10
春の街道。
イノシシの足肉を一本ずつ担いで旅を続ける四人。
とてもシュールな光景である。
ナナが狩ってきた獲物だ。
けっこうな大きさで、どう考えても四人で食べきれる量ではない。傷むのが比較的速い胴体の肉だけは頑張って食べ、足肉は担いで進むことになった。
「……身体の半分が肉になった気分だぜ」
ぐぇぇぇっぷ、と盛大なげっぷをしながら北斗が言う。
食べ過ぎである。
持っていけない分は捨て置くしかなかったため、かなり無理して食べたのだ。
食べ残しは、他の肉食獣たちが滞りなく処理してくれる。そうやって命は廻っていくのだから気にする必要はない、というナナの言葉があったのだが、もったいないものはもったいない。
戦中派の主婦みたいな男である。
「もともと君の身体は、八割くらいが肉だよ。その計算だと減ったことになるんじゃないかな? ホクト」
腹をさすりながら混ぜ返すティアロット。
人間の場合、だいたい体重の二割くらいが骨と血で、残りが臓物や肉である。
「うっせーな。気分だよ気分っ」
「どっちでもいいけど、眠くなってきたねー」
あくびをかみ殺すナナ。
まあ、腹がくちくなれば眠くなる。
そのへんは人間でも獣人でもエルフでも変わらない。
「そうだな。私も少々眠い。早めに野営できそうな場所を探すとしようか」
セラフィンが賛同した。
宿場町でもあれば良いのだが、さすがにそれは期待薄だろう。
仮に不死の王の侵攻という要素がなかったとしても、イロウナトに入ったばかりのこのあたりは、まさに辺境である。
街道沿いとはいえ、宿場などそうそうあろうはずがない。
「そだねえ……。ナイトホークでくれば良かったよ……」
力無く杖をつき、ふらふらと歩くティアロットがひどいことを言っている。
三機あるナイトホークのうち、三号は完全破壊されてしまった。二号も大規模な修理を必要としている。
健在なのは一号のみであるが、これは戦闘向きではないということで実戦参加しなかったためだ。
ただ、戦闘には向かなくとも移動には使えるし、二人乗りといっても四人でしがみつくこともできる。
足として利用するのは不可能ではない。
「勘弁してくれティア。ロボットを街道走らせてたら、さすがにどう思われるよ」
「歩かなくて済むなら、ものぐさだと思われるくらい我慢するよ……」
「ものぐさだと思われないよ! 怪物の襲撃だと思われるよ! 普通に!」
眠いためか、紅の魔女ともあろう人の思考は、おかしなことになっているようだ。
平和なことである。
「を? 人の気配がするよ」
不意にナナが口を開く。
弛緩していた雰囲気が一気に引き締まった。
どれだけだらだらしていても、彼らはひとかどの戦士である。
「人数は判るか。ナナ」
問いかけるエルフ。
べつに声を潜めるようなことはしない。
キャットピープルの気配読みは数キロ先まで及ぶからだ。
「んっと、いっぱい」
「いっぱいて……」
もちろんナナは数字を数えることができないわけではない。具体的な数を算定できない、という意味である。
「隊商なんかじゃないね。集落みたいな感じー」
手酷い攻撃を受けたようにみえる関所から、一日も離れていない場所に集落。
そこにある人の気配。
意味が判らない。
「どういうことだ?」
同行者たちを振り仰ぐ北斗。
しかし、彼の瞳に映ったのは肉を抱えで途方に暮れるティアロットとセラフィンだった。
思わず苦笑が浮かぶ。
たぶん俺も同じような顔をしているだろうな、と。
結局、どんな楽器だって鳴らしてみなくては調子は判らない。
北斗たちの逡巡はごく短かった。
覚悟を決め、普通の旅人を装って歩く。
まあ、おかしな点といっても、全員がイノシシの足肉を持っている程度だから、とくに怪しまれたりしないだろう。
「君にとって、イノシシの足を抱えて歩く人は普通なのかい? ホクトさん」
ティアロットが律儀に突っ込んでくれた。
彼女はねじくれたでっかい杖を持っているので、その先端に足肉を吊している。
ちなみに右前足だ。
後ろ足は重いので、体力のある北斗とナナが担当している。
けっこうどうでもいい情報だ。
「どこかの部族の風習みたいだな」
「そんな部族はいないよっ 重いんだよっ」
「いないと決めつけることもあるまい。世界は広いぞ。ティアロット」
「仮にいたとしてもっ 探す理由が見あたらないよっ セラさんっ」
ちなみに、そのセラフィンは肉をナナに縛ってもらい、背中にくくりつけている。
菱縛りというらしい。
ちょっと手抜きっぽいとナナが言っていたが、もちろん誰にも理解できなかった。
「まあまあ。邪魔くさいのは事実だし、とっとと売っちまおうぜ」
平和主義者のふりをしながら、北斗が仲裁する。
いつまでも肉を持って旅を続けるというわけにもいかない。
陽気も良くなっているし、すぐに傷んでしまうだろう。
「仲買いるかなー?」
首をかしげるナナ。
猟師が勝手に、適当に獲物を売ってしまうと、市場が乱れるため、いったんは仲買人がすべて買い上げる。
それに適正な価格をつけて卸に流す。
そして各小売店が卸からモノを仕入れるのだ。
ルーンでは、だいたいこのような流通のサイクルになっている。
したがって狩人が直に酒場や宿屋に獲物を持っていっても、買ってもらえないのである。
「どうだろうな……」
北斗が集落を見渡して首を振った。
ドバ村とたいして変わらないような規模の集落である。であれば、仲買は定期的に訪れるだけで、常駐はしていないだろう。
「ま、最悪、泊まった宿屋に譲るしかないだろうね」
セラフィンとのじゃれあいに飽きたのか、ティアロットが口をはさんだ。
生肉を抱えて旅を続けるという愉快な状態は、できれば回避したい。
いくばくかの乾し肉とでも交換してもらえれば御の字だろう。
「あんたら、その肉を売りたいのかい?」
不意に声をかけられる。
恰幅の良い中年女性だ。
会話が聞こえていたのだろう。
天下の往来で肉を抱えた一行があーでもないこーでもないと騒いでいれば、嫌でも目立つ。
「ああ。旅の途中でたまたま狩れたんだが、もてあましてしまってな」
人好きする笑みを浮かべ、大げさに北斗が肩をすくめてみせた。
警戒はない。
この女性の接近と敵意の有無については、すでにナナからこっそりと報されていたから。
「ここの冒険者ギルドでも買い取りの代行はしてるけど、買いたたかれるよ」
「ギルドがあんのか。すげえな。まあ買いたたかれるのは仕方ねえさ」
生鮮品など保存の利くものではない。
損を出さないためには、仕入れ値は最低額に抑えようとするだろう。すぐに売りさばけるルートを持っている仲買ならともかく、代行業務をしているだけの冒険者同業組合ならばなおさらだ。
それよりも、こんな集落にギルドがある方が驚きである。
「駅馬車の中継地点だからね」
表情を読んだのか、おばちゃんがにかっと笑う。
自らの街を誇るように。
「つまり宿場町なんだな? ここは」
「そういうことさ。ようこそ旅の人。今夜の宿はおきまりかい?」
感じの良い笑顔だ。
たっぷりと商売っ気のある。
釣られるように北斗も笑った。
この女性、善意やお節介で近づいてきたわけではない。言い回しから察するに、旅館か旅籠の女将さんなのだろう。
旅人たちが携えている肉、立派な旅装、この土地に詳しくなさそうな様子。
それらを総合的に判断して、金になる客だと読んだ。
まあ、読みが外れてタダの貧乏人だったら、とっとと冒険者ギルドの場所でも教えて立ち去るつもりで。
だからこその最初の問答である。
どうしてどうして、なかなかの商売人だ。
「これから決めようと思ってたところさ。女将さん。あんた世話できるかい?」
「まかしときな。この街一番の宿を世話してやるよ」
「助かるぜ。俺はホクト。コーヴで商売をやってる親父の後を継ぐのに、見聞を広めてこいとかいわれてな。諸国漫遊中だ」
「豪気な親父さんだねぇ。なんて商会だい?」
「アバレンボ商会っていうんだけどな」
「きいたことないねぇ」
当たり前である。
そんな名前の商会は、ルーン中を探しても出てこない。
「俺の代になったら、全国に名前が轟くさ」
「楽しみにしてるよ」
笑いながら、女将さんが先導してくれる。
楽しそうについてゆく北斗。
呆れたような顔の女性陣が、後に続いた。




