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「ところでな。ホクト。服属するにあたって、やはりアリーシア姫には会った方が良いだろうか」
互いの意志が確認できれば、話は実務へと移行する。
「そりゃまあ、会わないってわけにはいかないだろ」
「少しばかり時間をもらえるか?」
「かまわないけど、なんかあるのか?」
べつに大急ぎで面会する、というものではない。
ある程度は書面でやりとりできるし、基本合意には至っているのだから、対面は形式的なものになるだろう。
ただ、アトルワの版図というのはたったの六州しかないため、各領主との連絡は密にしなくてはならない。
こういうときの風話装置なのだが、それは無い物ねだりである。
運用が凍結されているのだ。
もっとも、アルテミシアとアリーシアが、夜な夜なプライベートなおしゃべりに使用していると知ったら、さすがの北斗もちょっと怒ったかもしれない。
「ドイルの野良犬どもが騒いでいてな。国境線がきなくさい」
「おいおい。一大事じゃねえか」
「毎度のことさ。ただちょっと長引きそうだから、落ち着くまで待ってもらえたら幸いだ」
アルベルトの声は落ち着いたものであったし、シシリーも頷いている。
他国との武力紛争にも動じないというのは、なかなかに頼もしい。
「呆れたね。そんな状況なのに首を差しだそうとしたのかい? 侯爵さんも子爵さんも」
やれやれと首を振るのはティアロットだ。
さすがに領主が自ら兵を率いて戦うほどの事態ではないようだが、だからといって前線をほったらかして良いという話でもないだろう。
まして、両領主が死んじゃったりしたら、兵たちの士気はがたがたである。
「べつに私たちがいなくても、一戦くらいならなんとかなるさ。次回以降のことを考えるのはルーンの役目だと思っていたからね」
しれっと言うアルベルト。
「投げすぎだろっ」
北斗が笑う。
なんというか、変な男である。
年齢的にはシズリス・バドスとマルコー・アキリウの中間くらいか。前者よりも落ち着きがあり、後者よりも冗談が通じる。
「とにかく、聞いちまった以上は、俺らも放っておけない。手を貸させてくれ」
「それは有り難いが……」
言いよどむアルベルト。
ルーンの聖騎士の後継者、魔法使い殺したる北斗の軍才を疑うわけではない。
わけではないが、アンバー軍にはアンバー軍の指揮系統がある。
突如として上位者が現れては混乱するだろう。
まして北斗はドイル国境の地理にも不案内だ。
「心配すんなって。指揮権をよこせとかいわねえよ」
表情を読んだ北斗が安心させるように言った。ルーンに来てから一年以上、幾度も戦いを経験してきた。
アルベルトが心配する程度のことは、説明されるまでもなく判っている。
「俺はコーヴにあるアバレンボ商会の二代目で、見聞を広めるために諸国を漫遊中さ。たまたま戦に巻き込まれちまうのは、そう珍しい話でもねえだろ」
近くを通りかかった旅人。
腕におぼえがあったので、傭兵として参加することになった。
という筋書きである。
「種明かしをしなきゃ、俺の顔を知ってるヤツなんていないだろうしな」
「まあ、そういうことなら……」
侯爵が頷く。
北斗やその仲間の身を案じるようなことは言わない。
不死の王アルベルト・ロスカンドロスを倒した無双の勇者たちである。
魔法使い殺し、剣の舞姫、紅の魔女、そしてなにより深緑の風使い。
彼らの武勇を疑うのは、かえって非礼にあたるだろう。
「私と一緒に馬車でアンバー入りしましょう。徒歩よりは速いから」
シシリーが提案する。
「それはそうだろうけど。商人のどら息子が諸国漫遊中って設定が、最初から崩れてるよ。なんで子爵家の馬車に乗ってるのさ」
呆れるティアロット。
なんというか、もう少し考えて発言して欲しいものである。
「バレなきゃ平気よ。誰が子爵家の馬車の中を覗こうとするもんですか」
ひどい言い草だ。
魔女があんぐりと口を開ける。
前言撤回。
こいつは何も考えていないんじゃない。確信犯だ。
「被害者のいない犯罪は犯罪ではない。これがうちの家訓よ」
胸を反らす女子爵であった。
『草案ができたんで使者を出すわ』
「はやかったですわね」
いつもの夜の会話。
アトルーとコーヴを結ぶ女子会回線である。
アトルワが独立すれば属国という立場になる。そうでなくとも、ルーンとアトルワの関係は、そんなに気楽なものではない。
両陣営のトップの仲が良いというのは、今後の外交関係を考えても歓迎すべきことだ。
それゆえ、アルテミシアもアリーシアも、毎夜のように繰り広げられる雑談を大切にしている。
個人的な友誼と政略的な打算の、両面から。
そういう面倒くさい部分のない付き合いができれば最高だが、案外これでいいという思いもある。
互いに、自他共に認める才女だ。
プライドだって高い。
単なる友情で結ばれるには、少々アクが強すぎるだろう。
『時間をかけても、良いことなんてなんにもないからね』
「そうですわね。ちなみにご使者はシルヴァ卿ですか?」
『あれが抜けると政務が滞るから無理。ルシアンをいかせるわ」
「それは楽しみですわね。シアちゃんの婚約者の顔が早くも見られるのですから」
『気に入ったら、そっちでスカウトしてもいいわよ?』
「またそういうことを……」
苦虫を噛み潰したような顔をするアリーシア。
使者に傷一つでもつけたら、今後の修好関係にも影響がでてしまう。
まして抱き込むなど、まさに開戦の口実だろう。
『や。けっこう美形よ?』
「同い年くらいの殿方など、子供っぽすぎて恋愛の対象として見れませんわ。妾の好みは、もう少し年上です」
『ホクト卿くらい?』
「ラズリット卿くらいですわね」
『老けすぎだからっ』
ルシアン少年の父親たるラズリット・リリエンクローン公爵のことである。
年齢は五十代の半ばだ。
アリーシアにとっても、もちろん父親の世代だろう。
花嫁をもらう歳ではない。
むしろ平均的な寿命からいえば、いつ亡くなってもおかしくないほどだ。
実際、アルテミシアの父王も、五十代の半ばで世を去っている。
「結婚後、一、二年くらいで莫大な財産を妾に遺して亡くなるというのが理想ですわね」
『……結婚は恋愛の延長が良いって言っていた人の言葉とも思えないわよ。シアちゃん』
「政略結婚なら、こういう条件が良いというお話ですわ」
生臭いことをいう聖賢の姫君であった。
異名が泣きそうである。
『いちおう、どっちも納得できそうなラインを探ってみたけど、シアちゃんの方でも精査して』
咳払いの後、話題を戻す。
結婚観の話をするために風話しているわけでもないのだ。
「判りましたわ。到着後、一両日中に返信いたします」
どのみち、一発で調印ということにはならない。
幾度も条件のすりあわせが必要になるだろう。
こればかりは仕方のないことである。
誤解や解釈の相違などがあれば、無用なトラブルに発展してしまう。
『三、四回ほどやりとりするとして、調印式典は三月後くらいかしらね』
「そのくらいの時期になりましょうか。そのころにはホクトも戻っていることでしょう」
『留守にしてるんだっけ?』
「イロウナトとアンバーの視察ですわ。いかに組み込んでいくか、思案のしどころです」
ふうとため息を漏らす。
『なんか、ホクトがいなくて寂しいみたい』
「は? いやいや。なんでそんな話になるのですか? そもそも彼にはちゃんと奥さんがいますわ」
『奪っちゃえ奪っちゃえ。寝取っちゃえ寝取っちゃえ』
「シアちゃん……アトルワに不和の種を蒔かないでいただきたいのですが……」
笑い声とともに囃したてる大ルーンの女王に、アリーシアが思い切り渋い顔をした。




