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会談の舞台となるのは、新総督府たるナウス城の大広間。
アトルワからはアリーシア、ドバ、北斗が、ルーンからはアルテミシア、シルヴァ、ライザックが出席する。
二十人は座れるテーブルに六人というのは、いささか寂しい構図だ。
「まずは、会談を受けてくれて感謝するわ。アリーシア姫」
「こちらこそ。ご尊顔を拝し、これに勝る喜びはありません。アルテミシア陛下」
開会の挨拶は軽い牽制攻撃。
自分のカードは隠しつつ、相手の出方を見る。
と、思われた。
「まあ、いまさら言葉を飾っても仕方ないでしょ。ケツ割って話しましょ。シアちゃん」
「そうですわね。でも割るのは腹ですわ。おしりは最初から割れていましてよ。シアちゃん」
互いに相好を崩す。
開催前のぴりりとした緊張感など、はるか地平の彼方に飛んでいってしまった。
なんといっても、風話で一緒に怒鳴られた仲である。
怒鳴った張本人はこの場にいないが、あの風話によってふたりの距離はかなり縮まった。
愛称も同じ。
悪戯仲間といえば、さすがに語弊があるだろうか。
「不死の王について。正直、困じ果てておりますわ」
「それはもちろん助けるつもりよ。いまは陣営を異にするけど、同じルーンのことだしね」
「助かりますわ。それで、妾たちはルーンの厚意に対して何をもって報いれば良いでしょう」
「何が出せる?」
「ガゾールト領では?」
「ぜんぜんいらないわー」
「ですわよね。でも土地的な部分では、これくらいしか出せるものがないのです」
「だから、私としては、こう提案するつもり。属国にならないか、とね」
投げ込まれる言葉の爆弾。
アトルワ陣営の面々が息を呑む。
言葉尻だけ捉えれば、ふざけるなといってアリーシアが席を立ってもおかしくない。
しかし、そうはならなかった。
そもそもアトルワはルーンの一部。独立国を相手に突きつけるような条件はおかしいのである。
アトルワを一国として認める。
そのかわり、ルーンと対等ではなく、手下として。
地球世界にたとえれば、アメリカと日本の関係が近いだろうか。
「破格の条件ですわね」
「ま、これが精一杯ってところ。私から出せる譲歩としてはね」
ふたりのシアが微笑を交わす。
ルーンは、アトルワを取り込むよりも独立国として扱い、そこから安全補償費なり歳貢なりを徴収しようとしている。
それがどの程度の額になるかは条件闘争次第だ。
ただ、国として認めるということは、アトルワのやりように関して口を出さない、という意味でもある。
厳しさと尊重の双方が含まれた条件。
この一事だけでも、救世の女王はただ者ではない。
アトルワの併呑は無意味だと判断して、最も効率的な利用法を導き出した。
もし無理に併呑すれば、ルーンは中央集権的な国家のなかに、人民主権という異物を抱え込むことになる。
それは、容易に国を割る。
どうせ割れる国ならば、最初から切り離してしまえば良い。
新生アトルワの理想に賛同する者はルーンを去るだろう。逆にアルテミシアのやり方を是とする者はアトルワを去る。
なんというリアリストか。
現時点で国内統一にこだわらないのは、未来永劫にわたってその状況を認めるという意味ではない。
アリーシアたちが統治に失敗したら、救済を口実にすぐにでも併呑できる。
しかもリアクションなしで。
そういう可能性を残した上で、譲歩してみせた。
「……棲み分け、ということですわね」
背筋のあたりにうそ寒いものを感じながら、なんとか聖賢の姫君が声を絞り出す。
大ルーンの頂点に君臨する一歳年長の女性を、彼女は舐めていたわけではない。
わけではないが、風話での対応や、序盤のムードで、やはり多少は甘く見てしまっていたのだろう。
ここまでシャープな一撃をもらってしまうとは。
本来、ルーンとアトルワでは勝負にならない。
生産力的にも、軍事力的にも。
北斗の屁理屈バリアがあっても、自慢の獣人部隊があっても、もし戦ったら百パーセント敗北する。
だから戦えるわけがないし、戦うつもりもない。
戦うつもりがないのに、やるぞやるぞというポーズを見せることで譲歩なり妥協なりを引っ張り出す。
それがアトルワ側の外交戦略であった。
しかし、どのカードを切るよりも前に、首元に剣を突きつけられてしまった。
「そ。ついでにイロウナトとアンバーもあげる。これできちんと勢力圏が作れるでしょ」
アキリウ、アトルワ、バドス、ガゾールト、アンバー、イロウナト。六州に及ぶ版図だ。
ルーン王国北東部を、そのまま割譲するのと同じ。
とんでもない条件だが、わーいわーいと喜んでいる場合ではない。
不死の王の軍勢によって食い荒らされているであろう、アンバーとイロウナトの二州を立て直さなくてはならないのだ。
加えて、ガゾールトの支配だって始まったばかり。
宿題を山積みされたようなものである。
怖ろしいお方ですわ。
内心の思いを、もちろんアリーシアは体外に出したりはしない。
表面上は柔らかな微笑を浮かべながら、必死に検算を続けている。
アトルワが宿題の消化に追い回されている間、ルーンは時間を買うことができる。
内政に専念し、より強固な国造りを目指す。
不死の王が遺した爪痕を考慮に入れる必要もなく。
もし万が一、アリーシアの手に余るような事態になったら、多少は資金的な援助をしてくれるだろうか。
いずれにしても金銭で片づけてしまう。
まさに買う、だ。
最も厄介であり重要な人的資源を、完全に、百パーセント温存することができる。
見事な算術。
わずかな期間でルーンをまとめ上げてしまった手腕は伊達ではない。
「もし、妾たちがドイルと結んで、コーヴに攻め上ったらいかがなさるおつもりですか? シアちゃん」
北に位置する隣国の名を出すアリーシア。
まったく何の問題もなく固い友情で結ばれた隣国など、世界中探したって見つからない。
ルーンに限らず、たとえば地球世界の日本だって同じだ。
お隣の国というのは、仲良しさんを装いつつも、常に隙をうかがっている。金を奪おう、モノを奪おう、技術を奪おう、権益を奪おう、と。
外交とはそういうものなのだ。
自国のことより隣国のことを優先するようなお人好しは、そもそも政治家になど向いていない。
「まあ、困るわね」
「それは困るでしょうけど」
「でも、たぶんそんな仮定はいらないと思うのよ。たとえばシアちゃんは、ルーンがドイルに蹂躙されるのを見たい?」
「…………」
「ルーンの女たちが、ドイル兵に犯され殺されていく様を見たい?」
「…………」
「ルーンの男たちが、奴隷として引き立てられていく様を見たい?」
「……見たくありませんわ。絶対に」
アリーシアはべつにルーンを滅ぼしたいわけではない。そもそも憎んでなどいない。
ドバたち獣人やセラフィンたちエルフは、差別され迫害されてきたから多少なりとも恨みはあるが、だからといってルーンの人々を皆殺しにしたいとか思っているわけではない。
「それが答えだと思うのよね」
笑う救世の女王。
ドイルがルーンを攻め滅ぼしたとして、アトルワがそれに協力したとして、今より良い生活が待っているか、という話である。
「妾たちは、ルーンのためにドイルに対する防壁とならなくてはいけない、ということですわね」
「べつにルーンのためじゃなくていいわよ。全然。アトルワのために、アトルワの民のために、シアちゃんたち自身のために、そこにあればいいと思うの」
「……なるほど」
ふうと息を吐く聖賢の姫君。
どうやら選択の余地はないようだ。
アルテミシアの提案に乗っかるのはいささか業腹だが。
「なあ。あんたら勝ったあとの話ばっかりしてるけどよ。そういうのを日本じゃ『とらぬ狸の皮算用』っていうんだぜ」
呆れたように口をはさんだのは北斗だ。
不死の王はいまだ健在であり、その脅威が去ったわけではない。
むしろ戦いは、これから始まるのである。




