1
不吉な尾を曳いて消えてゆく不死の王の声。
生きるのが楽しいか、とは。
なんとも抽象的な質問だ。
楽しいと感じるときもあれば、苦しいと感じるときもあろう。
「禍福はあざなえる縄のごとしってな」
唇を歪める北斗。
中国史に由来する言葉だ。
幸運と不幸は、より合わせた縄のようなもので、いつだって表裏一対になっている、というほどの意味である。
まあ、だいたい世界中どこでも同じように考えるらしく、英語にも似た言い回しがあったりする。
『Sadness and gladness succeed each other』
というわけだ。
若くして地球で死んだ北斗は不幸であった。しかも野良猫を助けて、大事故を引き起こし、多くの人に迷惑をかけて。
普通に大馬鹿野郎である。
ただまあ、他人のことは置くとしても、彼は生き直す機会を与えられた。
これは幸運である。
しかし、飛ばされたのは日本ではなく、怪物が跋扈する異世界であった。
不幸だ。
だが、そこで彼はドバとナナという知己を得た。後者とは後に恋仲となった。
幸運である。
しかし、差別され搾取される獣人たちを救うため、彼は戦いの渦中へと身を投じることとなった。
不幸だ。
だが、その中で彼はアリーシアやリキ、シズリスといった同志を得ることができた。
幸運である。
しかし、彼らの改革はルーンの女王を刺激し、国を二分することとなってしまった。
不幸だ。
だが、その戦いには一応の終着点が見えてきた。
彼は新しい領地の総督という過分な地位を得た。
仲間も増えた。
「どうだい? 俺の人生の収支計算は、赤字か? 黒字か?」
挑むように不死の王を見る。
「無価値よ。万物は死して土に還る。汝の人生もまた同じであろう」
波瀾万丈を絵に描いたような北斗の人生も、いずれ終わる。
アリーシアの理想も、アルテミシアの改革も、いつかは刻の波にさらわれ、忘れ去られてゆくだろう。
すべては無駄なのだ。
永遠など、どこにもない。
どんな神話の神々だって、時間にだけは絶対に勝てない。
殷々と響く王の声。
人間たちの心を抉るように。
それは、ある種の精神攻撃だろうか。
気持ちの弱い人間ならば、不死の王の言葉に動揺したかもしれない。
「ふむ。一理あるが、三百年ほどしか生きていない若造に言われても、たいして説得力がないな。アルベルト・ロスカンドロス」
セラフィンがせせら笑った。
齢五百年を数えるエルフの長である。
長い長い時のなか、不死の王が思うようなことを、考えないわけがない。
まして彼女は人に交じって暮らしていた経験があるのだ。
歳月の残酷さは、誰よりも知っている。
「し、深緑の風使い……貴女なのか……」
眼球のない目が、驚きに見開かれる。
姿形ではなく、声と口調が記憶層を刺激したようだ。
「やっと思い出したようだな。私の方はその杖の銘が見えるまで気付かなかったがな。面変わりもしているし」
ひどい言い草である。
つまり、不死の王はセラフィンの知己ということなのだろうか。
北斗は頭を抱えたくなってきた。
またこいつらの関係者である。
本当に、どれだけ厄介事の種を蒔いたのだろう。稀代の大魔法使いと愉快な仲間たちは。
「ていうかさ。生きてるんだから楽しいに決まってると思うんだよねー 死んだらご飯も食べられないし、縛ったり縛られたりして遊ぶこともできないんだからさー」
まったく空気を読まない発言するのは、もちろんナナである。
キャットピープルの特性のよるものか、それとも彼女の性格か、物事をわざわざ難しくして考えるのはお好みに合わない。
死んだらなんにもできない。
生きてればなにかできる。
それだけ。
どこまでもシンプルだ。
「それにさ。永遠はね。あるんだよ。追放大魔法使いさん。自分一人の生にこだわって、永遠を追い求め、ついには死霊魔術に手を染めて、協会を逐われたあなたには判らないかもしれないけど」
ナナの言い回しに苦笑しながら、ティアロットが言葉を紡いだ。
歌うように。
「…………」
「親から子へ、子から孫へ。血は脈々と受け継がれていくんだ。思いも同じ。たとえ志半ばに中道に倒れても、理想は次の担い手に渡される。その人が倒れても次の担い手に。そうやって次々と手渡される思いのバトン。それを永遠っていうのさ」
思い切り誇らしげに胸を反らす。
史上最年少で魔導師に推挙された才女は、アルベルト・ロスカンドロスの名を知っている。
魔術協会において、唾棄すべき者とされている追放大魔法使いだからだ。
若くして魔導を極めながら、禁術に手を染めた男。
後にも先にも、大魔法使いの称号を得ながら追放されたのは、彼一人である。
もっとも、この大失態があったからこそ、協会の魔法使いたちはより厳格に、厳粛に自らを律するようになったのだが。
「だが、その思いとやらもいつかは変質し、別のものへと変わってゆくだろう。フウザー師の理想はどこへ消えた? ルーンの民よ」
セラフィン、ナナ、ティアロットと続く女性陣の攻撃に、いささか気分を害したような声を発する不死の王アルベルト・ロスカンドロス。
若造扱いされ、考え過ぎ扱いされ、恥さらし扱いされ。
踏んだり蹴ったりだ。
もちろん北斗は同情などしなかった。
「なんだって変わるさ。決まってんだろ。変わるから進歩っていうんだよ。変わらないのは、永遠なんていわねえよ」
一度、言葉を切って双竜剣を突きつける。
「停滞っていうんだよ。ガイコツ野郎」
科学とは進歩であり、進歩とは人類の幸福である。
そう信じて疑わない時代からやってきた少年だ。
厭世的な悲観主義なんぞに、小揺るぎもしない。
「……もう良い。無知蒙昧にして不遜なる人間どもよ。等しく死に抱かれるが良い」
不死の王が杖を振りかざす。
「わ。なんか怒ってるっぽい。自分から質問してきたくせに」
余計なことを言うナナであった。
「……大空に我は汝の姿を描く……」
始まる詠唱。
「させるかよ!」
「当然!」
そうはさせじと突っ込む北斗とナナ。
こいつは先ほど詠唱なしでナイトホーク三を破壊した。それほどの能力をもつ魔法使いが、詠唱までして放つ魔法だ。
生半可な威力でないことは容易に想像が付く。
こちらにはティアロットの魔法防御魔法があるが、わざわざ試す必要などない。
唱えきる前に勝負を決める。
「うおっ!?」
「きゃ!?」
しかし、不可視の壁にぶつかったように弾き飛ばされる少年少女。
「む? なんだ?」
「ただの防御結界だよ。けどまあ、反則くさい強度だね」
眉を寄せたセラフィンにティアロットが応えた。
多くの攻撃魔法は、詠唱と同時に防御結界が展開されるような術式組成になっている。
詠唱中は無防備になってしまうからだ。
ただそれは基本的に、ないよりはマシという程度のものである。
斬りかかってきた剣士を弾き飛ばすような結界は、もちろん張ることは不可能ではないが、そこまで魔力を消耗して防御を固めてどうするのかという話になってしまう。
詠唱の時間が欲しいなら、それは仲間なり部下なりに稼いでもらえば良い。
ひとつの魔法を行使するために、ふたつ分以上の魔力を消耗するというのは、いささか馬鹿馬鹿しい話だろう。
しかしアルベルト・ロスカンドロスは、その馬鹿馬鹿しいことをやっている。
むろん、不死の王たるこの男には、並みの人間よりずっと巨大な魔力があるだろう。だからといって無駄遣いして良いということにはならない。
「……紫の神よ我に伏し万丈の魔手を解き放たん……」
詠唱が続く。
幾度も幾度も北斗とナナが斬りつけるが、防御結界は破れない。
「つまり追放大魔法使いは、最初から仲間の支援なんかアテにしていないってことだね。なにもかも自分でやる、そのための組成でありそのための術式さ」
「……孤独の王か」
両手を広げてみせるティアロット。
首を振るセラフィン。
「猛り狂え! 神雷!!」
呪文が完成した。
一瞬にして暗雲が立ちこめ、稲光が巻き起こる。




