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ごろごろという雷の音を聞いた瞬間、北斗は相棒の肩を掴んで地面に引き倒した。
「みんな、伏せろ!」
叫びとともに。
おかしな行動だが、セラフィンもティアロットも、なぜか逆らい得ないものを感じて地に伏せた。
「地べたに這い蹲れば、我の魔法から逃れられると?」
不死の王が笑う。
「当然だ。『雷は、高いところに落ちる』からな」
刹那。
無数の稲妻が降り注いだ!
術者たるアルベルト・ロスカンドロスに!?
絶叫は、轟音にかき消される。
ありえる事態ではない。
魔法を使った者が、その魔法に撃たれるなど。
爆炎が晴れてゆく。
「……小僧……なにをした……」
身体の三割ほどを炭化させ、ローブの端を燃やしながらも、なお不死の王は滅びない。
信じられないものでも見るように、ルーンの聖騎士の後継者を睨みつける。
「雷に打たれて生きてるとか。いい加減あんたも非常識なヤツだな」
呆れたように言った北斗が立ちあがった。
続いて、ナナとセラフィンとティアロットも。
「これが屁理屈バリア……歪めた法則に上書きをおこなう力か……」
紅の魔女が内心で呟く。
聡明な彼女をして、なにが起こったのか理解するまで、数瞬の時を要した。
魔法というのは、本来、狙ったところに飛んでゆく。
そうでなければ攻撃魔法として意味を成さないからだ。
それに北斗は上書きした。
雷が高いところに落ちる。
おそらくそれは、彼のいた世界の常識なのだろう。
正解なのか不正解なのか、ティアロットには判らない。
判らないが、重要なのは北斗がそう思いこんでいることである。
だから、屁理屈バリアが発動した。
術者か被術者ではなく、高い低いで落ちる場所が決まる、と。
ただし、これまでの屁理屈バリアとはやや異なっていることまでは、さすがのティアロットも気付いていない。
日本からやってきたエセ科学少年は、魔法そのものは否定しなかった。
ただ、雷というものの特性を語っただけ。
「つうかよ。当たり前のことなんだよ。雷が高いところに落ちるのは」
投げ捨てていた双竜剣を拾う北斗。
視線は不死の王から外さない。
そもそも、空気というものは本来、電気を通さない。
絶縁体だ。
だから雷が空中を駈けること自体、不自然な現象なのである。
しかしその不自然な現象は頻繁に起きている。
それは雷というものが十億ボルトという高い電圧を持っていて、絶縁体である空気すら貫いてしまうから。
ただ、好きこのんで絶縁体の中を進んでいるわけではないので、少しでも速く電気を通す場所にたどり着こうとする。
もっとも近い電場、つまり高いところである。
高層の建物が密集する街の中はともかく、なにもない平原などでは立っているだけで落雷の危険度が跳ね上がるのだ。
「奇っ怪な技を……」
もう一度、不死の王が杖を握りしめた。
聡い子であった、と、セラフィンは記憶している。
稀代の大魔法使いに師事した弟子。
小麦色の髪と黒い瞳が印象的な少年だった。
血で血を洗う群雄割拠の時代が長く続く大陸南西部。
統一を成し、平和な時代を築こうと起ったオリフィックのもとには、多くの英傑鬼才が集ったが、アルベルト・ロスカンドロスもまた、そんな一人であった。
理想に燃え、平和を愛し、何事にも一生懸命で。
誰も泣かない世界が欲しい。
そんなふうに語っていたのを憶えている。
ガドミールもキリも、弟のように可愛がっていた。
もちろんセラフィンも。
しかし残念ながら、彼女と夫が国を捨てたとき、人生航路は別れてしまった。
思えば、あの頃からずっと少年はオリフィックの背を追いかけていた。
魔法使いという道へ進んだのも、また当然の選択だったのだろう。
道を極め、大魔法使いと呼ばれる存在にまでになっていたとは、さすがに想像の外側ではあったけれども。
あるいは、それこそが彼の不幸だったのかもしれない。
知識を蓄え、魔導の技を用いて長寿を保ち、彼は建国王の理想が踏みにじられてゆく様を、ずっと見続けたのだろう。
人々のためだったはずの政が、いつしか変質し、特権階級のための方便に堕落していった。
富も権力も、知識さえも独占され、救うべきはずだった人々は支配するべき存在に変わっていった。
師と仰いだ偉大な魔法使いの物語は、めでたしめでたしでは終わらなかった。
生真面目な理想主義者にとって、許容できない結末。
「だから、死霊魔術に手を出したのか? アルベルト」
しずかな、ごく静かな問いかけだった。
エルフの内心に去来する思いを知らない者たちには、あまりにも唐突な質問だったろう。
杖を掲げようとした不死の王の動きが、一瞬止まる。
いかな魔法を使ったとて、人の生など延ばして百年。
それでは足りなかった。
師の作品を見届けるには、あまりにも短すぎる。
「君ならば、そう考えるように思えたのだが。間違っているかな?」
「……相変わらす、鋭くていらっしゃいますな。深緑の風使い」
笑いのような波動が髑髏に広がる。
禁術に手を染め、社会から逐われてまで願った永遠。
それは理想に燃えていた少年に失望しか与えなかった。
セラフィンには判る。
なぜなら彼女もまた同じだから。
人を救いたくてオリフィックは起った。それだけではないが、根底に流れていた思いはガドミールもキリもセラフィンも共通していた。
戦で泣く人々をなくしたかった。
孤児や未亡人が量産されてゆくのを見過ごせなかった。
子供の食べ物を買うために身を売る女たちを助けたかった。
今日が終われば明日が来るのだと、なんの疑いもなく信じられる世界を作りたかった。
神々が人を救ってくれないなら、自分たちで救う。
「だが、私たちはなにも救えなかったな」
多くの敵を倒し、多くの味方を失い、彼らはルーンを建国した。
大陸南西部には安寧がもたらされた。
史書が示すとおりだ。
戦争はなくなり、平和が訪れ、生産力は向上した。
しかし、誰も泣かない世界は作ることができなかった。
豊かになった民草の影で、相変わらず貧困に苦しむ者はいた。差別に晒される者もいた。
この世はしょせんゼロサムゲーム。
誰かが幸福になれば、その分、誰かが不幸になる。
なにも変わらない。
彼らの偉業の以前と以後で、なにか変化があったのだとすれば、それは彼らが敗者の側から勝者の側に移動したというだけだ。
「それが我慢できなかったのだな。君は」
権力をその手に握るための戦いは、心躍るものがあった。
あんな政策をやってみよう。こうすればもっと皆が幸福になれるはずだ。それを思えばこそ、どんなにつらく苦しい戦いも乗り越えることができた。
だが、自らの権力を持ってしまえば、そこにあるのは理想ではなく現実だった。
反対者を陥れ、造反者を殺し、ただただ権力を守るためだけの戦い。
阿り、諂う者だけを登用し、箴言や諫言をおこなう者を遠ざけるようになってゆく。
稀代の大魔法使い、オリフィック・フウザーといえども、多くの権力者が陥るこの闇からは自由ではいられなかったのだろう。
「……貴女がフウザー師を語るのか。彼を捨て、国を捨てた貴女が」
「私にルーンを語る資格などない。君に指摘されるまでもなく判っているさ」
怒りを滲ませる不死の王に、セラフィンが肩をすくめた。
彼女は隠遁した。
政治に飽いた。
人々に飽いた。
統治者の一人として、あってはならないことだ。
「未来を語る資格を持つのは、私や君のような過去の遺物ではない。未来を切り開こうと希望を燃やす若者たちだろうな」
言うが早いか、身体を半回転させる。
視界が通った。
不死の王から、セラフィンの後ろにいたティアロットへと。
発動直前の魔力を蓄えた杖を両手で構えた紅の魔女。
「時間は稼いだぞ。ティアロット」
ぽんと肩を叩く。
セラフィンは、ただ懐旧の念で長話をしていたのではない。
背後で大技の準備をする仲間のため、不死の王が動揺するであろう話題を持ち出したのだ。
自らの古傷を抉りながら。
「……さんきゅ。セラさん」
ごくわずかな沈黙を、魔女は感謝に先立たせた。




