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ウヨリからアンバー領まで馬車で一日。そこからシシリーの居城まではさらに一日だ。
ちょっと驚くような近さである。
徒歩なら三日、早馬を使えば一日でたどり着くだろう。
郡都と郡都の間というのは、普通はもっと距離をあけるものだ。
というのも、領地が隣り合った貴族というのは、潜在的な敵だからである。
権益を巡って武力衝突するなど、そう珍しい話でもない。
「それだけアンバーとイロウナトの紐帯が強いってことだろうね」
街道を歩きながら、ティアロットが言う。
馬車の旅が思ったより短かったことに首をかしげた北斗への解答である。
シシリーの妹がアルベルトに嫁いでいる点から見ても両家の結束は固い。
居城の近さは、連携を密にするためのものだ。
「だからこそ、街道の整備も進んでるんだよ」
きっちりと地ならしされた道を杖でつつく。
人々の往来によって自然にできた道ではない。
物流や連絡の利便性を考慮して敷設された経済道路である。
道幅も広く、人や馬車の流れもスムーズだ。
北斗の知識に照らせば、幹線道路という風情だろうか。
「このあたりは、大いに見習うべきだろうな」
年少の友の言葉にセラフィンが頷く。
新生アトルワ王国のビジョンだ。
主街道の整備と物流の増大。
このふたつは、新国家の両輪となってゆくだろうし、しなくてはいけない。
ルーンの属国だからこそ、内政に口を出させないだけの経済的な強さが必要になってくる。
「まあ、借金ばっかりしてたら対等な付き合いなんてできねえしな」
北斗の台詞だ。
援助をストップされたらたちまち干上がってしまう、なんて状況だったら、とてもまともな国とはいえない。
「いろいろ勉強するところが多そうだね」
「ああ」
総括するように言ったナナに、頷いてみせる。
結局、アンバーの郡都での滞在は長期間には及ばなかった。
彼らには、国境でドイル王国軍と対峙しているというアンバー軍を救援するという目的があったからだ。
郡都から徒歩の旅で四日ほどである。
さすがにこの行程は子爵家の馬車というわけにはいかない。
「シシリーどのは、救援など無用と言っていたがな」
「そりゃそうさ。セラさん。戦況が逼迫してるなら、侯爵も子爵もウヨリでのんびりあたしたちと面会なんてできないよ。国境に配置してる兵だけで対応可能って確信がないとね」
「それはそうだが、勝敗など時の運だぞ。どうして確信できるのだ?」
「ん。いくつかのケースは考えられるよ」
言い置いて、ティアロットが説明を始める。
エルフの長は博識だが、軍略という部分ではやはり紅の魔女には及ばないのだ。
まず、アンバー軍の兵力がドイル王国軍を大きく上回っている場合。
これは極めて勝算が高い。
北斗たちは幾度も奇策を用いて大軍を撃破してきたが、ああいう事態というのは、そう滅多に起きないのである。
「でも、アンバーってのはあくまでも一領主に過ぎないんだから、そんなにそんなに大軍を擁してるわけがないよね」
子爵家の兵力など、どんなに頑張っても四、五千がいいところだ。
それだって常備軍として抱え込むには多すぎる。
軍というのは生産に寄与しないため、一定数以上もってしまうと、社会システムが破綻してしまうのである。
「ということは、数に代わるものが必要になるんだよ」
数千の軍隊に匹敵するハードウェア。
「つまりアンバーは国境に要塞を建設し、それに籠もって戦うことで、数的な不利を補っているということか? ティアロット」
「ご名答。さすがセラさん」
アンバーは過去に、ドイル王国の侵攻を経験している。
その経験から戦訓を得ていないわけがない。
だだっ広い平原なんかで戦ったら、数の多い方が有利に決まっているのだ。
ならば、
「たぶんこの辺に要塞を作ったんじゃないかな」
懐から取り出した地図の一点を、ティアロットが指し示した。
ルーンとドイルを分ける大河。
アザリア、という地名が記されていた。
「お初にお目にかかります。聖賢の姫君」
うやうやしく一礼する同年の少年。
ルーン王国からの使者、ルシアン・リリエンクローン補佐官である。
二国間条約の草案を携え、アトルーを訪れた。
じつは内容について、すでにアリーシアは把握している。
毎晩のようにアルテミシアと話を詰めているからだ。
救世の女王と聖賢の姫君の間では、もうある程度まで条約は形になっているのである。
ただ、文書でのやりとりを疎かにはできない。
口約束というのは、いつ反故にされるか知れたものではないのだ。
両者の公印を捺した文書が必要となる。
「遠路、大儀でした。すぐに精査し、検討いたしますが、少々お時間をいただきたいですわ。田舎町で恐縮ですが、一両日ほど滞在してくださいませ」
にっこりと笑うアリーシア。
中身を判ってはいても、すぐに返事をする、というわけにはいかない。
「恐縮です」
ルシアンが頭を下げる。
もちろん彼だって、すぐに返答がもらえるとは考えていないのである。
ことは国の大事。
慎重すぎるくらい慎重に運ぶのは、むしろ当然だ。
「それにしても、補佐官どのはお若いですわ。妾と同じくらいとお見受けいたします」
「同年と心得ます。閣下。お顔は魔法学校時代に幾度かお見かけしたことが」
「そうでしたの。奇妙なご縁ですわね」
いけしゃあしゃあとアリーシアが言う。
ルシアンの出自も年齢も、ちゃんとアルテミシアから聞いているのに。
まさに茶番だ。
もっとも、茶番を演じるのにはそれなりの理由がある。
ルシアンの為人を確かめる、というのもそのひとつだ。
もしも、かつての同級生という立場を利用しようとするなら、この少年の程度が知れる。
「どうか、このご縁が末永く続くよう願っておりますわ」
さてどう答えるか。
「同感にございます」
一般論にとどめた回答とともに頭を垂れる。
踏み込まず、踏み込ませず。
言質を取られるようなことは、まったく口にしない。
なかなかにガードが堅い。
女王の婿候補としては、まずは最低ラインは保持しているようだ。
内心で微笑むアリーシア。
だが、この程度で解放してやるつもりはない。
もう少しいじってみよう。
「今宵の食事は、補佐官どのと共にしたく思いますわ。迷惑でしょうか」
「……身に余る光栄にございます」
ルシアンの受難は、まだまだ続くようである。
ティアロットが予測したとおり、ルーンとドイルの国境には要塞が佇立していた。
黒い砂岩造りの巨大な建造物。
アザリア河に唯一架かっている橋に睨みを利かせている。
その名もアザリア要塞。
捻りもなんにもないが、建設位置としては絶妙だ。
ドイル軍が橋を渡って進軍しようとすれば、要塞から雨のように矢が降り注ぎ、兵士たちを打ち倒すだろう。
もしそれを凌いだとしても、渡河した瞬間に要塞から押し出した兵力によって大河に突き落とされる。
これほど守りやすく攻めがたいポジションは、そう滅多に存在しない。
「この城が造られたのは三十年ほど前だが、以来、一度としてドイル軍が渡河に成功したことはない」
バルコニーに立った男が北斗に教えてくれた。
キンドルフという魔法騎士で、アザリア要塞の指揮官である。
麾下の兵は千名ほどというから、ガゾールトにおける北斗と同じくらいの兵を率いていることになる。
そんな人物が、どうして商人の放蕩息子なんかと親しげに話しているかといえば、シシリーからの紹介状のおかげであった。
縁のある者なので、もし兵が足りないなら役立てて欲しい、と。
キンドルフとしては、べつに兵は不足していないものの、領主の手紙を無視するわけにもいかない。
自分の近くに置いて、戦を見学させることにした。
というのが、現在の状況である。




