二刀流の男
その日、佐々木小次郎が道場で稽古を始めたのは、昼下がりに近い頃合いである。
試合が近いのを見越し、研ぎ師に預けてあった三尺二寸(122センチ弱)、備前長船の野太刀を受け取る必要があった為だ。
通称、物干し竿。
備前の刀鍛冶が手掛けた剣は多くが兜割りに耐える強靭さを備えているが、中でも名匠・長船の作、この長剣は威力において群を抜く。
反面、非常に重量があり、屈強な若者でも扱いづらい代物だ。
高齢の小次郎が存分に扱えるのは長年の修練の賜物だが、「扱える」程度では、此度は足りない。
剣速こそ命の奥義・燕返しを十全に振るわねば勝ち目はあるまい。
小次郎自身がそう強く意識しており、若き日の己を超える一閃を繰り出すべく、真剣による修行を増やす腹積もりであったが……
生憎、まだ宮本武蔵との試合について詳細が定まっていない。海路で来る筈の武蔵が、この地へ到着したかどうかさえ知らされていない有様だ。
何しろ情報が曖昧である。
細川忠興の名代に見聞役を二名立て、余人の立ち入らぬ小島で行うと内定した程度であり、真剣で立ち会うか、木刀を使うかさえ定かでない。
予定の日時まで間が無い事を思えば、これも異例中の異例と言えるだろう。
乱世の終わりを世に示す幕府の意向もあって、私闘の真剣勝負を禁ずるだけでなく、藩主の御前試合においても木刀の使用が慣例になっており、その場合、備前長船の出番は無い。
技を極めた者同士、木刀の一撃と言えど必殺の威力を秘めていて、どの道、命懸けなのだが、ならばこそ、共に死線を潜り抜けて来た愛刀で臨みたいという思いが小次郎にはあった。
武蔵はどうなのだろう? どんな得物を使う?
勝つ事こそ至上。他はまるで無頓着な性質だと聞いている。されど己が命を預ける剣にさえ、その流儀を貫く気なのか?
一度、本音を聞いてみたい。
世代の違い、時の流れを見定める為にも、できるものなら試合の前に言葉を交わしてみたいとの思いが内心で募っている。
小倉有数の研ぎ師から剣を受け取り、小次郎が道場へ戻ると、師範代を務める桃井喜十郎が青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「先生、お留守の間、思わぬ来客がございました」
「ほう、誰じゃ」
「おそらくは宮本武蔵」
「何っ!? まことか?」
気になる相手が向うから訪ねて来たと言うなら、まさに望む所。思わず身を乗り出す小次郎だったが、桃井の返答は少々味気ない。
「いや、当人が名乗った訳ではありません。されど、門前でご指南賜りたいと申し出たその男、二刀流を使うと言上した上、野人の如く逞しき身なりも、噂に聞く武蔵と似ております」
「ほう」
「先生がお留守と聞き、すぐ立ち去りましたが、血気盛んな五人の門弟が後を追い」
「まさか、立ち合ったのではあるまいな」
「はぁ、それがその……何とも言いにくいのですが……」
渋い顔で桃井が語った所によると、二刀流の剣客とやら、藪に潜み、追って来る門弟を待ち受けていたらしい。
面倒だから、全員まとめて掛かってこい!
挑発的に言い放ち、大刀と脇差を鞘に納めたまま両手に握って、無造作に近づいてきたそうだ。
頭に血が上った門弟は、相手の太刀筋を覚えていなかった。
只、両手を下げたままの男へ四方から打ちかかり、身を躱しざまの一撃で意識を刈り取られた挙句、路上へ打ち捨てられていたのだと言う。
ふんどし一丁の姿で己の腰紐に手足を縛られたまま、だ。
話を聞き終える頃、小次郎は桃井以上に渋い表情を浮かべていた。
「男はそのまま姿を消し、街中で見かけた者もおりません」
「……我が巌流も、とんだ恥をかかされたもんじゃ」
「門弟に大した怪我が無かったのは幸いでしたが、今思えば、最初から先生の留守を見計らい、こちらを辱めて見せたのではないかと」
「ふむ……」
正式な試合を前に敵の本拠を訪れるは不作法の極みに違いない。されど、相手は何しろ奇襲の名手である。
本気で立ち会う気は無いにせよ、小手調べの挑発で、気持ちを揺さぶる程度の魂胆が有ったかもしれない。
舐められたもんじゃのう。
もし、真に武蔵だとすれば、何ともつまらぬ小細工を……いや、単に我が心中を乱す駆け引きか?
あれこれ思いを巡らし、道場で若き小倉藩士へ稽古をつける時には、お浜に見せた好々爺の顔をかなぐり捨てている。
物干し竿と称される長刀を自在に操る小次郎だが、稽古で使う木刀は通常の長さに過ぎない。
ごく普通の得物で左右から門弟を打ちかからせ、手も無く捌き、打ち据える。
毎度の事ながら、道場の武者窓に見物の町人が群がっており、桁外れな道場主の強さが披露される度、歓声が上がった。
その中には武蔵側の間者を務め、巌流の隙を伺う者が混ざっている恐れもあるだろう。
承知の上、小次郎は構わず稽古を続けた。
そもそも彼の本領は、木刀で門弟へ教えられる代物ではない。本来、実戦でのみ磨かれる敵との間合いの妙である。
短刀の名手として知られる師・富田勢源の中条流は、間合いを殺し、如何に敵の内懐へ飛び込むかを極意とする。だが、小次郎は敢えて極端なほど長い刀を使う事で、独自の進化を技へもたらした。
刀が長ければ、立ち会いの際、大抵は敵より先んじて攻撃の間合いへ入る。
不利な間を嫌う敵が強引に距離を詰めた場合、生来の速い太刀捌きにて、間合いに踏み込む隙を叩く。
巌流奥義・燕返しは、それを更に極限まで極めた技と言えよう。
敵の太刀筋を紙一重でかわしながら、斬り上げで逆襲する「虎切り」へ独自の工夫を加えており、初見ではまず返せない。
燕返しが持つ、その特有の間、必殺の見切りをこれまで小次郎はなるべく余人の目に触れさせなかった。
奥義を使うしかない強敵に対しては、迷わず命を奪うか、二度と立ち向かえぬ深手を与えている。
要は秘するが花と言う奴よ。
初めて燕の閃きを目にするが、武蔵、お主の敗れる時じゃ。
小次郎は向かってきた最後の門弟を強かに打ち据え、若き日と寸分違わぬ闘志の滾りを存分に噛み締めていた。
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