ある朝の小次郎
古今東西、広く勇名を轟かす剣豪の記録を紐解くと、出自や素性が不明で、実体の朧げな者も少なくない。
例えば、かの宮本武蔵との死闘で名高き巌流・佐々木小次郎など、その最たるものであろう。
越前一乗谷にて中条流・富田勢源の門下となり、その弟・治部左衛門を打ち破ったのを機に巌流を起こしたのが十八の時とされているが、廻国修行の末、終焉の地となる九州小倉へ渡った年頃は定かでない。
二十才そこそこという説があり、還暦をとうに過ぎていたという説もある。
富田勢源の生年が1523年で、一乗谷に門弟を集めたのが四十才位だから、そこから逆算すると小次郎は五十前後で小倉へ来たというのが最も妥当な線かもしれない。
では、例えば……例えば、だ。
慶長17年(1612年)3月、小倉港に程近い砂浜を行く五十二才の彼を思い描いてみるとしようか。
昇りきらぬ朝日が玄界灘を染め、荒い波間を渡ってきた潮風が、白髪交じりの総髪を撫でる。
時は明け六つ。早春の風は未だ肌刺す冷気を含んでいるが、小次郎はむしろ心地良さげに頬を緩めた。
不敵な笑みである。
六尺近い長身の背筋が真っ直ぐ伸び、大股に砂を噛む足の運びは力強い。
生来の派手好みは健在らしく、愛用する猩々緋の袖無し羽織をなびかせて、悠然と歩む姿から衰えは感じられなかった。
傲岸不遜。反骨の光を宿す双眸と不釣り合いな目尻の皺が、辛うじて過酷な戦いを経てきた男の年輪を忍ばせるが、
「……のう、お浜。舟島とかいう離れ小島を知っておるか」
その眼差しがふと緩み、遅れてついてくる小柄な女の方を振り向いた。
「さぁ、私には思い当りません」
「聡いお前が知らぬとなれば、辺鄙でちっぽけな島なのじゃろう。されど命のやりとりをそこでせにゃならん」
俄かに表情を翳らせるお浜という下女は、普段、小倉の道場で小次郎の身の回りや門弟の世話に勤しんでいるのだが、随分と若い。
いや、むしろ幼いというべきか。
精々十六、七の童顔で、主を案ずる余り、奥歯を噛み、心持ち頬を膨らませている。
「江戸におられる若君が、日ノ本一の使い手と巷で評判の男を小倉へ呼ぶそうじゃ」
「又、試合をなされるのですか」
「二刀流を使う剣客と、噂だけは聞いておった。腕が立つだけではない。謀り事に長じ、京に名だたる吉岡一門へ奇襲をかけて、跡取りをなで斬りにしたそうな」
「……こわい御方」
「まぁ、そのような男を差し向けてくる若君と筆頭家老の抱く思惑の方が、わしには余程、物騒に思えるがのう」
お浜は俯き、細い鎖で首に掛けた銀のロザリオへ触れた。
口の奥で呟いたのは、異国の神への祈りであろうか。
当時、小倉を統べる領主・細川忠興はガラシャの洗礼名を持つ珠子という女性を正室にした過去を持ち、関ヶ原の戦いの際、半ば見殺しにする形で死なせている。
そのガラシャへの供養の為か、キリシタン信仰に寛容な姿勢を保っており、領内の信者の数も少なくない。
「おい、お浜……何度言うたら、わかる。わしの目の前で伴天連のまじないは勘弁せい」
「まじないではございません。私、主の無事をマリア様にお願いしておりました」
「やれやれ因果じゃのう。生まれてこの方、わしゃ神仏の加護さえ頼らず、修羅道を歩んできたに」
「お仕えする者が心密かに祈るだけでも、いけませんか」
「……慈悲やら、情けやら……キリシタンの流儀というものがわしゃ苦手で」
小次郎は言葉につまり、柄にも無くため息をついた。
遠慮無き物言いを窘めもせぬ所を見ると、この遥か年下の侍女は、小次郎にとって単なる使用人以上の何者かであるらしい。
しばし考え込んでいたお浜は、いきなりぽんと掌を打った。
「なら私、お相手の為にお祈り致します」
「……我が敵の無事を祈る、と?」
「はい、改めて考えますと、ご主人様は生涯無敗。売出し中の剣士になど負ける道理がございません」
「……まぁな」
「ならば試合で要らぬ殺生をなさらぬ様、お相手への慈悲を祈った方が理に叶っておりましょう」
主への無条件の信頼を込め、屈託なく笑う声が浜の風に乗る。
その無邪気さに小次郎が苦笑する内、まもなくお浜は怪訝に首を捻り始めた。
「それにしても何故、離れ小島なのですか? そのような御方とご主人様の試合なら、もっと相応しい場が……」
「色々と厄介な理由が渦巻いておる、一見穏やかなこの小倉藩の裏側で、な」
「厄介、と申しますと」
「一言で言えぬから厄介なのよ」
「例えば、どのような」
「そうさな、例えば御領主直々の命により、キリシタンのお前が朴念仁のこのわしへ預けられた異例と同じ具合に……」
「は?」
「いや、済まん。要らぬことを言うてしもうた」
また翳りそうになるお浜の顔色を察し、小次郎は笑い飛ばして、砂浜を歩き出した。
耳を澄ますと、少し間を置いた後、足音が追ってくる。
すぐ後ろまで来ないのが、お浜のいつもの癖だ。天真爛漫に見えて、それなりに周囲の目を気遣っている。
小次郎が小倉へ招かれ、田原町に道場を開いた二年前、藩次席家老・有吉内膳の口利きで下女見習いとなったのがお浜だが、当時は無口で頑なだった。
物心つかぬ内、天涯孤独の身の上になったそうで、周囲と馴染むのも遅かったが、およそ型に嵌まらぬ小次郎の人柄と相性は良かったのだろう。
今やすっかり心を開き、年相応の朗らかさを示す様になっている。
妻を娶らず、ひたすら兵法を磨いてきた己の一生に欠ける要素を、小次郎は少女の笑顔の中に見つけた気がした。
例えば、わしが所帯を持ち……例えば、娘を得たとして……いやいや、お浜の年なら、孫であってもおかしゅうは無いのう。
如何に過ごし、如何に語らうか?
ふふっ、人並みに婿の心配など、気を揉む夜があったのか、のう。
それは気の迷いと言えば気の迷いの類だ。
常に白刃の上を渡り、死地を切り開いてきた生涯に一片の後悔も無い。
だが仮借なき老いの到来を悟り、残る日の限りに思い至った時、己にあり得たかもしれない様々な人生を胸に描くのが、小次郎の新たな道楽となった。
元々、型破りが身上の男。使用人の内、特にお浜へ目を掛け、毎朝の散歩に連れて歩いても外聞など気にしない。
若い娘を傍に置き、体の良い妾奉公をさせていると邪推する奴もいるが、阿呆の言い草など知るものか。
時に早く、時に遅く……砂浜を噛む歩速を加減する度、主に合わせようと小走りになる少女の息吹が聞こえた。
その拙さが何とも愛おしい。
児戯に等しき他愛のない駆け引きが、今は剣技を競い合う試合と同様、無性に面白く感じられていた。
読んで頂き、ありがとうございます。
武蔵との対決時、小次郎は既に老いていた、という説に基づく物語になります。
戦いだけでは無く、少女との触れ合いの中で「戦い以外の人生」へ思いをはせる小次郎の心を描いていきたいと思っております。