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内院に移動する。
小川が流れ、木々の緑があるやなしやの風にそよぐ。
閑雅な雰囲気で、北斗やナナなどには少しばかり高尚すぎるようだ。
まあ、日本だって十代の若者に枯山水の良さを語っても、なかなか理解できないだろう。
絶妙な位置に建てられた四阿に、アトルワからの旅人を誘うアルベルト。
その横には、二十代後半と思われる女性が侍っている。
しかも二人。
謁見の間でもそうだったのだが、とくに紹介もされていないため、北斗たちには素性すら判らない。
全員がベンチに腰掛けたのを確認し、辺境の侯爵が口を開いた。
「紹介しよう。妻のミルニーと、その姉のシシリー・アンバー子爵だ」
「おうふ。そういうことかぁ」
ティアロットがぺしんと自分の額を叩いた。
繋がった。
イロウナトとアンバー。両者は結びついていたのだ。
だから不死の王は後顧の憂いなく王都を目指して進軍することができた。
ついでに、隣国ドイルの動向も気にする必要がなかった。
アンバーが、しっかりと国境を守っているから。
「過去の歴史を紐解いても、不死の王の侵攻に乗っかるようなカタチでルーンに攻め込んだ国はないんだよね。巻き込まれるのを怖れてだと思ってたんだけどさ。そんな不確かなものじゃなくて、ちゃんと防御を固めてから、他国の介入を許さない状況を作ってから、事を運んでいたってことなんだね」
やれやれと肩をすくめる紅の魔女。
思わず北斗とセラフィンが顔を見合わせた。
アルベルト・ロスカンドロスの行動が怨恨による暴挙ではないことは、もう判っている。
しかし、ここまで壮大なプロジェクトだったとは想像の外側だ。
貴族二家による計画。
ルーン王国を存続させるための悪役として屹立するという。
「といっても、アンバーがこれに噛んだのは、三代前のことに過ぎないのだけれどね」
青みがかった見事な銀髪を掻き上げるシシリー。
彼女たちの祖父の代に起こった不死の王の侵攻が発端だ。
「ん? ちょっと待って。それって何年前?」
記憶層を探るようにティアロットが問う。
「六十八年前よ、魔女さん」
えらく具体的な数字をあげてくれる女子爵。
穏やかに笑いながら。
「カレニオ平原の戦い? あたしの記憶違いかな?」
王国史にも詳しいティアロットの知識に符合する戦役がある。
当時新興国だったドイルが勢いに乗じて国境を突破し、侵攻を開始した。宣戦布告もなにもない。突如としての侵略だ。
このとき、敢然と立ち塞がったのがトゥーリア・アンバー男爵。
千にも届かぬ寡兵で、数万に及ぶドイル軍を蹴散らしたとされるのが、カレニオ平原の戦いである。
どのような戦法が用いられたのか、どうやって数十倍の敵を撃破したのか、詳細は何ひとつ伝わっていない。
ただ、
「アンバーある限り、薄汚れた輩の靴の一足たりとも、大ルーンの大地は踏ませぬ」
という豪語だけが、英雄伝説の一節として知られている。
この武勲によってアンバーは男爵から子爵へと昇爵したことと。
「そして、その年には不死の王の侵攻なんかなかった。これもあたしの記憶違いかな?」
「違ってないわね」
「つまり、アンバーは、不死の王の軍勢とともにドイルをやっつけた。という解釈になるね」
「聡い子は好きよ」
シシリーは笑みを絶やさない。
王都に向けて進軍するはずだったアルベルト・ロスカンドロスは、その力を侵略者と戦うために使った。
不死の王の真意を知り、その意気に感じ、救援に感謝したアンバーは、アンデッドの王と友誼を結んだ。
以来、イロウナトとアンバーは、協調路線を歩む。
ルーンを愛するルーンの敵として。
「なんつー壮大な話だよ……」
呆れたように呟いた北斗が、同意を求めるようにナナを見る。
かるく頷いた少女。
ふと思いついたように侯爵に視線を向けた。
「いっこだけ訊きたいことがあるの。イロウナト領の街でいろんな種族を見つけたんだけど、あんまりフードとか被ってるひといなかった。どうして?」
えらく要領を得ない質問だ。
ようするに、獣人や亜人が差別に晒されることなく生活しているように見えたが、なにか特別な施策をおこなっているのか、という趣旨である。
意訳が必要な問いに、アルベルトは怒らなかった。
「ご先祖の教えでね」
「街の空気は自由にする、か」
口をはさんだのはセラフィンである。
かつて、ともにルーンを築いた男が幾度も口にした言葉。
国でも街でも何でも良いが、それは受容と蓄積の場である。拒絶や排斥の場であってはならない、と。
「やはりご存じでしたか。深緑の風使い」
嬉しそうに頷く侯爵。
「ああ」
知らず、目頭を押さえるエルフの長。
彼女の友が掲げた理想は、愛弟子によって、その子孫たちによって連綿と受け継がれていた。
想いは、ちゃんとリレーされていた。
オリフィック・フウザーが築きたかった未来、アルベルト・ロスカンドロスが夢見た未来、ガドミール・カイトスやセラフィンやキリが諦めてしまった未来が、ここにあった。
「良い政を為してきたんだね。だけど、もう終わりだよ」
穏やかな雰囲気を切り裂くように、ティアロットが冷然と告げた。
思い出話だけで終わるわけにはいかない。
彼らはアトルワの使者として訪れているのだ。
今後について、決めなくてはいけないことは数多い。
「ご先祖が倒され、君たちが現れた時点で覚悟はしているさ。さあ、私たちの首を獲ると良い」
反乱主導者として処断せよ、という意味だ。
そのために、イロウナト侯爵とその妻、アンバー子爵が揃っているのである。
「ただ、兵や民たちは与り知らぬこと。寛大な処置を願う。ルーンの聖騎士の後継者よ」
ゆっくりと頭をふる北斗。
「ティアが言う終わりってのは、そういう意味じゃねえよ。アルベルト卿」
アトルワが目指すのは民主政治だ。
すばらしい名君に善政を与えてもらうのが終わりだと、紅の魔女は語っているのである。
これからは新生アトルワの一員として、ともに政治に参画してくれ、と。
「なんと……」
「俺たちアトルワはルーンから独立する。つっても属国って立場だけどな」
今度は北斗が説明する。
イロウナトやアンバーの知らない事情だ。
救世の女王との密約。アトルワ王国の建国。以て隣国への備えとなり、ルーンにルーン以外の価値観をもたらすために。
表面だけ見れば国を割る事態である。
「だが違うのだな。先達の道を歩もう、と、そういうことか。ホクト卿よ」
皆で知恵を出し合い、どうすれば皆が幸福になれるのか考える国。
王の絶対的な権力によって理想郷を築こうとしたオリフィック・フウザーの夢は、現実という怪物に汚されていった。
それでも救うために敵であり続けたアルベルト・ロスカンドロスの思いは、いま、違う色の花を咲かせようとしている。
しかし、その花がいずれ実を結ぶのか、それともただ香るだけで枯れてゆくのか、いまだ時の試練の彼方にある。
「我らにも、ともにこい、と」
「ああ。今度こそ、一緒にやろう。敵味方じゃなく」
「……ご先祖は、きっと満足しただろう。最後に良い夢を見ることができた」
ルーンを立て直そうとする救世の女王。
新たな価値観を芽生えさせ、新時代を築こうとする聖賢の姫君。
巨大な個性との出会いによって始まったアルベルト・ロスカンドロスの長い長い旅は、光り輝くようなふたつの個性の出現によって、終わりを迎えた。
「夢の残滓を追うのも、また一興か」
「違うぜ。アルベルト。もうロスカンドロスの夢じゃねえ。俺たちの夢だ」
呼び捨てにして、ぐっと右手を差し出す。
にやりと笑い、アルベルトが握りかえした。
「よろしくな。ホクト」
その上にシシリーも手を重ねる。
「私も行くわ。妹の亭主はどうにも頼りないからね」
この瞬間、イロウナト侯爵領とアンバー子爵領の、アトルワへの帰属が決定した。




