110 幼女は平和な日常に手を振ります
ベルゼビュートとアスモデちゃんが、たっくんを攫って行った日の夜、私はパパと一緒にお風呂に入っていた。
そして、私は湯船に浸かりながら、ぼ~っとその日あった事を思い返していた。
色々あったけど、ルピナスちゃんのパパもシロちゃんも無事で良かったなぁ。
パンツ穿いてないと死んじゃう呪いは、普通に生活していれば、そこまで気にする事も無いしね。
それに……。
私は目をつぶって、村に戻って来た時の事を思い出す。
パパとママ、それに村の皆が迎えてくれたのは、嬉しかったなぁ。
私が思い出してクスクスを笑っていると、一緒にお風呂に入っていたパパが、泡の付いた頭をバシャーッとお湯で流して、不思議そうに私を見た。
「ジャスミン、どうしたんだ?」
「あ、ううん。なんでもないよ」
「そうか?」
「それよりパパ、お背中流してあげるね」
「はは。ありがとうな」
私は湯船から上がって、パパの背中を洗い始める。
そして、背中を洗いながら、村に帰ってきた時の事を思い出す。
結局私は皆から何かされたわけじゃなかったのに、まさか謝られるなんて思わなかったよ。
今後は、魔族が来たら皆が私の事を護ってくれるって言ってくれたし、すごく嬉しかったなぁ。
でも、このままここにいるわけには、いかないよね……。
パパの背中を洗いながら、ぼんやりとそんな事を考えていると、パパが私に振り向いた。
振り向いたパパは、とても心配そうに私を見つめる。
「ジャスミン、何かあったのかい?」
「え? えっと……」
私は少しだけ手を止めて、深呼吸を一つした。
「うん」
一言だけ私は返事をすると、自分の考えを頭の中で整理する。
そして、再びパパの背中をごしごしと、洗い始める。
「あのね、パパ」
「なんだい?」
「私、この村を出ようと思うの」
パパの体がピクリと震えて、まるで表情を隠すように、パパは前を向く。
「戻って来た時にお話したけど、ベルゼビュートさんとアスモデちゃんに、たっくんが攫われちゃったでしょ? それに、ニクスちゃんっていうお友達も、捕まってるみたいなの。だから、私は2人を助けに行きたい」
私はパパの背中をお湯で流してから、パパの目の前に立った。
「だからね、パパ」
私は真剣にパパと目を合わせる。
パパの目は凄く悲しい目をしていた。
そして、私の事を愛してくれてるんだって、凄く嬉しくなる優しい目だった。
だから、私はパパの目を真っ直ぐ見つめて、そしてしっかりと私の決意を伝えようと思った。
「私は――」
その時、私の真剣な目を見て、パパが私を抱きしめる。
力強くて、優しく私を包み込むパパの腕は、とても居心地が良かった。
私は目をつぶって、そんなパパの腕に、そっと手をかさねる。
「ジャスミン。パパは、誰よりもジャスミンの事を愛しているんだ」
「うん。知ってるよ」
「ジャスミンは普段は大人しい子なのに、意外と走り回ったりするし無茶をするから、いつも心配になる」
「えへへ。ごめんなさい」
「いいんだよ。パパはそんな元気なジャスミンが、大好きなんだ」
「うん」
「だから、本当は村の外へ旅立たせるなんて、怖くてさせたくなんてない」
「うん」
「だけど、パパは思うんだ。ジャスミンが崖から落ちたあの日から、運命が動き出したんじゃないかって」
パパが私を体から離し、じっと私の目を見つめる。
その目は、とても真っ直ぐで、とても優しくて、私は何故か涙が溢れてきた。
「あれからジャスミンは、いつも何かに巻き込まれているね? きっと、それが動き出した運命なんだと、ずっとパパは思っていたんだ」
「なんで? 私……」
「実はね、今までずっと、リリィちゃんが全部教えてくれていたんだ」
「リリィが?」
「ああ。でも、リリィちゃんを責めないでほしい。あの子なりに、ジャスミンの事が心配だったんだ」
「うん。知ってるよ」
リリィは、凄く優しい女の子。
最近は、本当に困ったちゃんになってしまったけど、それは昔から変わらないのだ。
パパが優しく微笑んで、私の頭を優しく撫でる。
「ジャスミン、行って来なさい。いつでも待っているから、いつでも帰ってくるんだよ」
「うん」
パパの優しさが、私を撫でる手から伝わってくる。
私は優しさを感じながら、涙を零した。
そして、とびっきりの笑顔をパパに向ける。
「行って来ます。パパ」
「ああ。いってらっしゃい。僕の愛しいジャスミン」
パパはそう言って、私を優しく抱きしめて、包み込んでくれた。
そして、パパが私に優しく話しかける。
「ところでジャスミン、結構長い時間お風呂にいるけど、パンツは穿かなくて大丈夫かい?」
「あっ」
私の涙は一瞬で引き、私の背筋に悪寒が走る。
そして私は立ち上がり、ダッシュで脱衣所へと駆け込んだ。
「パンツ! パンツーッ!」
もうやだ!
なんなの本当!
台無しにも程があるよ!
こうして、私は九死に一生を得て、この呪いとも言える能力の恐ろしさを知るのであった。
お風呂から上がった私はキッチンに向かい、調理場に立つと、せっせとパンケーキ焼きを始める。
そしてパンケーキを焼き終わると、ハチミツや生クリームを乗せて、それを持って部屋に戻った。
部屋に戻ると、私のベットの上でトンちゃんとラテちゃんが、仲良くごろごろと転がっていた。
その2人の様子が、あまりにも可愛くて私がクスクスと笑うと、2人が私に気がついて迎えてくれた。
そして、お風呂の中での事をお話すると、トンちゃんが驚いて口を開く。
「よく許可がとれたッスね。ボクはてっきり、反対されて深夜にこっそり出ていく計画を考える事になると、思っていたッス」
「あはは。私も反対されてそうなると思ってたよ」
トンちゃんの意見に私が苦笑して答える中、ラテちゃんがパンケーキを興味深げに覗き込む。
「ジャスジャス。これは何です?」
「え? ああ、これ? これはパンケーキだよ。パンケーキにハチミツと、生クリームをたっぷり乗せたの。美味しそうでしょ?」
「ですー!」
ラテちゃんが、驚くくらいテンションを高めて目を輝かせる。
可愛いぃ。
いつも眠そうにしてるのに、凄くテンション高くなってるよ。
もしかして、トンちゃんと一緒で、こういうの好きなのかな?
「ふっふーん。ラテは知らないッスか~? ご主人は甘いもの作りの、達人ッスよ~」
トンちゃんが得意気にラテちゃんに話す。
すると、ラテちゃんは何かを思い出したかのようにハッとなる。
「そうです! たしかに契約する時に、ラテは知ったです!」
そう口にすると、ラテちゃんがお目目をキラキラと更に輝かせて私を見た。
「ジャス凄いです! 契約したのは間違ってなかったです!」
「えへへ。なんか照れちゃうなぁ」
私が照れながら頭を掻くと、ラテちゃんがパンケーキに指をさして興奮気味に口を開く。
「これは、このパンケーキなる物は、ラテも食べても良い物です!?」
か、可愛い。
もの凄く可愛いよぅ。
私はラテちゃんの、そのあまりにも可愛らしい様子を見て、顔がとろけそうになりながら答える。
「もちろんいいよぉ。だって、それは今日ラテちゃんが頑張ってくれたお礼なんだもん」
「ラテが頑張ったお礼!?」
「うん。ありがとうって言う、感謝の気持ちだよぉ」
「ご主人は、その日何かお手伝いしてあげると、こうやってご褒美をくれるッスよ」
トンちゃんが得意気にドヤ顔で言う。
そして、そのドヤ顔もまた可愛い。
「それじゃあご主人、いただくッス~」
「はい。どうぞ。召し上がれ」
「いただきますです!」
ラテちゃんは私の作ったパンケーキを、トンちゃんと一緒に幸せそうな顔をして食べ始める。
そして食べ終わると、よっぽど気にいってくれたようで、膨らんだお腹を撫でながら幸せそうに言いました。
「ラテ、これからもっと頑張って、いっぱいいっぱい食べるです!」
◇
たっくんが攫われてしまってから、早3日が経った日の早朝。
私はドタバタと走り回っていた。
「ジャスミン、それが終わったら、次はこっちを手伝って頂戴」
「うん。わかったー!」
さて、私が何をしているのかと言うと、ママのお手伝いである。
実は、パパに村を出る事をお話した次の日から、ママからお家のお手伝いを頼まれるようになったのだ。
それで私は、毎日毎日ママのお手伝いで大忙し。
私には、前世で一人暮らしの経験がある。
だけど、部屋のお片付けとか、気になる所の掃除しかした事の無い私には、凄く大変な事ばかりだった。
私は今日も朝早くから、せっせとママのお手伝いをして、お昼になる前には全てのお手伝いを終わらせた。
「ご苦労様」
ママがそう言って、美味しい水を持って来たので、私は水を受け取る。
「ありがとー」
私は水を飲み干すと、ママを真剣な眼差しを向けて、ゆっくりと口を開いた。
「ママ、今日、村を出るね」
ママは私の言葉を聞くと、一瞬だけ目を潤ませて、そして柔らかく微笑んだ。
「ええ。体に気をつけるのよ」
「うん」
私が返事をすると、ママは私を強く抱きしめた。
とても優しくて、とても温かいママの温もりを感じながら、私は一滴だけ涙を流した。
「いってらっしゃい」
「うん。行って来ます」




