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北斗がルーンにやってきて、そろそろ一年が過ぎようとしている。
なんというか、いろんなことがあった。
ドバ村の反乱に始まり、広大な領地を任された総督になって、いまは民の声を聴くために視察行である。
「なんつーか、あれだな。人生ラクありゃ苦もあるさって感じかー」
ぽかぽかと暖かい街道を歩きながら、謎の呟きを発する。
なにいってんだこいつ、という顔で同行者たちが視線を送った。
彼の故郷で放送されていた時代劇の主題歌の文句であるが、もちろんナナもセラもティアロットも、そんなものは知らない。
諸国漫遊の旅ということで北斗は連想したのだが、認識を共有できないのはせつないものである。
もっとも、日本人同士でも共有できるかあやしいところだ。
人数も配役もまったく合っていないのだから。
「けどさ。考えてみたら視察なんて意味あるのかな? アンバーもイロウナトも、皆殺しにされてるかもしれないんでしょ?」
北斗の隣をほてほてと歩きながらナナが首をかしげる。
不死の王の軍勢がどこを起点として侵攻を開始したかは判らない。
判らないが、現在までイロウナト侯爵家ともアンバー子爵家とも連絡が途絶えている。
隣国のドイルで発生したというのは、この際はないだろうから、最も端にあるアンバー領からスタートして、イロウナトを平らげた後にガゾールトに侵入したのではないか。
「一人残らず死ぬなんてありえないよ。ナナさん」
苦笑するティアロット。
そこまで丁寧に人間を殺しながら侵攻しても意味がない。
不死の王の場合は、兵力の補充的な意味で人を殺す必要があるが、それだって無原則におこなうものではないのだ。
「逆に考えれば、あたしたちが戦った不死の王の軍勢が、被害者の数とほぼイコールになるはずなんだよ」
「なるほど。殺した者を使役していたなら、そういうことになるか」
得心したようにセラフィンが頷いた。
アルベルト・ロスカンドロスは孤独の王である。
その兵力は現地調達したもの。
「そ。ただ付け加えるなら、デュラハンとか高位のアンデッドは別口に用意しただろうから、そこを割り引いた数が被害の実数じゃないかって思うよ」
面白くもなさそうに魔女が告げる。
それでも相当な数だからだ。
ゾンビ、グール、ゴースト、スペクター、そしてバンシー。
それらがすべて住民たちのなれの果てとするなら、被害総数は一万を超える計算になる。
なかなかに笑える事態ではない。
「しかし、それ以外は生き残っているという推測はできるわけだな」
形の良い下顎を右手で撫でるセラフィン。
かなりの数ではあるが、アンバーとイロウナトの総人口を考えれば、全滅ということにはたしかにならない。
「むしろ生き残っている者の方が、ずっとずっと多いことになるな」
子爵領と侯爵領である。
アトルワやバドスなどとは比べものにならないほどの人が暮らしている。
一万というのは、おそらく一割にも達しないだろう。
「すごい数ではあるよ。一割を失うってのは領地運営に支障をきたすほどのものだもの」
それは事実である。
戦場でも、一割が戦死してしまったら勝ったとしても喜べないといわれている。
まして兵だけでなく、すべての民を合した数字から一割。
社会としてのシステムを維持することすら難しくなる。
「それが連絡が来ない理由なんかな?」
ふうむと北斗が唸る。
「と、聖賢の姫君さんは読んでるみたいだね。健全な読みだと思うよ」
不死の王は侵攻に際して、行政機能を潰していった。
通り過ぎた後、後背からつつかれては面白くないからだ。
理にかなった考えであり、多くの者が納得するだろう。
「ティアの読みは違うのか?」
それでも北斗が訊ねたのは、なんとなくティアロットの言い回しが、賛同というより判断保留のようなニュアンスに思えたからだ。
「ん。不死の王が滅びたのはもう判ってると思うんだ。アンデッドが消えたんだからさ。そしたら、すぐにでも助けてくれって駆け込んでくるんじゃないか思うってだけ」
頭がすでに潰されているなら、恥とか外聞とか関係ない。
むしろ、民たちから、何とかしてくれという陳情が上がってこないというのは、不思議なほどである。
「助けを求めるのは恥と考える奥ゆかしさ、とか?」
「どこの民族だいそれは?」
「俺の故郷はそんな感じだった。どんなひどい状況になっても、自分から助けを求めるのは恥ずかしいって考えるヤツは多かったな」
「どんだけシャイなんだよ。そもそも、なんでそんなんで社会が回るのさ」
援助が必要な人が声を上げてくれないと、他人には判らない。
助けてと言ってくれないと、救いの手を差しのべることもできない。
当たり前のことだ。
「困ったときはお互い様っていってな。端から見てて困ってると思えば、頼まれなくたって手を貸すもんだろ。困ってんのに助けねえのは江戸っ子じゃねえよ」
「なんだいそりゃ? 君たちの国の人間はお節介焼きしかいないのかい?」
ティアロットが苦笑する。
北斗がいた一九七〇年代。
日本には、まだ人の繋がりが残っていた。
生活に苦労している家が近所にあれば、それとなく気を配り、子供の面倒を見てやったり、食べ物を差し入れてやったり、思い詰めないよう話を聴いてやったりするお節介どもが、いくらでも存在したのである。
相互扶助といえば褒めすぎだろうが、平成の世の中ほど、他人というのは敵ではなかった。
その分、個人情報はまったく重視されなかった。
失業などしたら、次の日には近所に知れ渡っていたし、すぐにお節介なおっさんが、仕事を世話しに来るような鬱陶しさはあった。
にっちもさっちもいかない状況には、なかなかさせてもらえないのというは、幸運なのか不幸なのか。
「いい国なんだね。総督さんの国は」
「いんにゃ。矛盾も不公正も掃いて捨てるほどあったさ。天国でもねえし楽園でもねえよ」
事実、彼の死んだ四年後の一九七六年には、世界規模で影響を及ぼしたロッキード事件が明るみに出ている。
総理大臣の犯罪、昭和最大の疑獄、などとも呼ばれるそれは、発覚後、関係者が次々と怪死するという事件があったり、不当逮捕や作文調書の疑惑があったり、アメリカ陰謀説が浮上したりと、かなり謎に満ちた事件だ。
ともあれ、不正もあれば犯罪もある。
貧富の差だってあった。
万人が幸福に暮らしていたわけでもない。
「それは仕方がないよ。人間社会だもん。たぶんね、病気や事故で死ぬ人をゼロにすることが将来的にできたとしても、犯罪のない社会は作れないんだよ。絶対にね」
「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじってやつだな」
安土桃山時代の大怪盗、石川五右衛門の辞世の句として知られる文言だ。
実在したかどうかも判らないので、本当に詠んだかどうかはもっと不明であるが、ようするに、砂浜の砂がなくなることがあったとしても、世の中から犯罪者かがいなくなることはない、という程度の意味である。
「うまいこと言うね。総督さん」
「俺の台詞じゃねえよ。それより、総督さんってのはやめねえか?」
「なんで?」
「もしティアが言うように、アンバーとイロウナトが、意図的に救援要請をだしてないなら、俺たちの身分はかえって邪魔になるんじゃねえかと思ってな」
「ん。一理あるね」
アトルワでもルーンでも良いが、公的な身分を持った者たちが視察に訪れる。
それ自体は妙でも珍でもない。
復興のことを考えれば当然だ。
だが、相手に含むところがある場合、無用のトラブルを招く可能性もあるし、隠し事をされる可能性もある。
「身分を偽っての潜入か。わくわくするな」
「コーヴに入るときも隠してたじゃんー」
セラフィンとナナの会話が聞こえる。こいつらは基本的に観光気分だ。
前回も今回も変わらない。
「越後のちりめん問屋の二代目が、見聞を広めるために旅をしてるってことにしようぜ」
すげー楽しそうに提案する北斗。
きっとなにか心に期すところがあるのだろう。
やりたいこととか。
ロマンなのだ。
「まず、エチゴがどこか説明しておくれ? あとはちりめんってのはなんだい?」
ロマンに感化されない紅の魔女が、呆れたように訊ねた。




