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多くの場合、国土の一部を割譲するなどという決定をした君主は、激しい非難に晒されるものである。
アルテミシアもまた、例外ではありえない。
「陛下! どのようなおつもりか伺いたい!」
初老の貴族が指を突きつけて怒鳴る。
御前会議の席上。
アトルワを独立国として認め、その上で属国にするという方針が語られると、案の定貴族たちが激発した。
「どういうつもりって。今話したとおりだけど?」
冷然と応えるアルテミシア。
中に取り込んでしまうより、自治独立を認めた上で歳貢を取り立てた方が良い。
異物を抱え込んでいては、いずれそこが病巣になる。
切り離すしかないのである。
地球世界における癌細胞のようなものだ。
もちろんアルテミシアに地球の知識などないため、人体を癌から救うためには切除手術しかないという説明はしていない。
「大ルーンの王として、それが正しい判断だとおっしゃるのか!」
先ほどから激昂しているのはラズリット・リリエンクローン公爵。
最も高い爵位をもち、最も広い領地をもち、最も発言力をもっている男だ。
この場では。
ただ、べつにアルテミシアの敵ではない。
不平貴族たちが四翼によって一網打尽にされたときも、彼は敵対しなかったし、むしろ率先して国王の意志に従うべしという見解を発表したほどだ。
まず王がいて、それを補うために貴族がいる。
本気でそう考えているからこそ、王が間違ったときには直言する。
ものの道理を弁えている男。
それは同時に、融通の利かない男という意味である。
「正しいというより、最も効率的だと思うわよ」
「効率によって人が従うとお思いか。人は信義によってこそ従うもの。恐れながら陛下は、策略に淫しておられる」
正論だ。
この上なく正論だ。
リリエンクローン公の至誠は万人の知るところで、下々には優しく、同僚には礼節を守り、上にはきっちり筋を通す。
そういう為人だから、領民たちの団結力も強い。
公爵様のためなら死んでも戦うだ! という農民がたくさんいるため、正直、アルテミシアとしては、このおっさんと事を構えるのは避けたいところなのである。
「じゃあどうするのが正解だとラズリットは思うわけ? このまま放置ってのはない話よ?」
「兵を送って殲滅。これしかありますまい」
「……なんかラズリットらしくない提案ね」
やや意外そうな顔をする救世の女王。
必ずしも好戦的ではない公爵とは思えないアイデアである。
「反乱者を認めれば国が割れまする」
ひとり認めれば次、次を認めればその次。
模倣する者はいくらでも出てくるだろう。
叛乱に対しては鉄血の意志で臨まなくてはいけない。
貴族領がどんどん独立していったらどうするつもりか。
「それらにも、寛大な笑みを浮かべて国土を分け与えるのか。国がなくなりますぞ」
「そんなわけないでしょうが」
「では、アトルワだけが特別ということですな。陛下は聖賢の姫君に、格別の恩情をもって特権を与えた。そう噂されることになり、公平性を疑われることになりますぞ」
テーブルに身を乗り出すようにして語る公爵。
この男に悪意はない。
真剣に、真摯に、ルーンのことを思っているのだ。
だからこそ、
「めんどくせー男ねぇ……」
内心で呟くアルテミシア。
その程度のことは、わざわざ指摘されるまでもなく判っている。
判っていても、友好の道を探ろうと思ったらこれしかなかったのだ。
「噂を気にしても仕方がないわよ。不平貴族に取った処置とアトルワへの対応が公平でないのも事実だしね」
「知っていて、なおこの愚行を推し進めると仰るのですな。その意志が奈辺にあるか、伺いたい」
「それは簡単。アトルワと戦ったら、勝ったとしても犠牲が大きいから」
負けるとは思わない。
ルーン王国の四翼は伊達ではないのだ。
四万の兵力で押し出せば、いかにルーンの聖騎士の後継者や剣の舞姫が武勇を誇ろうと、聖賢の姫君や紅の魔女に神算鬼謀があろうと、最終的にはルーンが勝利する。
それが数の差というものだ。
ただ、勝利したそのときにルーン軍がどれほど残っているか。
それこそが問題なのである。
「たとえばさ、ラズリット。あなたの軍だけで不死の王の軍勢に勝てる?」
痩せても枯れても公爵。彼の保有する兵力は一万に届くほどだろう。
しかし、その全軍を投入しても、不死の王の軍勢に勝利するのは難しい。
リッチというのは、それだけ規格外の存在なのだ。
「……難しいでしょうな」
最終的には、数の差で退けることができるかもしれない。
しかしそれまでにどれほどの犠牲が出るか、ちょっと想像もつかない。
「青の軍二千とアトルワ軍千の混成部隊で不死の王を倒したわ。しかもその不死の王は追放大魔法使いアルベルト・ロスカンドロスのなれの果てだったっておまけ付き」
「…………」
「でもって、倒したのはルーンの聖騎士の後継者ね。功績を独占させたくなかったんだけど、うちの真なるルーンの聖騎士が、闇の騎士ウィリアム・クライヴを討ち果たしたってくらいね。残念ながら」
首なし騎士というのも、かなり高位のアンデッドモンスターだ。
普通の人間に太刀打ちできるようなものではまったくない。
それを倒したライザックの功績は、当然のように高らかに喧伝されたが、やはり不死の王に比較すると、名声も一ランク落ちてしまうのは事実であろう。
「共闘の結果として、不死の王を討ち取った褒美としての独立。これが私の考えた最も効率的なシナリオよ。これが気に入らないってなら、これ以上の智恵は私の頭からは出ないから、ラズリットに考えてもらうしかないわよ」
やや下目づかいに、挑むように公爵を見る女王。
正直、正論は耳に痛い。
いうことは理解できるし、将来の危惧だって当然だ。
だが今は、コントロール可能な敵手というのは必要だし、なによりアルテミシアはあの愉快な連中を気に入っている。
滅ぼすどころか、抱き込んでしまいたいのが本音なのだ。
もう一人のシア。
あの娘が片腕となってくれるなら、戦略にも政略にもどれほどの厚みと深みが出るか計り知れない。
しかしそれは不可能だ。
同じ愛称をもつふたりの航路は分かれている。
目指す理想はそう違わないが、選んだ手段が違うから。
「どうか納得してちょうだいよ……」
とは、アルテミシアの内心である。
納得できないとなれば、彼女としてはリリエンクローンにアトルワ討伐を命じるしかない。
しかしそれは、彼女自身の政策と相反することになってしまう。
となれば、侵攻するリリエンクローンの情報をアトルワにリークし、前後から公爵軍を挟撃する、ということになるだろう。
もちろん公的にはリリエンクローンが反旗を翻したと宣伝される。
最悪のシナリオだ。
国の将来を憂う忠良の貴族を、政略のために消さなくてはいけない。
「……ご慧眼、恐れ入りました。どうぞご寛恕あって直言の無礼をお許しいただきとうございます」
深く深く、公爵が頭をさげた。
御前会議の空気が変わる。
至誠をもって知られ、剛直な頑固者としても有名なリリエンクローン公爵までもが、救世の女王の施策を認め、自ら膝を屈した。
不平貴族たちはあらかた粛清され、この場にいるのはアルテミシアに好意的だったものたちだが、さらに忠誠を深くした。
やはりアルテミシアはただ者ではない。
「許すわ。もとより自由な討論の場だもの。忌憚のない意見は歓迎よ」
安堵の吐息を隠し、鷹揚に頷く女王。
「ありがたき幸せ」
顔を上げる公爵。
一瞬、アルテミシアはなにが起こったのか判らなかった。
初老の大貴族が、彼女にだけ見えるように片目をつむったのである。
こいつ! わざとやっていたのか!
明らかな反発の後、膝を折ってみせることで、女王の株を上げる。
現実に、もう貴族たちの目にはアルテミシアへのわずかな反感もない。
「……とんだ食わせものね。賢いのが私だけなんて、思い上がりも良いところだったわ。彼が味方である幸運を喜びましょ」
とは、口に出さない思いである。
言葉にしたのは別のことだ。
「ねえラズリット。あなたのところって息子とかいないの?」
半月を形作る唇。
政略結婚の駒として差し出さないか、という意味であることに気付かぬような愚か者は、この場への出席を許されていない。




