138 幼女は恐怖を克服する
幽霊船内部で轟くどす黒い悲鳴の数々。
無残に慈悲無く飛び散る肉片。
絶望に打ちひしがれ、怯え逃げ惑う者達。
幽霊船は今、とてつもない恐怖に包まれていた。
何度も何度も絶叫がこだまして、私の目の前で恐怖が充満していく。
命乞いなど意味がない。
情けなど微塵も起きない。
ただただ、無情に絶望が押し寄せる。
目を逸らしたくなるような、悲惨な惨劇が何度も繰り返される中で、私はごくりと唾を飲み込み深呼吸をする。
「あの、リリィ? もうその辺で許してあげて?」
「え? でも、ジャスミンのパンツがかかっているのよ?」
私は考える。
目の前で広がるこの惨状。
リリィのチート級な強さに恐怖し、怯えて逃げ惑うゾンビとミイラ達のその姿は、最早恐ろしさの微塵も感じる事が出来なかった。
むしろ、何故あんなにも私は怖がっていたのだろう? と、心の底から疑問さえ浮かんでくる。
今では同情し、可哀想とさえ思えてきていた。
それに、よく言うではないか。
お化けなんかより、人間の方がよっぽど怖いと。
「ふっ。やるじゃねえか。リリィさんよ。流石の俺も、アンタの強さには敵わなかった様だぜ」
「あら? 負けを認めるの?」
「俺も男だ。惨めにもがく様な、そんなだせえ真似は、しねえって事さ」
「そう。ヒトデ小僧のヒトデ太郎って言ったわね? 貴方、中々の男前じゃない。嫌いじゃないわ」
「ふっ。リリィさん、いいや。純白の天使さんの伴侶に、そう言って貰えるなんて光栄だね」
「え? 伴侶? もう、わかっちゃうのね。嫌だわ恥ずかしいじゃない」
「そりゃそうさ。一目でわかっちまったさ」
「ヒトデ太郎、貴方とは仲良くなれそうね」
「ああ」
リリィとヒトデ太郎さんが、厚い握手を交わす。
私はそんな2人のおバカなやり取りにつきあってられないので、今の内にゾンビとミイラを可哀想なので逃がしてあげた。
私が全てのゾンビとミイラを逃がしてあげた頃に、ようやくリリィとヒトデ太郎の2人はゾンビ達がいなくなった事に気がついた。
「あら? ゾンビ達がいなくなってるわ」
「ちっ。逃げやがったか。追うか? リリィさん」
「そうね。生まれてきた事を後悔する程に、恐ろしい死に方をさせてあげるわ」
ゾンビとミイラは、既に死んでいるのでは? などと考えながら、リリィに向き合った。
「リリィ、物騒な事を言ってないで、夜海化の原因を調べないとだよ」
「そう言えば、それが目的だったわね」
「リリィさん、しっかりしてくれよ。俺達の目的を、忘れちまうなんてよ」
いやいやいや。
ヒトデ太郎さんも忘れていたよね?
「忘れていたと言えば、ライリーと一緒じゃなかったッスか? ハニー」
私はトンちゃんの質問に、ハッとなる。
そう言えば、そうだよね。
私、てっきりリリィとライリーさんは、一緒にいると思ってたもん。
「ライリー? ライリーなら、船の修理中よ」
「え! 結構酷い事になっていたけど、直せるの?」
「ええ。この船の木材を使えば、何とかなりそうって言っていたわ」
「こんなにボロボロになった船の木材なんて使ったら、すぐ沈みそうです」
うんうん。と、私はラテちゃんに同意して頷く。
すると、リリィが船室の床の一部を、指でさした。
私は不思議に思いながらも、リリィの指をさした方を見る。
「え?」
「不思議でしょう? 何故かはわからないけれど、こんな感じで修繕されている箇所が、他にも幾つかあるのよ」
本当だ!
と、私は驚く。
この幽霊船の船全体が、薄気味悪い程にボロボロだからこそわかる。
冷静になって周囲をよく確認すると、比較的に新しいと思える板などで、色んな場所に修繕された箇所が幾つもあったのだ。
「どういう事だろう?」
「ご主人、ゾンビ達の動きが、やけに統率されてたんスよね。これって、この船に誰かが乗っていて、ゾンビ達を操っているって事だと思うッス」
「確かに、それはラテも感じたです」
2人とも凄い。
私、もう怖くていっぱいいっぱいで、全然気が付かなかったよ。
「ジャス、たぶん魔族が関わってるです」
「う、うん。そうなっちゃうよね」
私はうーんと唸る。
やっぱり今回も魔族なのかなぁ?
でも、考えてみればそうだよね。
じゃあ、ゾンビとかミイラとかも魔族って事かな?
と、考えていた時だった。
船室内に備えてあった本棚やテーブルやイス、そしてベッドなどの家具が、突然ガタガタと揺れ出した。
「じ、地震!?」
私が慌ててテーブルの下に隠れようとすると、ラテちゃんが私の頭をパンパンと叩いた。
「落ち着くです。地震なんて起きても、海のど真ん中の船の中で、こんな揺れは起きないです」
「それによく見るッスよ、ご主人。揺れてるのは、備え付けの家具だけッスよ」
私は2人の言葉で冷静になって、周囲を見ると、自分が揺れていない事に気がついた。
「ジャスミン! 危ない!」
と、リリィが私に飛びついた。
え!?
私は驚いたまま、リリィに抱きかかえられて、そのまま一緒に勢いよく地面に転がった。
な、何!?
私は何事かと自分が立っていた所を見る。
すると、本棚に置かれていた本が、宙に浮かんで動き回っているのが見えた。
そして、私を襲ったと思われる本が床に激突して、床に穴を空けていたのがわかった。
私がそれを見てゾッとしていると、リリィが私から離れて立ち上がり、周囲を警戒しだす。
その姿を見てから、私も続けて立ち上がり、リリィの横に並ぶ。
「何なのよいったい!?」
「わかんないけど、ここが幽霊船って考えたら、ポルターガイストなのかも」
「ポルターガイスト?」
「うん。心霊現象だよ。誰も触れてないのに、物が動いたり火がついたりする現象の事を言うの」
「なるほどな。たしかに、この動く本達からは、魔力を感じ取れねえ。あながち、間違ってないのかもな」
ヒトデ太郎さんが私達に近づき、真剣な面持ちでそう話した。
え?
ヒトデ太郎さんって、魔力感知出来るタイプの人だったの?
「何よアンタ。魔力感知が出来るの?」
「ん? ああ。そうだが?」
「決まりね」
リリィはそう一言述べると、私の手を取って、ヒトデ太郎さんにニッコリと微笑んだ。
「そう言う事なら、この幽霊船の中で、一番大きな魔力が集まる場所に案内しなさい。きっと、そこに親玉がいるわ」
リリィがそう言うと、ヒトデ太郎さんがごくりと唾を飲み込んで、一歩後ずさる。
「いや、そんな事はする必要が無いみたいだぜ」
「アンタ、怖気づいたの?」
「いや。違う。ここに、ここにいるんだよ」
「何言ってんのよ? ジャスミン以外の魔力が高い奴をって、あら? ジャスミンって、魔力自体は少なかったわよね?」
「う、うん」
「一応言っておくッスけど、加護の恩恵を受けたからといって、魔力が高くなったりはしないッスよ」
私とリリィが、ヒトデ太郎さんに注目する。
すると、ヒトデ太郎さんはイスを指さして、恐る恐る口を開いた。
「そこの、そこのイスから、もの凄く高い魔力が出てるんだよ」
イスから?
私とリリィが指をさされた椅子に注目すると、その瞬間にポルターガイスト現象がピタリと止んで、宙を動く本がバサバサと床に落ちた。
そして、イスが後ろに下がったと思ったら、「ばれてしまったか」と、声が聞こえてきた。
「イスが喋った!」
私が驚いて大声を上げると、今度は笑い声が聞こえてきた。
そして少しずつ、ぼんやりと椅子の目の前に、黒いスーツを着た男が姿を現した。
「ようこそ、我が豪華船へ」
姿を表した人物は、そう言って両手を広げ、私と目を合わせた。
「会いたかったよ、魔性の幼女。いいや。間部弦と言った方が、貴様は嫌がってくれるか?」
「え?」
私の前世の名前を知ってる!?
ど、どういう事!?
私は突如現れた謎の男に驚きを見せると、その男は満足そうに、下卑た笑みを浮かべた。




