第10話 血の因果
「――では、失礼します」
エンシスは部屋を出て、ため息をついた。
そこは彼の母の寝室の前。
長時間に及ぶ母との会話を終え、彼は疲れをその顔に浮かべる。
そんな彼へと近付き、声をかける人物がいた。
「……兄様、どうでした?」
「……リビス」
彼は妹の名を呼ぶ。
「――良くはない。父を失ったショックはまだ抜けていないようだ」
彼は簡潔にそう答えた。
その眼を細めて、彼は言葉を続ける。
「……しかし父から悪魔――魔神の話は聞いていたようだ」
「――魔神の話……?」
聞き返す彼女にエンシスは頷く。
「ああ。一族に仇なす魔神――ラウギア」
エンシスの言葉に、彼女は眉をひそめた。
「数代に一度覚醒する魔神の因子。それに対抗する為、別の血の流れを封印の因子として混血させる呪術を祖父は行った。その為に、我が家では代々別筋の血を受け入れている。……俺たちの代では庶子としてラティが生まれた」
「……兄様、何を――」
「――それが母の精神を壊してしまう一因にはなったんだろうけどね。一族の宿命を知らなかった母にとって、それは父の移り気の言い訳に見えてしまったのかもしれない」
エンシスは腰の剣を抜き、その切っ先を彼女へと突きつける。
「……さて、リビス。一つ聞こう」
エンシスは彼女の眼を射抜くように見つめた。
「……君はいつから魔神だった?」
彼女は息を呑み、言葉を詰まらせる。
「兄様……? これはなんの――」
「――君はこの前、『ラティが剣で襲いかかった』と言ったな」
エンシスの言葉に、彼女は首を横に振った。
「あ、あれは仮定の話で……」
「そう。なぜ君はあの時に、仮定に『剣』をあげたんだ?」
「それは……凶器が……」
彼女の言葉にエンシスはゆっくりと頷いた。
「――そうだ。凶器は刃渡りの広い騎士団用の短剣だ。決してそれはラティが気軽に持ち出せるような包丁ではなく、実戦用の短剣だった。ラティが持ち去り、俺があの時この目で見たその凶器は、そのような『剣』だった」
エンシスは彼女から眼を逸らさず、手に持つ長剣を構える。
「お前はどこでそれを見た?」
エンシスの問いに、彼女は眼を見開く。
エンシスは言葉を続けた。
「……それに、刺し傷は多くのことを語る。刺された方向、距離、刺したときの持ち方……そして身長。……この家の中で、父を刺した者に当てはまる者は……ラティ、そして――」
エンシスはゆっくりと息を吐きつつ、彼女の瞳を見すえる。
「――リビス、君だけだ」
沈黙が流れる。
その静寂を打ち破ったのは、彼女の方だった。
「……なるほど」
彼女は一言そう言うと、その口元に笑みを浮かべた。
「……最初から気付いていた、と?」
エンシスは首を横に振る。
「……いいや。自信はないよ。間違ってたら謝るつもりだった」
「つまりブラフか……ふふ」
彼女はエンシスの回答に、堪えきれないように笑いだした。
「ふ……あはは、あははは! オーケイオーケイ、このゲームは俺の負けだ」
その様子を見て、エンシスは冷静にその腕へと力を込めた。
エンシスが突きつけていた刃は、そのまま彼女の胸を一瞬で貫く。
「ぐへっ……!」
エンシスの剣は彼女の胸を貫通した。
彼女は口から血を吐き出す。
――そして、再び笑った。
「おいおい……躊躇いなく実の妹を殺しにかかるとか……なかなか狂ってるね、お前。好きだよ、さすが俺の血縁だ」
彼女は口から血を漏らしつつも、その口ぶりには余裕が見える。
エンシスは異様なその様子を見て、息を呑んだ。
「……でもさ、肺を傷つけるなよ。喋り辛いだろ……げほっ。……体は普通の女の子なんだ」
咳払いしつつ喋る彼女に、エンシスは吠えた。
「――化け物がっ!」
エンシスが彼女の体から剣を抜くと、そこから血が吹き出る。
しかし彼女は致命傷を負っているにも関わらず、笑みを浮かべたままその場にしっかりと立ってエンシスを睨みつけた。
「……ったく。こっちはくだらない小細工のせいで零極にアクセスしにくくなってるんだ。あんまり俺のことを虐めるようなら――」
彼女の背後の空間に、いくつもの小さな光が生まれた。
「――殺しちゃうぞ」
十以上の白色の光が、幾本もの矢となってエンシスに襲いかかる。
「――魔術か!」
真っ直ぐに彼へと向かうその光線を、剣を翻して防ぐ。
何本かは防ぎきれず、彼の腕や足を貫いた。
「――くっ!」
エンシスは痛みに声をあげる。
その様子を見て、彼女は手を叩いて笑った。
「あはは、さすが騎士様! それにその剣、いったい何重の魔術護符を重ねてるんだ? 普通なら一撃で砕け散るだろうに」
エンシスはその顔に引きつった笑みを作る。
「あいにくと刀剣愛好家の称号は伊達じゃなくてね……」
エンシスの軽口に、彼女は興味なさそうに鼻で笑った。
「――ハッ、まあいいや。俺が興味あるのは、何やら小細工が仕込まれているあの女の体だけだ」
「……ラティのことか」
睨みつけるエンシスに、彼女はその愛らしい顔を歪めながら頷く。
「そうとも! 我が愛しの妹、ラティメリア! お前はあの子の居場所を知っているそうじゃあないか。苦しんで死ぬのが嫌なら、俺を彼女のもとに案内してくれ! 素早く急いで迅速に!」
エンシスは彼女がそう言い終わると同時に、地面を蹴った。
「……妹の命を狙う奴に、教える兄がいるものか!」
跳んだ勢いを刃に乗せて、エンシスは横薙ぎに剣を振るう。
その刃はいとも簡単に、彼女の首から上を切り離した。
刎ねた首は宙に舞って――。
「――悲しいなぁ、お兄ちゃん」
彼女はどこかから出た声と共に、その口の端をつりあげる。
次の瞬間、白色魔力の矢がエンシスを貫いた。
§
「いえ、拙者逃げたわけではなくて、森の中で迷っていたといいますか、そしたらこう、ふらっと……」
「バカモン! どれだけ捜索費がかかったと思っておる……! お前さんの実家にも連絡したんだぞ! ドワーフのご両親は泣いておった…!」
「ひぇっ……も、申し訳ない……。は、働いて返します……。拙者もう親に合わせる顔がない……」
「愚か者が! まずは親にその元気な顔を見せに行きなさい!」
王都の狩人ギルド。
そこでは年老いたギルド長に、サニーがこってりと叱られていた。
「狩人になるのを諦めるなら諦めるで、止めはせん! だが生きてるかどうか報告ぐらいはしてくれんと、皆が心配するだろうが――!」
「――はいぃ……! ごめんなさい……! 完全に拙者が悪かったです……!」
サニーが平謝りをする中、そのギルドの入り口が盛大に蹴破られた。
大きな音に、その場にいた十数人のギルド員が入り口へと視線を集中させる。
「――エンシス様!?」
それを見て一番に声をあげたのはサニーだった。
そこにいたのは全身のいたるところから血を流した長身の青年。
それまでサニーを叱っていたギルド長が、彼の姿に眉をひそめる。
「お前さんはたしか騎士団の……。どうやら何か尋常ではない様子だが、いったい何の用だね」
周囲にいたギルドの面々がその異常な状況を察知して、次々と弓や短剣を持ち武装を整えだした。
エンシスは額に汗を浮かべつつ、サニーへと顔を向ける。
「……サニーさん。ラティの居場所に案内を――」
エンシスはそう言いかけて振り返り、剣を構えた。
激しい金属音と共に、彼はギルドの中へと弾き飛ばされる。
「――っつ!」
「エンシス様!」
サニーが彼に駆け寄ると同時に、ギルドの建物の中へとそれは体を滑り込ませた。
サニーは入り口から入り込んだその異様な物体を見て、驚愕の声を上げる。
「あ、あれは……ゴーレム……!?」
そこに入ってきたのはのっぺりとした白い人形だった。
まるで幼児が粘土をこねて作った人型の存在で、だらりと四肢を伸ばしている。
その身長は人間の大人ほどはあり、顔があるべき部分には何もなく、そこにはつるりとした白い球面が存在していた。
「あれは『矢』だ……。倒しても倒しても追ってくる」
エンシスがそう言うと、その白い人形はゆっくりと腕を彼の方へ向けた。
次の瞬間、その手首あたりから先が彼へと向かって射出される。
「――っち!」
舌打ち一つ、膝をついた体勢から剣を立て、彼はそれを打ち払う。
金属音があたりに響き、打ち払われた白い肉塊は光となって霧散した。
「よ、よくわかりませんが……命の危機っぽいですね、エンシス様」
「ああ。理解が早くて助かる」
サニーの言葉に彼は短く頷いて、その場に立ち上がった。
そんな彼に、後ろからギルド長が声をかける。
「……お若いの、助力が必要かね?」
「……可能であれば是非」
エンシスの言葉に、周囲にいた10人ほどのハンターたちが一斉に白い人形に向かって弓を構えた。
長い髭を生やしたギルド長が笑う。
「……傭兵は専門じゃあないので高くなるが、構わんな?」
「御助力、感謝する。……騎士団にツケといてくれ」
「あいわかった。……サニー、裏口に案内してやりなさい」
「了解です!」
サニーはギルドの建物の奥へとエンシスを先導する。
その方向に向けて、白い人形は一歩足を踏み出した。
瞬間、数本の矢が飛び交いその足を地面へとつなぎとめる。
「……さて、どうやら魔法生物の類と見たが」
白髪の翁が、古めかしい弓に矢をつがえて笑みを浮かべた。
「狩人の住処を踏み荒らすとは、いささか礼儀がなっとらんな。……ならば狩られても文句あるまい」
一瞬、その場を沈黙が支配する。
そして次の瞬間、ギルド長が矢を撃ち放つと共に、無数の木の矢が白い人形を貫いた。
§
「ビビ! ビビビビ! ラティ、侵入者だよ」
「おや、久々ですね……。今度はなんでしょう」
ミアちゃんたちと午後のおやつを作っていたわたしは、そんなヨルくんの声に従って水晶の部屋の中央に設置された巨大な水晶球のもとへと近付きます。
そこでは入り口に設置された小さな水晶球を通して、映像が見れるようにしていました。
「一人はサニーだよ」
「……あれ、サニーちゃんが来る予定はもう数日してからだったような……」
そう思いながら、わたしは水晶球に手を触れます。
魔力が走り、そこには入り口の様子が映し出されました。
「……え」
思わずわたしは声を漏らします。
そこに映っていたのはサニーちゃん。
そして、もう一人の男性。
その姿は、わたしがよく見知ったものです。
「……どうして兄さんが」
水晶球の先には、ところどころから血を流したエンシス兄さんの姿があったのでした。




