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「……ふふ。くるか。人の仔らよ」
闇が笑う。
面白い。
あの絡繰り人形も、騎士の覚悟も、前衛部隊を鮮やかに撃滅した手並みも、じつに面白い。
ゆっくりと立ちあがる。
人骨を積んで椅子がわりにしていたものから。
周囲にはなにもない。
生きている者はもちろん、配下であるはずのアンデッドモンスターすら。
孤独の王。
底知れぬ虚ろな眼窩が見つめるのは、懸命に死に抗う人間たち。
その一部が、激戦の靄を突き破り、こちらを一直線に目指している。
疲れた馬を叱咤し、挫けそうになる戦友を励まし。
必死に。
「愛おしい」
それは生への渇望。
がむしゃらに、無様に、狂おしいほどに、生きようと足掻く。
なんと愛しき存在か。
いずれ等しく死の腕に抱かれるというのに。
眩いばかりの生の輝き。
髑髏が歪む。
笑みのかたちに。
「ゆえに、我は、汝らを壊したい」
突き進むアトルワ軍。
廃墟の影から、女たちが現れる。
暴行を受けたのか、ぼろぼろの衣服をまとった。
生存者か。
騎兵の一部が速度を弛め、救助のために近づく。
「やめろ! 罠だ!」
セラフィンが警告を発するが、遅かった。
女どもが顔を上げる。
「く! 静寂よ!!」
咄嗟に風の魔法を行使する深緑の風使い。
同時に響き渡る泣き声。
魂を押しつぶすような。
心まで砕くような。
アンデッドモンスター、泣き女である。
その泣き声を聴いてしまったものは、行動の自由を奪われてしまう。
セラフィンを中心とした者たちは難を免れたが、アトルワ軍の半分ほどが呆然と立ちすくむ。
救助しようとしていた騎兵たちは悲惨だった。
口から泡を吹き、目と鼻と耳から血を流して地に倒れる。
至近で声を聴いてしまったためである。
なにが起こったのか判らないまま、アトルワ軍は半数を奪われてしまった。
無念さに歯噛みする思いだ。
考えてみずとも、こんなところに生存者がいるわけがない。
不死の王の陣営の真っ直中である。
「姑息な真似を!」
セラフィンの霊弓から放たれた矢が、次々とバンシーを打ち倒してゆく。
無事だった戦士たちが、猛然と投槍を撃ち込む。
もともと数の多くなかった不快なモンスターは、あっという間に全滅した。
「やられたね。こいつは」
ティアロットが歎息する。
わずか一瞬。
わずか一瞬で、四百名以上の兵が使い物にならなくなってしまった。
声を聴いたもの、怯えた馬から投げ出されたもの。
博識なセラフィンがすぐに看破してくれなければ、冗談抜きにここで全滅してしまったかもしれない。
「うにゃー まだ頭ががんがんするー」
耳の良いナナなどは、静寂の魔法の影響下にあっても、多少のダメージを被った。
軍馬も七割ほどが逃げ出してしまっている。
ちなみに、無事だった幹部のなかで、最もこの攻撃の割を食ったのはミシディアだろう。
怯えて竿立ちとなった馬からティアロットとともに投げ出された彼は、自らの肉体を緩衝剤として使って軍師を守った。
騎士としても、紳士としても称賛に値する行動であったが、その際、左腕と肋骨を骨折してしまったのである。
「大丈夫? ミシ子」
「だれがミシ子だよ。骨が折れたくらいで死にはしない。平気だよ」
「でも、これじゃもう戦えないよね」
覚悟だけで戦場には立てない。
骨折をかばいながら戦ったところで、戦力として計算できる戦果をあげられるはずもないのだ。
「どうする? 総督さん」
「……負傷者をつれて進むわけにもいかねえ。動けないやつは置いていく」
軍師の問いに、少しだけ考えて北斗が応える。
先ほどの攻撃で、ざっと半数が戦闘不能になった。
死者こそ少ないが、怪我人も多い。
再編成しなくてはならないだろう。
戦闘不能の者と負傷者を、無事な兵百名で守って待機させる。
後送はできない。
後ろは青の軍が激烈な戦闘中だからだ。
「てことは、残りは二百いるかいないかだよ? いいの?」
「全然よくねえけど。それしかねえだろ」
戦えない者たちだけを残していくわけにもいかないのだ。
「いや。むしろ、兵はすべてここにおいていこう」
セラフィンが提案する。
驚いたティアロットだったが、表情には出さずに問い返した。
「そのこころは? セラさん」
「バンシーが出てきたということは、リッチはすでに切り札を切ったということだろう。もともと戦闘に向いたアンデッドでもない。このような罠でもなければ使いどころがないからな」
使いどころがなくて戦線に投入しなかった駒を投入した。
それは、不死の王の戦力が払底している証拠だ。
もう身辺を守る兵くらいしかいないのではないか。
「となれば、次の相手はリッチということになる」
兵たちでは荷が重い。
数ばかり連れて行っても、まとめて薙ぎ払われるだけだ。
そして損害を気にしながら戦うのは不利に過ぎる。
「もちろん、私の読みが的はずれで、リッチの周囲には豊富な予備兵力がある可能性だってあるけれどな」
「いや。セラの提案でいこう」
北斗が思い定めた。
百名で五百名を守ろうとしても、大規模な攻撃があったら守りきれるものではない。
だから無事な兵はすべて残す。
三百いれば、それなりの作戦行動が可能だからだ。
「リキ。ミシディア。悪いけど二人は連れて行けない。のこる連中の指揮を頼む」
古い付き合いの僚友と、新しくできた仲間に依頼する。
北斗の分身として部隊を任せられるのはリキしかいない。
ミシディアは負傷しているため、その補佐だ。
「判ってるよ。お前さんが戻るまで、一兵たりとも死なせねえ」
「頼んだぜ。相棒」
右の拳をぶつけ合う。
北斗とともに不死の王に挑むのは、ナナ、セラフィン、ティアロット。そしてナイトホーク三の、三人と一機だけ。
「女の子ばっかりだね。嬉しいかい? 総督さん」
「ナイトホークってメスなのか?」
首をかしげる。
もちろん機械に性別などあるはずがない。
あと、ナナ以外はまったく女性として認識していない。
さすがにそこまでいうと嘘だが、身体の一部分が彼の好みからは非常に遠いのである。
「総督さん。帰ったらちょっと話があるからね」
「ホクト。君にはエルフの恐ろしさを教えてやろう」
「なんで考えてることがわかった!? お前らは超能力者かっ!?」
「ふん。やっぱり失礼なこと考えていたね。カマをかけただけさ」
「あ。わたしにオシオキしてもいいよー?」
いつものくだらない会話。
悲壮感を漂わせていたアトルワ兵たちが破顔する。
大丈夫だ。
彼らの大将は、必ず勝って帰ってくる。
「そんじゃま、いきますかね。鬼退治に」
ステップに足をかける北斗。
ナナ、セラフィン、ティアロットも続く。
二人乗りのナイトホーク三。
「突貫!」
四人をしがみつかせ、高速移動を開始する。
迫り来る巨大な物体。
指呼の間だ。
王が杖をかざす。
「歓迎しよう。人の仔らよ」
瞬間。
生み出された不可視の力が、ナイトホークを貫いた。
光もなく、音もなく、色もない、ただのチカラ。
「このままぶつけてやるつもりだったが、そうもいかねえか! 飛び降りろ!」
北斗の号令で四人が地上に身を投げ出す。
苦悶するように震えたロボット。
バラバラになって崩れ落ちる。
「……純粋なパワーをぶつけてきた。なんつー力業だよ」
ごろごろと地面を転がって衝撃を殺し、立ちあがったティアロットが下手な口笛を吹いた。
ただのエネルギーボール。
魔法と呼ぶことすらおこがましいような、初歩の初歩だ。
魔法学校などでは最初に教わることである。
真っ直ぐに何かを飛ばす、というのは。
日本でいうなら、球技などで、まずは真っ直ぐ投げる練習をするようなものである。
この場合は、ようするに石かなにかを思い切りぶつけ、ロボットを破壊した、という例えが判りやすいだろうか。
「こんなふざけた真似ができる魔法使いなんて、大魔法使いくらいのものだろうね」
ぺろりと上唇を舐める紅の魔女。
なかなかに厄介そうな相手である。




