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「陛下。イスカ卿が潜入に成功しました」
一日、国務大臣シルヴァが報告した。
「はやかったわね」
「ナウス到着の翌日には採用された由にございます。しかもそこそこの要職をまかされたとか」
「おー 流れ者の冒険者を即採用で要職抜擢ー この事実から導かれる結論は」
「人材がいない。総督ホクト卿は私的な友誼を公的な人事に持ち込むような人物である、というところでしょうか」
「悪い方で捉えればそういうことだけどね」
女王アルテミシアが笑う。
情実人事とは組織として最も忌避すべきところだ。
友人だから登用するとか、そんなことをやっていたら組織の基が立たなくなる。
ただ、物事には別の側面もあって、現在のガゾールト領は、まさに中核を形成する段階だ。
情実だろうがコネクションだろうが、なんでも利用しなくてはならない。
それに、仮にコネクションなどなくとも、イスカは抜群に有能な男である。
有能な男に、その能力に相応しい職責を与える。
悠長な出世競争とか、全部省略して。
「効率的で、名より実を重んじる、という人物像も見えてくるわね」
「そうですかね? 臣には与えられた地位に戸惑っている少年、という横顔が見えますが」
このときアルテミシアとシルヴァの見解は一致していない。
救世の女王は、北斗を実務的で冷静な軍団経営者と見た。
反対に、制服の宰相は、もの慣れない少年が身の丈に合わない服を着せられて困っていると感じた。
ルーンを代表する智者ふたりが顔を見合わせる。
北斗という人物が掴めない。
「もちろん、既存の枠にはめられるような優等生的な為人ではないんだろうけど」
「どうにも読み切れませんね」
「……会ってみたいわね」
女王の中で興味がむくむくと持ち上がる。
これまで彼女の興味を惹いたアトルワの幹部は、せいぜい聖賢の姫君たるアリーシアくらいのもので、その盟友たちは添え物みたいなものだった。
しかし、ここにきてルーンの聖騎士の後継者に、がぜん興味が湧いた。
「会談をセッティングしますか」
「あ。またなんか悪いこと考えてる顔だ」
「本拠地を遠く離れた部隊が肥大化し、コントロールを受け付けなくなる。たぶんこれは、どんな為政者だって怖いことかと」
女王が笑い、腹心もまた笑う。
新領地が固まるまでの間に、もう少し悪戯をして楽しもう、と顔に書いてあった。
「冒険者出身といったな。カイ」
けっこう広い廊下を歩きながら、半歩後ろの男にミシディアが確認する。
「ああ」
返答は短い。
「市井の冒険者というのは、そんなに使えるものなのか?」
主語を省いての質問。
ともすれば嫌味にきこえるだろう。
カイは誤解した振りをすることにした。
「使えないと思ったら、クビにしてくれてかまわないぜ」
「なるほど。卿の覚悟はよく判った。だが私の問いたいのはそこではない」
「…………」
「さきほどから、卿を倒す方法を考えていた」
振り向きざまに斬りかかる。あるいは一度かがみ込んでから隙を突く。
どれもだめだ。
「勝ち筋が見えない。カイ。貴様かなり使えるな?」
「どうかな。並よりは上だって自覚はあるけどな」
謙遜してみせる。
「それで並より上という程度なら、冒険者というのはバケモノ揃いということになってしまうが」
ミシディアが薄く笑った。
彼は北斗と良い勝負ができるくらいに強い。
にもかかわらず、そのミシディアをして勝利するヴィジョンが見えない。
「ま、この商売で三十年も飯を食ってるからな」
「まさに剣客商売だな。どうしてアトルワに仕える気になった? 卿ほどの腕があれば、指南役としてどこの家中でも迎えてくれよう」
なかなかに踏み込んでくる。
はぐらかすか、むしろこちらも踏み込むか。
一瞬の間に、カイは計算を立てる。
「堅苦しいのは苦手でね。ホクトが総督じゃなきゃ、仕官なんぞしなかったさ」
「……なるほど。あの男は好かれているのだな」
呟いた若者の表情には、ごくわずかな羨望と自己憐憫があった。
が、半歩後ろを歩くカイに、それを確認する術はない。
「伯爵公子が降るくらいの人望はあるんだろうよ」
「……そうだな。あの男からなにか学べれば良いと思っている。負けたままというのは、私の性に合わない」
なんのつもりでそんな発言をしたのか判らない。
貴族として何不自由ない生活を送ってきたゆえの大度か。あるいは心に期すところがあるのか。
「怖い怖い」
現時点での深入りは避け、カイが肩をすくめた。
とにかく全員が座る席が決まらないと、組織は動かせない。
これは領地経営だろうが、高校の委員会だろうが一緒である。
「か、形にはなったぜぃ……」
セラフィンが作ってくれた幹部名簿をみながら、北斗がほっと息を吐く。
組織を運営するために必要な部局……軍務、産業振興、民政、徴税、治安維持、領地整備。最低限その長が決まった。
ほとんどが新規採用者だ。
冒険者ギルドや商会連合などに、かなり借りを作った格好である。
「そうだな。ホクトはべつに何もしていないが」
「したよっ!? 毎日面接とかやってたよ!?」
「名前と年齢と志望動機を訊ねるだけの雑談を面接と呼ぶなら、たしかに一日五十件ほどはこなしていたな」
じろりとセラフィンが睨む。
北斗がどういう基準で採用不採用を決めたのかは判らない。たぶんフィーリングが合ったとか、その程度のものだろう。
そして、そんな基準で採用された者たちの能力や特性を確認し、希望を調整し、各部局に振り分けていったのはセラフィンだ。
「うう。ごめんなさい」
「いやいやセラ。ホクトにそんな細かい調整とかできるわけないじゃん。セラに丸投げで正しかったと思うよ? へんに口を出したら混乱するだけだし」
「正論だと思うがな。ナナよ。もう少し亭主をかばってやったらどうだ? いじけてしまったぞ?」
本気で何もしていないナナにまで言われ、執務机にのの字などを書くルーンの聖騎士の後継者であった。
「おおう。よしよしホクト。今夜わたしにオシオキしていいからね」
「するかっ!」
「さて、人事が定まったところで、すぐに仕事がある」
始まった夫婦漫才に興味を示すことなくセラフィンが告げる。
「早急に荒政をおこなう必要があろう。平行して、各所でくすぶるモンスター被害への対応だ」
どちらも疎かにはできない重要事だ。
本来は豊作だったはずの今年だが、モンスター被害のせいでガゾールト領はひどいことになっている。
飢饉などに対応する政策、つまり荒政が必要なのだ。
「アトルワから持ってきた物資で足りそうかな? セラ」
「緊急支援分は大丈夫だが、恒常的に支出するとなると厳しいな」
つまり、次の収穫がなければ詰んでしまうということである。
「判った。内政面に関しては、引き続きセラの手腕をアテにして良いか?」
「そういうだろうと思っていた。それはかまわないが、モンスターの方はなんとかしてくれ。そっちが片づかないと、何度でも同じ事態になってしまう」
肩をすくめてみせるセラフィン。
軽く頷いた北斗が、秘書のナナに依頼して軍務幕僚を招集した。
具体的には、副官のミシディア、分隊長のリキとカイである。
「三人に、それぞれ三百ずつの兵力を与える。これで領内を回ってモンスターどもを殲滅してくれ」
ものすごく大雑把な命令だ。
そもそも北斗もつ千の兵力のうち、九百も出してしまったらナウスの守りはどうするのか。
「いまはナウスより領内の安定が先だ。種まきの時期までに一段落つけたい。頼むぞ。みんな」
互いに顔を見合わせた三人。
それぞれの為人に従って了承を伝えた。




