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『こちらカイ。本当にこれで聞こえているのか?』
右耳に装着した風話装置から声が聞こえた。
読んでいた書類から顔を上げ、北斗が苦笑する。
「ホクト。感度良好。どうぞ」
『リキ。聞こえている。どうぞ』
『ミシディアだ。何かあったのか。どうぞ』
総督の返答に続いて、装置を起動させているふたりの分隊長からの声が届いた。
新生アトルワに圧倒的な優位性をもたらした風話通信。
これの扱いを巡っては、上層部で議論が繰り返されている。
もともとセラフィンが所持していたイヤリングタイプのものは四つしかないため、アリーシア、北斗、シズリス、マルコーの四名が所持することとなった。
その他に、拳大の石に同様の精霊魔法が施されたペンダントタイプが四十個作られた。
これが現在、アトルワの所有する風話通信装置の総数である。
数が限られているので、全員が持つというわけにはいかない。
そのため貸し出し制をとることになった。
新領地が持つのは十個。
このうちの三つが、リキ、ミシディア、カイの三人に貸与されている。
ちなみに常時起動しているというタイプの魔道具ではない。
使用するために動力源となる魔力を注入しなくてはならないのだが、もちろん北斗に理屈は判らない。
何日かに一度、セラフィンに充電を頼んでいるだけだ。
ちなみにイヤリングタイプを所持している他の三人には、自前の魔力がある。
というより魔力のない人間など存在しないので、普通のマジックアイテムと同じ使い方で問題ないのだが、そのあたりを北斗に詳しく説明するとまたまためんどくさい事になりかねないので、セラフィンも魔法使いたる元貴族たちも、まったくなにも説明していない。
『おお。すげえな』
「ホクトだ。無駄な通信すんな。持ってる他のヤツにも聞こえてるって事を考えて発言しろ。あと最後にどうぞをつけろ。どうぞ」
『あ。こちらカイ。そうだった。すまねえ。ちょっと試してみたくてな。どうぞ』
「ホクト。そこはどうぞじゃなくて、以上だ。以上」
お試し通信に付き合わされた北斗が苦笑しながら風話を終える。
最初の一言以外発言しなかったリキとミシディアからも、苦笑の気配とともに、装置を軽く二度叩く音が伝わってきた。
言葉に出して喋る余裕のないときや必要もないときにする了解のサインである。
この場合は、北斗の以上という言葉に対しての了解だ。
「なんてゆーか。おっちゃん楽しそうだねー」
「だなぁ。新しいおもちゃを手に入れた子供みたいだ。使ってみたくて仕方なかったんだろうな」
執務室で笑い合う北斗とナナ。
モンスター討伐のため、三人がそれぞれ三百の兵を率いて進発してから半日ほど、とくに意味もなく通信してきやがった。
もうすこし北斗に軍事的な知識があれば、定時連絡というやり方を思いついたことだろう。
その意味では、まだまだアトルワは風話を使いこなしているとはいえないのである。
「でもさ。ほんとに軍隊を全部動かしちゃって良かったの?」
「全部じゃねーよ。まだ百も残ってるし。ナナもセラもいるからな。ナウスの守りは完璧だろ」
「自信過剰」
ナナがたしなめるが、じつのところ、この時期にナウスの守備を厚くする必要はない。
攻め込んでくる勢力がないからだ。
ガゾールト伯爵の家族は、ミシディアが降ったことで、アトルワへの帰属を表明した。
忠臣、と呼ばれるような部下たちは、アトルワの徹底した指揮官潰しの戦術によってことごとく戦場の露と消えた。
結果として、ガゾールト領には、アトルワを排除しようという勢力が存在しないこととなる。
理屈の上では。
「それでも、既得権をもつ豪商たちなどは反感を抱くだろうよ」
書類の束を抱えて入室してきたセラフィンが言った。
アトルワでもアキリウでも市場開放がおこなわれ、これまで利益を独占し、甘い汁を吸ってきた豪商たちは軒並み排除された。
ガゾールトだけ同じ事態が起きない、と予想するほど、商人どもは夢見がちではないだろう。
「さしあたりは、それが狙いさ」
決済を待つ書類を受け取り北斗が笑う。
ナウス守りが薄くなった。
これを好機と考える連中が軽挙妄動するかもしれない。
ガゾールト伯爵の下でワルイコトしていた連中だ。
「こいつ。あぶり出すつもりか」
「これから悪事の証拠を探すよりさ。新政権に刃向かった罪で処断する方がらくじゃん」
「そのために自らを囮にすると?」
「ナナもセラフィンもいるし、商人どもが雇った私兵ていどに負けねえべや」
「ホクト。君はもう少し物事を慎重に運ぶ癖をつけた方が良いな。私の夫も、それはそれは短慮な男であったが」
西に困っている村人がいるときけば、自ら愛馬を駆って助けに行く。
東で泣いている民がいると知れば、愛剣を片手に救いに行く。
正義の味方という表現そのままに。
非道を嫌い、民を愛し、妻に一途で、公正で、清廉で。
だからこそ彼は領主にも国王にも向いていなかった。
公明正大なだけで、領地は治められない。
君主は清濁を併せのまなくてはならないのだ。
「なんというか。君にはガドのような危うさがあるな」
「えー? なになに? セラもホクトの女房になるつもり?」
横から口をはさむナナ。
まったく、全然、そういう話ではなかったはずだ。
「いや。人間の男はもういいかな。なかなか子を成せぬ夫婦関係というものは、存外に苦しいものだからな」
「そうなの?」
「東方の秘薬とか、南方のまじないとか、いろいろ試したが、結局は懐妊しなかった。ガドの申し訳なさそうな顔を思い出すと、いまでも少し心が痛む」
「わたし思うんだけどさー それって発情期てきな問題なんじゃないー?」
長命種のエルフは、あるいは妊娠のサイクルも人間とは異なっているのではないか。
それがハーフの存在を難しくしているのかもしれない。
ナナとは思えないほど、きちんとした考え方であった。
「とはいえ、発情期というものを、私は理解できないがな」
「人間やエルフは、年中発情してるの?」
「むしろ君は、年中おかしな遊びをホクトに強要しているだろう」
「あれはただの趣味だよー? 子作りとは違うよー?」
「そうだなナナ。なんというか、私は君との間にとてもとても高くて厚い壁の存在を感じるぞ」
「そんなことないよっ きっと理解し合えるよっ 大丈夫っ」
「君は私をどこに誘っているのだ」
苦笑して視線を動かすと、執務机で北斗がかたまっていた。
石化してるんじゃないかってくらい、見事な硬直ぶりだった。
無理もない。
「さてホクト。話はそれたが、防御計画のことだ」
目の前でひらひらと手を振ってやる。
はっとした少年が、上気した顔を向けた。
まあ、妊娠とか発情とかの話を赤裸々に語られてるのは、十七歳の少年としては耐え難いものがあるだろう。
「もし万が一、君の暗殺を企図して賊が侵入したら、どのように迎え撃つのだ?」
「あ、ああ。基本的には城内で誘導する。中庭か、俺の部屋か、こっちも戦いやすい場所に」
そのため、いくつかの扉はカギがかかっていない。
「ふむ。つまりナナの気配読みをアテにしているということか」
「まあな。エナさんほどじゃないけど、人間が侵入してナナが気付かないわけないしな」
静かな信頼をたたえた北斗の瞳。
軽くナナが胸を反らせた。
このふたりなら、どれほど過酷な道のりでも、スキップしながら進みそうである。
心配するのが馬鹿馬鹿しくなってくるほどに。
「わかった。城内のことは二人に任せて良いということだな」
「任せといてー」
「ただ、不安はあるので、私の居室を君たちの部屋の隣にしよう。何かあったとき、すぐに動けるように」
「同じ部屋でもいいよー?」
「つつしんで遠慮する」
また変なことを言い出そうとするナナに手を振り、セラフィンが執務室からでてゆく。
疲れたから。
後の相手は北斗に任せるのが上策だろう。
救いを求めるような少年の目は、見なかったことにした。




