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「陛下。ルーン・アトルワ条約の草案がまとまりました」
書類の束を抱えて執務室に入ってきた補佐官が開口一番に告げる。
「目を通した?」
「いえ」
「先に目を通して。ルシアン。その上で問題点と一緒に報告してちょうだい」
読んでいた別件の報告書から顔を上げることもなく言うアルテミシア。
ひどい態度である。
女王付きの補佐官となって十日ほど。
救世の女王の為人が、だいぶ見えてきた。
彼女は、自分の言うことを聞くだけの肉人形を欲していない。
右から左へ報告をもってくるだけの使い走りも欲していない。
意見を持ち、アイデアを持ち、ビジョンを持つスタッフをこそ求めている。
だからアルテミシアは、口癖のように「あなたはどう思う?」という言葉を使う。
反対意見だって傾聴する。
ただし、常に対案を提出しなくてはならないが。
代案ではない。
自分ならばこうする、という建設的な意見を求められるのだ。
これがけっこうきつい。
反対のための反対や、ただなんとなく、というのは許してもらえない。
やらないための言い訳も許してもらえない。
女王には理想があり、それを実現するため方策を臣下に要求するのだ。
これこれこういう理由でできませんと応えれば、ではどのようなやり方ならできるかと問われる。
時間がないなら、人数を増やすことで対応可能か、とか。
お金がないなら、どの程度の増額で対応が可能か、とか。
とにかく、逃げ口上がいっさい通じない。
自らの才能を隠し、平地に乱を起こすまいとしていたルシアンだが、アルテミシアを前にすると、自分の才能など隠すほどのものでもなかったと痛感させられる。
上には上がいる、と。
しょせんは子供の浅知恵。おそらくは父も兄たちも気付いていたのだろう。
その上で、ルシアンに自由を与えていたのだ。
自分の才能によって人を傷つけたくないなど、とんだ思い上がりである。
救世の女王の旗の下に集った綺羅星のごとき人材たち。
真なるルーンの聖騎士ライザックや制服の宰相シルヴァに比較すれば、ルシアンの才能など微々たるものだ。
無能とまでは思わないが、ひいき目に自己評価しても真ん中より下くらいだろう。
しばしの自信喪失の後、ルシアンは前を向いた。
追いついてみせる、という思いとともに。
王宮での生活が、そのまま修行の場となった。
あと、わりと重要なことだが食事が美味しい。
アルテミシアの親友にして秘書のメイリー。総料理長すら上回ると噂される彼女が、頻繁に腕を振るってくれるからである。
いまとなっては、そのような場を与えてくれた父と女王に感謝しかない。
「しかし陛下。あまり僕が先んじて知ってしまうのは、統治上問題があるのでは?」
ふと思い立って訊ねる。
アルテミシアが書類から顔を上げた。
なんだか驚いたような顔をしている。
「どうしました?」
「問題ありよ。きまってるじゃない」
補佐官のところで握りつぶしてしまい、女王に報せない、という事態だって起こらないとはいえないのだ。
「しませんけどね。そんなこと」
「するつもりがあるなら、わざわざ注意を喚起したりしないでしょうよ」
「もちろん考えておられたのでしょう? 僕が気付くくらいですし」
「じつは考えてなかったわ」
執務机の上で手を組むアルテミシア。
迂闊といえば迂闊な話だ。
組んだ手に形の良い顎を乗せる。
「でも、まあいっか」
「いいとは?」
「私のお婿さんになるんでしょ。それなら、リードしてるところの三つや四つ、ないと困るもんね」
救世の女王が片目を瞑ってみせた。
少年の頬が染まる。
なんというか、この女王様は、とにかくいろいろ卑怯だと思う。
使者が訪れたのは、翌日のことであった。
二、三日は待たされるだろうと読んでいた北斗たちは、大いに面食らうことになる。
男爵家などというものは、侯爵から見ればはるかに格下だ。
昨今のルーン情勢に通じているなら、アトルワがただの男爵などではないことも当然知っているだろうが、その場合はルーン王国と敵対関係にあることも承知しているだろう。
軽々に会うことを選択できない。
知っていたとしても、知らなかったとしても。
「けど、すぐに面会することにした。なんかありそうだね。ホクトさん」
「判ってる。気を引き締めていこう」
とは、ティアロットと北斗の会話である。
その彼らは、迎えの馬車に揺られて城に入り、現在は謁見の間のようなところにいた。
領主の椅子の正面、五メートルほど離れた場所に北斗が片膝をつき、その後ろにナナ、セラフィン、ティアロットが横一列に並んで、同様のポーズを取っている。
他に客はいない。
最初から人払いがなされているのだろう。
待つというほどの時間もなく後方の扉が開き、いくつかの足音が聞こえる。
三人、と、ナナは判断した。
充分に斬り破れる数である。
「使者どの。面をあげてください」
豊かに響くバリトン。
丁寧な言葉遣い。
ゆっくりと視線をあげた北斗の目に映ったのは、椅子に座る壮年の男性であった。
小麦色の髪。浅黒い肌。底知れない深淵のような黒い瞳。
初対面のはずなのに、なぜか既視感がある。
「……お初にお目にかかります。侯爵閣下。アトルワ家中のホクト・アカバネと申します」
言葉の前に、一瞬の沈黙が挿入された。
「貴殿の勇名は、このような辺境にまで轟いています。ルーンの聖騎士の後継者。あるいは、魔法使い殺しとお呼びした方がよろしいですかな」
「……お耳汚しでした」
「改めて、私はアルベルト・L・イロウナト。よしなに」
「…………」
息を呑む。
「この名は代々受け継がれてきたものです。私は同じ名前を持つ七人目ですね」
「……左様ですか」
「そしてホクトどのは、私以外にもこの名を持つ者を知っている、と」
投げ込まれる言葉の爆弾。
「ご賢察、恐れ入ります」
北斗の応えに躊躇いはなかった。
腹を括り、剣を抜いた、ように女性たちには見えた。
もちろん双竜剣のことではない。さすがに武器は城の者に預けている。
「貴殿らがここにきたということは、ご先祖さまは敗北したのですな」
「ああ。俺が倒した」
言葉を崩す。
「そうか。彼は強かったか?」
侯爵もまた相好を崩した。
「神雷と終焉の鎮魂歌をその身に受けても、なお立ち向かってきたよ」
応えたのは北斗ではなく、魔法に詳しいティアロットである。
残念ながらルーンの聖騎士の後継者では、雷ばーんとか、隕石どーんとか、非常にほんわかした説明しかできない。
「大魔法二発で滅びないとか。本気でバケモノだなっ ご先祖はっ」
呵々大笑する侯爵。
そこに悲しみや恨みはなかった。
すっと立ち上がり、北斗へと歩み寄る。
「ホクト卿。貴殿に感謝を」
手を差しのべて客人を立たせた。
「ご先祖の妄念を解き放ってくれて」
笑み。
「本当によく似ているな。さすがは血縁というところか」
返答は北斗ではなく、その後ろから。
少年が半歩横に動き視線を通してやる。
見目麗しいエルフの長が立ちあがっていた。
「ジェニファとアルベルト。両方の面影がある」
「貴女は……?」
「セラフィンという。かつては深緑の風使いなどと呼ばれていた」
差し出される右手。
「おお……おお……」
感極まった様子で侯爵がそれを握りしめた。
伝説の人物が、いま目の前にいる。
おそらくアルベルト・ロスカンドロスから、建国王とその仲間について聞かされていたのだろう。
だから、
「アルベルト卿。俺たちにも教えて欲しい。貴公の先祖がルーンを思い続けて、なにを為してきたかを」
真剣な眼差しで北斗が言う。
知らなくてはいけない。
ともに未来を築くために。
今度こそ。




