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「なんつーか、末期症状だな」
声に出さずに北斗が呟く。
かつて地球上に存在した幾多の国々。その終末は様々だが、過程はたいしてかわらない。
だいたいにおいて、国民の弾圧を始めたら、国は滅亡にむかうものだ。
むしろ、栄華の絶頂期に軍事力によって外敵に滅ぼされた国、などというもの方がずっと少ない。
ほぼゼロだろう。
「結局、失政を続けてるから金が足りなくなって国が回らなくなる。それを補填するために、さらに民衆から搾取する」
まさに悪循環。
そんなことを繰り返せば、民心は離れていくばかりだ。
平凡な高校生だった北斗にも、その程度のことは判る。
彼の住んでいた国では、徳川三百年の歴史はそうやって幕を閉じたし、大日本帝国も国民の弾圧と無謀な侵攻の果てに無条件降伏という末路をたどった。
そうして生まれたのが、アメリカ合衆国の子分としての日本だ。
なにしろ、彼が命を落とす二ヶ月ほど前に、沖縄が返還されたばかりである。
「とくにわたしたち獣人や、エルフたちみたいな亜人に対する扱いは、悪くなる一方なのよ」
「だろうな。亜人ってのが何かは良く判らんけど、ようするに被差別階級をあえて作ることで、差し迫った危機から目を逸らそうって腹だろ」
ナナの言葉に北斗が肩をすくめる。
どこぞで聞いたような話だ。
三十年ちょっと前にもヨーロッパの片隅で、似たような政策を採ったちょびひげがいる。
「けどよナナ。戦うにしたって、落としどころは見えてんのか?」
「落としどころ?」
「ああ。永遠に殴り合うわけにもいかねぇだろ。戦って勝つ、で、そのあとどーすんのかって話」
「勝つつもりなんだ……」
「当たりまえだのなんとやらってな。負けるつもりで戦うバカがいるかよ」
唇を歪める少年を、驚いたように見つめる獣人族の少女。
貴族ども……魔法使いは強大だ。
人智を超えた魔法の力も怖ろしいが、精強な兵士たちも揃っている。その数は数十万にも及ぶだろう。
ナナたちは老人や子供を合わせても百二十いるかいないか。
最初から勝ち目などない。
このまま地虫のように這いつくばって死ぬのが嫌だったから起っただけで、先のことなど考えていなかった。
「わたしたちは勝てるの……?」
「勝つさ。ケンカってのは、やり方があんだよ」
不敵な笑みだ。
「ホクト」
演説を終えたドバが戻ってくる。
剣を持って。
「君の武器だ」
手渡される。
「いいのかい? せっかくの戦利品を」
男爵公子の護衛が持っていたものだ。
軽く振ってグリップを確かめる。さすがに竹刀や木刀よりは重い。
北斗には異世界の剣の善し悪しなど判らないが、なかなかに扱いやすそうだ。
「私たちにはこれがあるからね」
右手を顔の前にかざすドバ。
しゅんと音を立てて爪が伸びた。
獣人たちの武器である。
「なるほどな。そりゃ剣いらずだ」
切れ味は北斗も目にしている。
ただ、彼らは年貢をごまかして武器を買っていたのではないか。ふと疑問を抱いて広場に視線を送ると、粗末な皮鎧や胸鎧が配られていた。
戦争なのだな、と、得心する。
ただのケンカであるなら、防御など気を配らない。
それを気にするのは、命の取り合いだからだ。
味方の損害を少しでも減らそうと考えれば、防具は絶対に必要になる。
「これからどうする? ドバ」
視線を戻して訊ねる。
「公子が戻らなければ、男爵はすぐに捜索隊を出すだろう」
「だろうな。人数は……」
『十から十五』
男たちの声が重なり、にやりと笑い合う。
どうやらドバと北斗の思考は、同じ直線上に立っているようだ。
魔法使いに不測の事態が起きたとは普通は考えない。どこかの村で住人を嬲って遊んでいる、と、男爵が考えた場合、差し向けるのは救援ではないだろう。
公子の行動を掣肘するためのお目付役だ。
ならば、大兵力を動かすのではなく、公子にとって頭の上がらない人物にそれなりの護衛をつけて送り出す。
そう北斗もドバも読んだ。
もし男爵とやらに頭があれば、いきなり数百数千の兵を送り込んでくるだろうが、まず間違いなくそんな事態にはならない。
男爵公子の行動から逆算した推理である。
あれはバカだ。
バカの行動を黙認している親も、間違いなくバカである。
ルーン王国そのものが斜陽であるなら、領地を持つ貴族は領民を大切にしたほうが効率がよい。
なぜなら、国が完全に傾いたとき、自領の生産力や武力を背景に台頭することができるから。
それを選択しないのは、頑固なのか、何も考えていないのか、先が見えていないのか、いずれにしてもろくなものではない。
北斗がいた地球でも、中国史にこんなシーンがある。
とある領地で反乱が起きた。初期段階に置いてそれを察知した武人は、すぐに大軍を編成して討伐すべしと領主に進言したが、戦を知らない文官たちは「敵はまだ都に迫ったわけではない」という理由で反対した。
領主の居城に敵が迫るような事態になったら、すでに手遅れだというのに。
「まあ、さすがに次にくる連中をやっつけたら、男爵も本腰をいれるだろうがね」
「数で勝てるのは、それ一回だろうなぁ」
「だからこそ、彼らの装備品はそっくりいただきたいところだね」
武器防具だけでなく、所持している金や食料、乗ってきた馬も、という意味である。
みみっちい事ではあるが、とにかく必要な物資が足りていないのは事実なのだ。
「あ、それならわたしに良い考えがあるかも」
半ば挙手するように声を出すナナだった。
荒野を、こけつまろびつ駈ける獣人の少女。
服はぼろ雑巾のように破れ、虐待の痕も痛々しい。
乗騎を常歩で進ませていた初老の男。
右手を挙げて随従者たちに停止を命じた。
エドル・バトランド。
アトルワ男爵家に代々仕える魔法騎士の一人で、現当主たるマジョルカの信任も厚い。
「たすけ……たすけて……」
ふらふらと倒れ込んだ少女を、ひらりと馬から飛び降りて助け起こす。
「娘。何があった」
優しさの中にも厳格さが滲む声。
「ああ……旅の御方……お願いです……」
切れ切れにキャットピープルの少女が事情を説明する。
ある日、男爵公子が村に押しかけ、居座り、暴虐の限りを尽くしているという。
男たちは殺され、若い娘は慰み者にされ。
少女も手込めにされたが、今朝方、公子と護衛が眠った隙を突いて逃げ出してきた。
このことを男爵に知らせ、どうか公子の無体を止めて欲しいと、涙ながらに訴える。
「あのバカ息子が……」
口中で小さく公子を罵るバトランド。
こんなことが領内に知れたら、冗談ではなく反乱が起きる。
その程度のことも判らぬか。
「あい判った。その儀、この私が間違いなく男爵閣下にお知らせしよう。だがまずは村の現状を見なくては報告もできぬ。案内いたせ」
頷く娘を、部下に命じて後続の馬の前輪に乗せる。
その際、ごくわずかに部下と視線を交錯させた。
状況の確認が終わり次第、娘を殺せ、という意味である。
男爵公子の悪行は止めなくてはならない。だがそれ以上に、事実の隠蔽こそが最優先だ。
残念だが、村をひとつ地図から消さなくてはいけないだろう。
鋭く前方を睨む魔法騎士。
アトルワ男爵領の収入を考えても、なかなかに面白くない事態だ。
蛮族どもとはいえ、無意味に虐待しては支配構造にひびを入れる。
少し不満がある、という程度に搾取するのが理想なのだ。
内圧を高めすぎては爆発するだけ。
その程度の支配論すら理解できなくては、男爵領の将来は暗い。
そもそも、女を抱きたいのであれば、こんな蛮族などでなくとも、城下町にはいくらでも高級娼館がある。
そこに良い女を都合させれば良いだけの話だ。
狩猟ごっこでも楽しんでいるつもりか。
「ゆくぞ」
号令をかける声は、氷のように冷たかった。