第08話:起死回生の策
硬いヒールが勢いよく石畳を叩き、硬質な音階が高く装飾されたアーチ型の天井に響きわたる。
2人の令嬢は、無人の通路を懸命に走り続けていた。
絶対の死地であった生ける死体達の楽園を後にして、生きる者達の世界へ。
暴力と死が支配する戦場から、令嬢が令嬢として振る舞える社交と政治の世界へと。
「もう、走らなくても大丈夫じゃない?」
ソフィーが弾む気息を懸命に整えつつ、ペースを落とすことを提案した。
走り続けた令嬢達の背後に、死者達の姿は既にない。
「そう思うなら、足を緩めたらどう?」
「イヤよ!あたしを置いて行けば囮になるとか思ってるでしょ!」
「囮とは思わないけれど万が一の殿にはなるでしょうね」
「同じことじゃない!」
美しきは、2人の令嬢の友情か。
共に戦いをくぐり抜けた戦友は生涯の友になる、とは世間の風説、物語の中の陽炎に過ぎないものか。
互いに足を引っかけたりと、足の引っ張り合いをしないだけマシ、と言える程度の関係が維持されれば上等、と謎の信頼を寄せて人の令嬢は走り続ける。
「それにしても、ずいぶんと見張りを遠ざけたものね。人っ子一人いないじゃない」
いくら城内が広く、いかに女狐が策略をもって見張りを遠ざけたといっても、ここは王城の一画である。
つまりは国家の中枢なのである。
衛兵の巡回が遠ざけられていたとしても、城勤めの文官や女官が往来しているのが自然だろうに。
「・・・変ね。王子様って、こんなに有能だったかしから」
「あなたの無礼も大概ね」
ごく自然に亡き王子の能力を酷評する男爵令嬢に、侯爵令嬢が形だけ苦言を呈してみせる。
「あたしが無礼なら、あんたは無頼よ!王子の首を剣でハネたのはどこの誰よ!」
「剣で首をハネられるぐらい戦場に臨む武官であれば覚悟すべきじゃない?あなたの癖の悪い足で蹴られるよりはいくらかマシでしょうに」
「癖が悪い言うな!あたしの美しい脚で蹴られるのはご褒美!右の頬を蹴られたら左の頬を差し出すのが男の甲斐性ってものでしょう?」
「それが下町の流儀というものなの?なんだか野蛮ね」
「あんたが言うか!」
やはり互いに分かり合うことはできない。
そう認識を合わせたところで、2人は通路の前方に1人の人影を目にした。
おそらくは、女狐の策略で遠ざけられていた衛兵であろう。
アレサンドラは心なし駆けてきた足を緩めたのだが、なぜかソフィーはバランスを崩しつつ衛兵に向けて足を早めた。
(男を見て安心したか?いや・・・)
アレサンドラが訝しく見守る間に、ソフィーは、わざとらしく足がもつれた演技をしつつ、甲高い声で助けを求めた。
「た・・・助けて!王子様を斬った頭のオカシイ女に追われているの!!」
(・・・!この女!!事件の責任を押しつけるつもりね!!)
策の全容を瞬時に悟ったアレサンドラは、歯噛みした。
この女狐の策略と機転を甘く見ていた。
あの死者の波で生死の狭間にさらされつつ、まさに、この瞬間、最初に悲報を届けるタイミングを図っていたのだろう。
第一王子の死は王国を大きく揺るがすであろうし、その巨大な政治的空白は必ずや生け贄の責任者を求めることとなる。
それは生き残った令嬢達のどちらかに王子の死の責任が被せられることであり、通常は死刑か生涯牢獄に繋がれるか、温情が示されたとしても僻地の修道院で生涯を神への祈りに捧げる境遇に陥こととなろう。
それを回避するためには、自分は被害者であり責任は別の人物にある、と最初に印象づけて世論を誘導する策が要る。
血塗れの剣を携えた自分に追われる、破れたドレスで駆け寄る女狐。
衛兵がどちらを信じるかは、明らかである。
つまりは、情報操作という戦における強烈な一太刀をこの女狐は放ったのだ!
(フフ・・・勝った!)
一方のソフィーは、起死回生の策の成功を確信していた。
九分九厘まで成功していた婚約破棄の策は、生ける死者達の突然の乱入により破綻した。
それどころか、所詮は男爵令嬢の自分と、いやしくも侯爵令嬢であるアレサンドラとの身分差を考慮すれば、犠牲の羊となるのが自分であることは火を見るよりも明らかである。
しかし、自分には男を操る演技力と策謀を巡らす頭脳がある!
天から授かった才を十二分に生かすことができれば、この窮地ですら政治的得点に繋げることができる自信が、彼女にはあった。
「どうか・・・助けて・・・」
弱々しく声をあげて駆け寄る自分を拒否できる男はいない。
だが勝利を確信したソフィーの目に映ったのは、一太刀に首をハネられた衛兵の姿だった。
「・・・へ?」
目撃者は消えた(物理