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執務室を転げ回っている物体。
腹を抱えながら。
妙齢の女性が発するとは思えないような笑い声が口から漏れだしている。
「……陛下。あまり笑われては可哀想かと」
制服の宰相こと、シルヴァが主君をたしなめた。
が、彼自身、破顔しようとする表情を消すことに必死になっているため、あんまり説得力がなかった。
朝の定例会議の最中、突如として風話装置から声が流れた。
奪われたことを承知しているはずだから、たぶん使われることはないだろうと王国幹部たちは考えていたため、執務室にいた女王と国務大臣、四翼は顔を見合わせることになった。
しかも、わざわざアルテミシアを愛称で呼びかけてきた。
なんという大胆さか。
ナナと面識があり、為人を知っているイスカですらも目を見張ったものである。
驚きが笑いに変わったのは、少しだけ緊張しながらアルテミシアが返信した後のことだ
剣の舞姫は、べつに女王に話しかけたわけではない。
愛称が同じアリーシア姫に風話を送ったのだ。
笑い声を風話装置が拾わないよう苦心しながら、彼らは女王と姫君の話の内容を聞き続けた。
尋常なものではないが、ルーン陣営とアトルワ陣営のトップがおこなう初めての会談である。
単語ひとつといえども聞き逃すわけにはいかない。
そして彼らは、聖賢の姫君の人格の一端に触れた。
なかなかの胆力。
風話とはいえ、女王との対談であれだけ嫌味を飛ばしあえるとは。
後半など阿吽の呼吸だった。
直接対面したら、さぞ気が合うことだろう。
もちろん判ったのはアリーシアのことだけではない。剣の舞姫たるナナのことも、ルーンの聖騎士の後継者のことも、少しだけ判った。
ちなみに、いま女王が笑い転げているのは、もちろん魔法使い殺しの弱点を知ったからだ。
「しかし、幽霊が怖いとか。どんだけ軟弱なんだよ」
「軟弱というより、まるで子供のようですね」
ヒューゴとウズベルの評価である。
「どれほどの勇者にだって苦手なもののひとつやふたつはあろうが、たしかに意外ではある」
ライザックが腕を組む。
イスカから聞いていた北斗の人物像からは、あまりにもかけ離れた弱点だ。
勇気と義侠心に溢れた異世界の騎士。
見たこともないような剣術を操り、自ら先陣を切り、初代ルーンの聖騎士の双竜剣を託された男が、アンデッドにびびるとか、ちょっと想像がつかない。
「たぶん、もっている常識が違うんじゃねえかな」
笑いの発作をおさめ、イスカが論評した。
かつて北斗がいたという世界では、アンデッドモンスターというのは恐怖の代名詞だったのではないか。
幼少期に刻みつけられた記憶というものは、そうそう簡単に拭い去れるものではない。
この国に生まれ育ったものであれば、アンデッドモンスターをそこまで怖れたりはしない。
むろん強敵ではあるし、厄介な存在であることはたしかだが、対処法も確立されているため、必要以上に身構える必要はないのだ。
「つまりホクトにとって、アンデッドってのは得体がしれない、どう対処すればいいかも判らない相手ってわけだ」
「なるほどな。それなら恐怖するのも無理はないか」
僚友の言葉に頷くライザック。
得体のしれない敵というのは怖い。
戦士として熟達すればするほど、それがはっきりと判ってくる。
どうしてベテランの戦士が戦いのときに平静でいられるかといえば、それは知っているからだ。
経験を積み、幾度も傷を負いながら、どう戦えばいいのかを自らの肉体に刻みつけてゆく。
当たり前の話だが、危機に臨んで身体が勝手に動くなどということはありえない。ちゃんと身体が勝ち筋を憶えているから、こうきたらこう動く、ああきたらああ動くと知っているから、考えるより先に動けるのだ。
新人というのはそれができず、頭で考えてしまう。
「ま、俺らだってホクト卿の世界の怪物なんかにゃあ対処のしようがない。見たことも聞いたこともない敵とは戦えないって道理か」
ぼりぼりとヒューゴが頭を掻く。
笑いすぎたことを、すこし後悔するように。
「原因はどうあれ、勇者たるホクト卿が動けないのでは、アトルワとしても苦しいところでしょうな」
「つまり、これは好機ってことよ。恩を売りつけるね」
国務大臣の言葉を受け、女王がよいしょと身を起こす。
この機会を逃す手はない。
「シルヴァ。予定を調整して。アトルワと会談するわ」
不死の王討伐という名目が立つ。
軍をアトルワ領内にいれる絶好の口実だ。
「勅命、賜りました」
「ライザックは青の軍を率いて私の護衛。最強兵団と真なるルーンの騎士をつれて、リッチ退治と洒落こみましょ」
それ自体が政治宣伝になる。
恩を売りつけ、その上でアリーシアとの会談で、なんらかの政治的な妥協点が探れれば、最高の結果といっても良いだろう。
「了解だ。お姫様」
青の騎士もまた頷いた。
国内が乱れている状態が続くのは良いことではない。
世界がルーン一国で回っているならともかく、あまりに分裂状態が長引けば隣国が野心の炎を燃やすことになりかねないからだ。
「そもそもさー なんでホクトはお化けが怖いの?」
「……わからん。苦手なものは苦手だとしか言いようがねえよ」
強烈な幼児体験があったとか、そういうことではないと思う。
私室でナナに膝枕してもらいながら、北斗は我が身を振り返った。
子供の頃から幽霊とか怪奇現象とかは大嫌いだった。まあ、大好きだという子供もいないだろうから、べつにおかしな事ではない。
ただ、長じても苦手は克服されなかった。
人類が月に行けるようになった時代に怪談話など馬鹿馬鹿しいと思うのだが、こればかりはどうにもならなかった。
反動なのか、彼は科学万能という考え方に傾倒するようになっていった。
非科学的なもの、間尺に合わないものを否定する。
現実に目の前で起きている現象よりも、自らの持っている科学知識を信用するというのだから、いっそ病的だといっても良いだろう。
ともあれ、それがこの世界にきたとき、屁理屈バリアとして昇華したわけだ。
「我の望まぬはここに存るを認めず、というやつだな」
まさに拒絶の力というべきだろう。
と、笑いながらセラフィンが私室に入ってくる。
ティアロットを伴って。
「あれ? 解放しちゃったの?」
見とがめたナナが問う。
「うむ。いちゃいちゃ中にすまない。このティアロットの処遇について、ホクトの裁可を得たくてな」
「裁可って。もう解放してるじゃねえか」
苦笑しながら北斗が身を起こす。
相棒の太腿に抱かれているのも悪くないし安心するが、彼は総督である。
いつまでも現実から逃げているわけにはいかない。
捕らえたゴーレム使いについて、きちんと考えなくてはならないのだ。
「その裁可ではない。私が求めているのは、ティアロットを幕下に加えるべきという趣旨の話だ」
「おいおい……」
渋い顔をする総督。
つい先日、カイという冒険者を登用して裏切られたばかりだ。
その記憶も色褪せないうちに、新たな人材を招き入れようというのか。
「色々と話したのだがな。なかなかの傑物と見た。これほど有為な人材を野に置くのは、いささかもったいないというべきだろう」
セラフィンが力説する。
おとなしやかで、どこか達観したところのあるエルフの姫君にしては珍しい。
「セラがそこまで惚れ込んだのか。もう少し詳しく聞かせてくれ」
興味を惹かれた北斗が居住まいを正した。
ティアロットと呼ばれた少女を正面に捉える。
黒い瞳と赤い瞳から放たれた視線が、見えない火花を発して絡み合った。




