましてな。拙者なりに用心しておるが、未だ真に武蔵の仕業と断ずる事も出来ぬ」


「確かに、他にも厄介な敵が潜んでおるやもしれません」


「何か、心当たりがおありで」


「例えば柳生の手の者」


「……公儀指南役、柳生但馬守が絡んでいると申されるか」


「忠利様が江戸で新陰流の手ほどきを受けておられるのは周知の事実。又、柳生は伊賀の忍び里と関わり深く、素っ破の類を飼っておるとも聞きます」


「素っ破か。全く厄介じゃのう」


 小次郎はうんざりと小窓の外へ広がる曇天を見上げた。

 

 思えば浪々の旅の果て、大藩の兵法指南という安定した地位に惹かれたのがそもそもの過ちであり、気力の衰えた証であったのかもしれない。

 

 人目の無い離れ小島で立ち会う取り決めからして、陰謀の匂いが漂っているのだ。

 

 敗れた者は相手の太刀で死なずとも、生きて舟島を出れぬのではないかと、薄々感じてもいた。

 

「気が進まぬなら、お浜を連れて、お逃げなさるが宜しい」


 小次郎の渋い顔を覗き込み、有吉が妙な事を言い出した。


「異国の宣教師は怪しい雲行きを察し、自国へ戻る船の手配を始めております。そこに同乗するも良し。ひとまず琉球へ逃れる道もありましょう」


「わしが逃げたら、見聞役の御身は腹を切らねばなるまいよ」


「佐々木殿をこの地へ招いたのは私、お浜を御預けする旨、忠興様に諮ったのも私。この身一つで後始末できれば、むしろ本望にござる」


「……御身も変わったお方だのう」


「何なら、お浜を妻となさっては如何。佐々木殿なら殿も異存ありますまい」


「……な、何を馬鹿な」


「年の差なら気になさる程でもない。隠居が若い後妻を迎える話など、近頃は良く耳にしますし」


「わしに狒々爺ぃになれと申されるか!」


 思いもよらぬ言葉を受け、小次郎が血相を変えると、有吉は目尻を少し下げた。


 表情が乏しいなりに、笑顔を作ったつもりであるらしい。


「やはり佐々木殿にお浜を預けたは、正しい選択でございました」


「……御家老、そりゃ性質の悪い冗談でござろう」


「左様か」


 有吉の目尻が更に少し下がり、すぐ又、元の能面面へ戻る。


 それなりに付き合いが長くなっても、やはりこの男が何を考えているか、見極めるのは難しい様だ。


読んで頂き、ありがとうございます。

歴史物はやはり難しいですね。史実と明確に食い違わないよう、同時に史実通りに流されないよう、最後まで書き進めたいと思っています。

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