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刃鳴りが連鎖し、無明の火花が間断なく散る。
ライザックとウィリアムの一騎打ちは、数十合を数えてもなお決着が付かない。
神速の突きがいなされる。
裂帛の斬り込みが弾かれる。
渾身の掬いあげが受け止められる。
互角。
真なるルーンの聖騎士と暗黒の騎士の力量は、まさに互角であった。
技の切れ、一撃の重さ、踏み込みの速さ。
どれひとつとっても、極北に至った強さである。
幾度目かの突進を完璧に防がれ、飛び離れるウィリアム。
ライザックは追い打ちをかけなかった。
このタイミングで仕掛けた場合、最も力の乗るポイントは敵の数ミリ前になってしまう。
その数ミリの差が勝敗を分けると、青の騎士は知っている。
「強いですな。貴殿は」
左脇に抱えられたウィリアムの首が感歎の息を漏らす。
騎士として生き、戦場に倒れ、死霊となってから幾星霜。
これほどの剣客と死合った経験はない。
「腹心の友に約束させられたのでな。誰にも負けぬと」
静かな声でライザックが応える。
息のひとつも乱れていない。
それは誓い。
もう何年も昔。護身術を教えた少女と、戯れに交わした誓約。
以来、彼はどんな強敵にも敗れることは許されない。背を向けることも許されない。
そういう人生を自らに課した。
「難儀な道を選ばれましたな。ライザック卿」
「愚かと笑ってくれてかまわぬよ。ウィリアム卿」
「然らず」
暗黒の騎士は笑わない。
世人がいかに笑おうとも。
その決意を、覚悟を尊敬する。
騎士とは奉じるもの。
己が決めた主君のため、命を賭けて誓いを果たすものだ。
「貴殿の覚悟、しかと受け取った。いざ尋常に勝負!」
「来ませい!」
再びの激突。
白銀の光を放つ長剣と、漆黒の光を放つ長剣が絡み合う。
鍔迫り合い。
ごくわずかにライザックが押し負ける。
人間とモンスターの差か。
「ち」
引きながら、身体を半回転させる青の騎士。
無理やり作り出した移動力に、右腕が悲鳴をあげた。
かまわない。
急に引かれたことで蹈鞴を踏んだ暗黒の騎士の胴を、回転しながら斬りつける。
攻勢から一変。
守勢に回ったウィリアムに与えられたのは、二択だ。
受けるかさがるか。
「なんとぉっ!」
間違えれば滅びと敗北が待つ一瞬で、ウィリアムは前方に身を投げる。
選択肢を無視した動き。
しかしそれが正解。
ライザックの剣が宙を薙いだ。
ふたたび離れる両雄。
「……まずはお見事。しかしその腕では戦えますまい」
やや残念そうにウィリアムが告げる。
ライザックの垂れ下がった右腕を見ながら。
力押しの鍔迫り合いから、無理矢理の動きだ。
良くて捻挫、悪くすれば折れているだろう。
とても楽しかったが、勝負あったようだ。
「戦えない? 何故だ?」
表情も変えずに自らの右腕を見たライザック。躊躇なく剣を捨て、左手で腰の隠しから短刀を抜き放つ。
いささかも戦意は衰えない。
利き腕ではない手で構えた短刀が、一分の隙もなくウィリアムを睨みつけた。
「……失言お許しありたし」
感極まった口調のウィリアム。
騎士が、戦士が武器を持って戦場に立っている。
それは全力で戦えるという意味だ。
怪我をしたとか、痛いとか、どんな言い訳も許されない。
暗黒の騎士が剣を捨て、いままで左脇に抱えていた首を右に抱え直す。
そして左手で引き抜かれる短刀。
互角の条件。
「……慢心したか。ウィリアム卿」
自らの有利さを捨て、あえて相手と同じ条件にする。
舐めているのかと言われても、それは仕方がないだろう。
「そういう男と思いまするか? ライザック卿」
「失礼した。お許しいただきたい」
「互い様にて」
かすかな微笑を浮かべる騎士二人。
慢心ではない。舐めているのでもない。
これほどの勇敵、武器の性能で勝利して嬉しいのか、という水準の話だ。
リーチの長い長剣の方が、短刀より有利なのは当たり前。
当たり前に勝てる相手に勝って誰に勇を誇るのか。
勝利だけを求める戦場にあって、それは愚かな考えだろう。
勝ちやすきに勝つ。
そのための戦略であり、そのための戦術だ。
相手の良いところを引き出そうとか、己を高めようとか、そんなしみったれた感傷は戦場に必要ない。
殺し合いである。
そんなものに美学を求める方がどうかしている。
真なるルーンの聖騎士には真なるルーンの聖騎士の、暗黒の騎士には暗黒の騎士の、果たすべき役割がある。
味方は死戦しているのだ。
彼らを勝利に導くこと。それこそが指揮官の仕事だ。
勇敵との正々堂々たる決闘になど、何の価値があるというのか。
「なれど、己の生き様くらいは納得して選びたきものゆえ」
ウィリアムが笑う。
ライザックは応えなかった。
無粋であろうから。
もはや言葉などは。
同時に駆け出す。
得手としている武器ではない。互いに。
ここまできたら力でも技でもない。どちらが先に急所を突くか。
運に任せた一発勝負だ。
踏み込みも同時。
白い光を放つダガー。
黒い闇を纏うナイフ。
鎧の継ぎ目に吸い込まれる。
相打ち。
ではなかった。
「お見事……お見事……」
互いの胸を貫いたかに見える刃は、一方が中ほどで折れていた。
鎧から肉体に触れる一瞬、ライザックが身を捻ってへし折ったのである。
それは、かつて教え子に教えたこと。
鎧を着た相手に短剣で戦うとき、突き刺した瞬間に注意せよ、と。
膝から崩れてゆくウィリアム。
その身体にまとわりついていた瘴気が薄れ、きらきらと小さな光の粒が天へと昇ってゆく。
昇華だ。
ウィリアムを縛っていた妄念が消え、解き放たれようとしている。
「逝くのだな。ウィリアム殿」
「貴殿に出会えて良かった……ライザック殿……」
崩れてゆく暗黒の騎士。
鎧も、肉体も。
彼がどのような妄執をもってアンデッドと化したのかは判らない。
知る機会も、おそらくないだろう。
真なるルーンの聖騎士は、ただ黙祷を捧げた。
偉大なる敵のために。
「死神みてーな風貌だな」
不死の王を目の当たりにした北斗の感想は、さして独創的なものではなかった。
骸骨にぼろぼろのローブ。
童話などに描かれる死神そのものである。
違いは、持っているのが鎌か杖かというくらいだろうか。
恐怖は感じない。
むしろ、怖がらせようとする意志の元に造型された滑稽さを感じるほどだ。
「ホクトがびびんなくて良かったけど。なんで平気なの?」
「なんつーか、こういう格好なんだから怖いだろうって、押しつけられてるみたいでな。そういうのは怖くねえよ」
たしかにインパクトはあるだろう。
夜中に突然こんなのが出てきたら、ちびっちゃうかもしれない。
しかしそれは、驚いているだけだ。
怖がっているわけではない。
「死神ってのは、見えないから怖いんだぜ。こんな虚仮威しにびびるかよ」
嘯いて双竜剣を構える。
自然な仕草だ。
ふ、と、ナナが笑う。
いつもの相棒である。
無理をしていない。
「なら、わたしも格好いいとこ見せないとねっ」
両手の爪がしゅっと伸びる。
「人の仔らよ。汝らの戦いをずっと見ていた」
虚仮威し呼ばわりされても、不死の王は怒らなかった。
楽しそうに人間を見つめている。
眼球のない顔で。
「勇敢で、機知に富み、献身的で、じつに素晴らしい戦いだった。だから我は、汝らにまみえたら、ぜひ訊ねたいと思っていたことがある」
鼻白む四人。
敵の親玉から、フレンドリーに話しかけられるとは思っていなかった。
だからこそ戸惑ってしまう。
「よく喋るガイコツだな。なにが訊きたいってんだよ」
呑み込まれるものか、という意志を眼光に込め、北斗が睨み返す。
それにすら笑みを絶やさない不死の王。
「生きるのというのは、そんなに楽しいか?」




