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ティアロットは、北斗の幕僚として迎えられることとなった。
総督府の人事に関しては、ルーンの聖騎士の後継者に裁量権が認められているため、とくに何の問題もない。
問題があったのは、遠征から戻ったリキとミシディアの方である。
一渡り領内を回って人心を安定させていた彼らは、もちろんカイの裏切りを知っている。
風話装置を持っていたから。
異変を察知してすぐにナウスに戻らなかったのは任務を優先させたためだ。
ひとつには、三百もの軍勢が慌ただしく動けば、民に動揺が伝播してしまうという理由もある。
それに、彼らにできることはなにもない。
たとえばナナのように、北斗を抱きしめて慰めてやることなどできるわけがないし、いまからカイを追いかけたところで無意味だ。
あの風話通信をおこなった時点で、充分に逃げ切れるだけの距離を稼いでいるだろうから。
リキにしてもミシディアにしても、親好のあった人物の裏切りに忸怩たる思いを抱えながら任務を全うするしかなかった。
そうして任務終了の報告をもって執務室を訪れた二人が見たものは、北斗と談笑する少女だった。
ナナではない。
だが知っている顔である。
とんがり帽子にねじくれた杖。
子供のような体型。
溶鉱炉で燃える石炭のような赤い瞳。
『紅の魔女!!』
異口同音に叫んで、腰間の剣に手を伸ばす。
ものすごく非友好的な反応だ。
「有名人だな。ティア」
「けっこう犯罪すれすれのこともやってきたからね」
北斗が笑い、少女が肩をすくめた。
右手を挙げて部下たちを総督が落ち着かせる。
「紆余曲折あったんだけど、俺が勝ったんで使うことにした」
ひどい言い回しだったが二人は苦笑した。
ミシディアは北斗に戦いを挑み、敗北後に膝を折って彼の陣営に身を投じたのである。
彼にしてみれば、自分の姿を見ているようなものだし、そうと理解したリキも、それ以上追及しようとはしなかった。
「一応領内を回ってみたが、モンスターの動きは沈静化してる」
口にしたのは、報告の方である。
「というより、西に移動した後だとみるべきだろうな。カイ……イスカのいっていたことが事実だと仮定すれば」
リキの言葉を引き継ぐミシディア。
不死の王が現れたことにより、モンスターの大移動がおこった。
もしガゾールト領にモンスターに多く残っているなら、不死の王の軍勢は止まっていると考えることができる。
だが、現実はそうではない。
モンスターの姿はほとんど見かけなかった。
何故か。
「逃げたってことだよな。どう考えても」
東から迫り来る不死の王の軍勢。それに圧迫される形で西へと逃れてゆく。
執務机に広げた戦略地図の上に、北斗が駒を置く。
西に逃げてモンスターどもが幸福になれるということはない。
思い切りルーン王国の勢力圏だからだ。
青の軍一万が所狭しと駆け回り、モンスターどもを薙ぎ払ったという噂は北斗も耳に親しんでいる。
あだ名は最強兵団。
もちろん誇張はあろうが、アトルワ軍より数が多くて、しかも精強だという部分は間違いないだろう。
「ま、哀れなモンスターたちのことを心配してあげられるほど、あたしたちは幸福な立場にいるわけじゃない。危機はすぐそこまできてるんだからね」
ティアロットの指が地図上を滑り、駒を移動させた。
不死の王の本隊。
その予測位置を示す駒だ。
すでにガゾールト領内に入っており、郡都ナウスから東に四日ほどの位置。
地図の上では十センチも離れていない。
カイが見た、アンデッドの巣窟になった村である。
あれを先兵と考えるなら、本隊が到着していてもおかしくはない。
「ここより東は、だめかな?」
「それはわかんないよ。総督さん。連絡が途絶えてるんだから情報もないし、じゃあ不死の王の軍勢を突破して調べに行くかって話だし」
かるく肩をすくめて質問に応えるティアロット。
なんとなく軍師のような役割だ。
知略の面で彼を支えるのは、これまではセラフィンだったのだが、なにしろ彼女の知識は古い。
だいたい三百年くらい前の出来事がベースになっているのだ。
生ける伝説のような存在ではあるが、現在時制のこととなると、多少のズレが生じてしまう。
しかも政治のことや人間の生活のことなると、完全に門外漢だ。
代わって総督に助言するのがティアロット、という運びになった。
「件の風話装置だっけ? あれを向こう側に届けて東西から挟撃ってのが、そりゃ理想的だけどさ。できるならね」
イロウナトやアンバーが健在なら、そういう作戦をとることが可能である。
ただし、いくつかの条件をクリアしなくてはならない。
まず、不死の王の軍勢の勢力圏を突破できるのか、という問題。
突破したとして、アンバー子爵領やイロウナト侯爵領が無事なのか、戦うだけの余力があるのか、という問題。
戦える状態だったとして、こちらの提案を呑むか、という問題。
「そもそも使者が信用されない可能性もあるね」
指折り数えてみせる。
命がけの敵中突破。
それはそれは格好いいが、それで望む結果が得られるかといえば、まったくそんなことはないのである。
「じゃあどうする? 王国軍が助けにきてくれるまで待つか?」
右手で下顎を撫でる北斗。
正直、それが最も勝算が高い。
女王アルテミシアとアリーシア姫の会談がおこなわれることとなった。その会談で、まず間違いなく王国軍の派兵が決定されるだろう。
ルーン陣営にせよ、アトルワ陣営にせよ、不死の王を放置しておくことはできないのだから。
救世の女王も聖剣の姫君も充分に承知しているし、派兵する部隊も、たぶんもう決まっている。
最強兵団の青の軍と、真なるルーンの聖騎士のライザック・アンキラ卿。
これ以外ありえない。
装備でも、数でも、対モンスター戦の実績でも、アトルワ軍よりずっと上だ。
「ぶっちゃけ、任せてしまいてえのは事実だけどな」
アトルワ軍の損害をルーン軍がかぶってくれるなら、まさに願ったり叶ったりである。
「でもそうすると、ものすごく大きな借りを作ることになるね。返せるアテはあるのかな? 総督さん」
「ねえなー 全然ねえなー」
情けなさそうに北斗が首を振る。
ルーンとの取引材料となるものを、アトルワは持っていない。
風話通信の秘密が維持できていれば、あるいはそれをもって取引ができたかもしれないが、実際のところは望み薄である。
いくら軍事史が変わるような発明でも、それだけで一万もの軍勢を動かし、戦わせる代価にはなりようがないのだ。
まして、肝心の風話装置はすでに奪われているのだから、こんな仮定すら無意味だろう。
「大きすぎる借り。返せるアテもない。そのままルーンに呑み込まれてアトルワは消滅する。なんてストーリーになっちゃうかもよ?」
「そうならないように、なんか知恵を出してくんろ。ティアすけさんや」
「だれがティアすけだよ。知恵っていうかさ。話としては難しくないと思うんだよ。お金やモノで支払えないなら、労働で支払うしかないんじゃないかな?」
「うへぇ。哀しき労働者階級ってやつだなー」
資本家階級と対になる言葉だ。
資産をもたず、自らの労働力を売ってしか金を稼ぐ手段のない人々で、だいたい社会構造のうち九割くらいがこれに当たる。
そしてティアロットが口にした労働力とは、戦力という意味だ。
ルーン王国軍とともに戦い、我らもよく戦った、と主張できる程度の戦果をあげる。
そうすることで、互いに貸し借りなしの状況にしてしまう。
「簡単に言うなよ。紅の魔女。総督府で魔法の武器を持っているのは、ホクト卿と僕の二人だけ。これでどうやってアンデッドの軍勢と戦うんだ」
黙って聴いていたミシディアがさすがに口をはさむ。
アンデッドに有効な武器がない。
ついでに、たぶん北斗はびびって戦えない。
足止めにすらならないだろう。
ふ、と、笑うティアロット。
「何のアイデアもなしに提案したと思うのかい? おぼっちゃま」




